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自殺幇助合法化議論の“すべり坂”で新しいパターンが報道されるたびに
「ああ、こういう方向にも行くのか」と、意表を突かれるけど、

今回の「警察による自殺幇助」という文字を見た時には
まず、これは比喩、せいぜい揶揄・皮肉なのだろうと思い、軽い気持ちで記事を読み始めた。

そして、「警察による自殺幇助」は既に事件の1分類としてFBIでデータ化されていると知った瞬間、
ものすごく重い衝撃とともに思い至った。

──そうか、そういえば、そうだ……。
高齢者、重度の身体・認知障害者が医療によって手っ取り早くお払い箱にされるパターンが
精神障害者が警察によって手っ取り早くお払い箱にされるパターンとして
応用・採用されないはずは、なかった……。

でも、これって一体、どういう社会の到来なんだ……?
おなかの辺りがムカムカして、一瞬、吐きそうになった。

8月14日にNC州Jacksonvilleの警察署長が出したプレスリリース(以下の記事より)から
「警察による自殺幇助」または「警官による自殺」の定義を以下に。

A Police-Assisted Suicide or Suicide-by-Cop is a suicide method in which someone deliberately acts in a threatening way towards a law enforcement officer, with the main goal of provoking a lethal response. Such a person typically feels despondent and hopeless, but for whatever reason, doesn’t want to take his or her own life directly. According an FBI bulletin, with regard to lethality, 69 percent of Police-Assisted Suicides resulted in fatalities, 17 percent proved nonfatal, and in 14 percent of the cases, the outcome was not determined.

警察による自殺幇助または警官による自殺とは、挑発して殺させる目的で、警察官に向かって意図的に威嚇的な行動をとる自殺方法のこと。このような人物は通常、気力を失い絶望しているが、どういうわけか自分で死ぬことを望まない。FBIからの情報によると、警察による自殺幇助で死に至るケースは全体の69%、17%では死に至らず、14%では結果が未確認。

今回の事件とは、
North Carolina 州 Jacksonville で8月14日、
家族によると双極性障害他の精神障害があったSamuel Jarolim (30)が
自宅前の道路で警察に射殺されたというもの。

彼はその朝タクシーでウォールマートに行ってショットガンの弾を買い、
自宅に戻って911に電話をして「警官や近所の人間を皆殺しにしてやる」とわめいた。

パトカーが自宅に駆けつけると、
上半身裸のJarolimが銃とライフルとショットガンを持って出てきて、
制止を聞かずに近所の家に向かおうとしたため、
警官の一人が胸を撃ち、Jarolimは死亡。

以下の記事に、パトカーに向かってくるJarolimが
制止を聞かずに歩き去ろうとするまでのビデオがあります。



この記事によると、
NC州では、これまでに2件の「警察による自殺幇助」事件が起きており、

最初の事件は2006年11月20日に
同じくJacksonvilleの警察が Marine Neil Mansonを射殺。

2件目は今年3月18日に
Onslow County Sheriff’s Departmentのシェリフ代理(? deputy)が
John Traubを射殺。

(2つの事件の記事と概要を文末に追記しました)


ちなみに、昨日のこちらのWP記事によると、
2007年のヴァージニア工科大学での乱射事件で
犯人の学生Chouの精神医療関連の情報が公開され、
本人が大学のカウンセリング・サービスに相談して助けを求めていたり、
州の病院に入院していたりもしたのに、それら一連の専門家の関与が
適切な治療に結びついていなかったことが明らかに。


たしかに日本で起きる通り魔事件のなかにも、
本当に殺したい人が実は他にいたり、自分が死んでしまいたかったりする衝動が
無関係な他者への攻撃性に置き換わってしまったように見える事件もある。

でも、そういう分析・認識は本来、
犯罪が起こる機序の理解へ、抑止の手立てへと向かうはずのものだろうし、

支援が必要な人が支援を受けられていない状況を片目に、
死にたいから犯罪を犯すというなら、はい、ご希望通りにバン、バン……って、なんで、なるの?

(その辺、考えてみれば、十分な緩和ケアが受けられない状況を無視して、
死にたい人には、はい、ご希望通りに医師が毒物を……というのと同じか……)

不気味なのは、
もし、この米国の「警察による自殺幇助」が日本で広く報道されたとしたら、
「そうだ、その通りだ。とばっちりを食らう人が出る前に、そんなヤツは殺してしまえばいいんだ」と
言い始める人たちが案外少なくないかもしれない……と思ったりすること。

           -------

この”警察による自殺幇助”事件、
世界中で荒れ狂っている自殺幇助合法化議論の”すべり坂”
もしくは”スピンオフ”だと考えれば「尊厳死」書庫なのですが、

その本質としては「切り捨てられていく障害児・者」の書庫なのだろうとも思うし、

特に最近、世の中が変わっていく速度がどんどん加速して、

無益な治療」論と「新優生思想」と「尊厳死」によって「切り捨てられていく障害児・者
そして、それに利用されているのが「ステレオタイプという壁」であり「親の権利」というふうに、
書庫のカテゴリーが急速に互いに近くなり重なりあっていく……。

それは「警察による自殺幇助」がいつのまにか公式の事件分類となるような恐ろしい社会が
既に出来上がりつつあって、その速度が加速している……ということなのでは?

そして、そういう動きを生み出している背景にあるのは
トランスヒューマニズム」や「米政府NBICレポート」に象徴的な
経済とテクノのネオリベラリズム」の”科学とテクノ万歳”文化とその利権構造であり、

またゲイツ財団とUW・IHME」の功利主義グローバルヘルスに象徴されるように
経済で起こったことが医療で繰り返される医療のネオリベ……。

当ブログの小さな窓から覗き見る世界は、そんな、酷薄で容赦のない貌をしている。



【追記】

2006年のManson事件の記事がこちらに。

別れた妻とのゴタゴタで元妻の家に立てこもって警官に向けて銃を乱射、という事件。
ここは Jarolim事件の記事を読んだ時にも、ちょっと気になった点なのですが、
Mansonは抗ウツ薬を飲んでいたとのこと。

今年3月のTraub事件の記事はこちらに。

こちらは、ちょっと……? な事件で、
Traubから自殺したいとの電話を受けた友人が案じて警察に通報し、
警察が駆けつけると、窓の向こうに、銃をこちらに向けて構えたTraubが見えた。
そこで警官の一人が撃ち、Traubは死んだ、と。
2009.08.21 / Top↑
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