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いずれ、出るだろうとは思っていましたが、

近親者の自殺幇助に関する法の明確化を求めて訴訟を起こし、
今回のDPPのガイドラインが作られるきっかけを作り、
また同時にアグレッシブに発言し続けている英国自殺幇助合法化キャンペーンの“顔”
Debbie Purdyさんが本を出版。


HarperTrue という出版社から4月1日発売。
ペーパーバックで304ページ。

Timesが出版を機に、Purdyさんにインタビューを行って記事にしています。

Purdyさんは、
いざという時に夫婦でスイスに行き、夫が無事に帰ってこれるように
7500ポンドまで使えるVISAカードを2枚用意していて、
ゼッタイに手をつけないことにしている。

去年の最高裁の判決がなかったら、
自分は半年前にDignitasに行って自殺していたと思うが、
あの判決のおかげで法が明確化され、いざという時には夫がそばにいてくれる、
自分が最後に目にするのは夫の顔なのだという安心感があるから、
死にたいとは全く思わない。

いつか、自分の症状が悪化して、このままでは耐え難くなりそうだと思ったら
まだ飛行機に乗れる状態のうちにスイス行きのチケットを予約するつもりだけれど、

今はまだMSの治療法が出てくるのではないかと期待しているし、
もしも新しい治療法が出てきたら真っ先に自分に試してほしいと思っている。

夫が「我々は人生を最大限楽しんでいます」と言うと
Purdyさんも「人生の旨みを味わいつくすのよ」と。



このインタビュー記事で、とても興味深いと思った発言は、

「MSと診断された20歳の時は絶望して、
車いす生活になるなんて、この世の終りだと思ったものだけど、
実際にそうなってみたら、人が思っているほど、ひどいものじゃないのよ。
ただ、低いところからものを見ることになるだけで」

多くの人は、病気になった当初の絶望からPurdyさんのように立ち直って生きていく。

実際にその状態に置かれている人にとって、障害がある生を生きるという現実は
他人が「ああなるくらいなら死んだ方がマシ」と勝手に想像している通りではない。

そのことが、もっと語られなければ、と思う。

多くの人はそうやって当初の絶望を乗り越えて生きていくのだというのに、
そこで「死の自己決定権」が認められてしまったら、
そのプロセスをたどる前に、一時の絶望ゆえに人の手を借りて自殺する人が出る。

事故により四肢マヒになって、
「障害者という2級市民として生きていくくらいなら死んだ方がマシ」といって
Dignitasに行って自殺した23歳のラグビー選手のように

適切な支援とゆっくりと自分を取り戻していく時間があれば、
十分にその絶望から這い出すことができたかもしれない人が、
その可能性にすら目を向けられないままに死んでいくことになる。

そして、社会がもしも20歳のPurdyさんのように
「車いす生活なんてこの世の終わり」
「重い障害を負うなんて死んだ方がマシ」と思い込んでいて
「実際にそうなってみたら人が思うほど悪くはない」ことに思いが及ばないならば、

そういう人を支援することよりも、
死ぬために手を貸してあげることだけが親切だということになってしまう。

その絶望を乗り越えられる可能性もあることを、誰も考えなくなってしまう。

2010.03.22 / Top↑
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