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米国小児科学会の倫理委員会(新会長は、Ashley事件の、あのDiekema医師)が
一定の条件下で、栄養と水分の医療による供給の差し控え・停止は
倫理的に許容される、適切である、との声明として
前会長と現会長の共著論文を学会誌に発表。

Forgoing Medically Provided Nutrition and Hydration in Children
Douglas S. Diekema, MD, MPH
Jeffrey R. Botkin, MD, MPH,
PEDIATRICS, published on line July 27, 2009

アブストラクトは曖昧なのですが、
以下の医療ニュースのサイトに詳細な記事がありました。

Withdrawing Nutrition from Children Ethical Within Limits
The Med Page Today, July 28, 2009/07/29

基本的には、一定の条件下で親が同意した場合にのみ、
医療的栄養と水分の供給を差し控え・中止することは倫理的に許される、と判断した、
困難事例や論議を呼びそうな決断では倫理コンサルテーションを勧める、
という内容なのですが、

しかし、その点は、さすがDiekema医師の作文とあって文言に非常に巧妙な操作が仕組まれているのか、
それとも、この記事の書き方の問題なのか、

「解釈次第で個々の議論はどういう方向にでも誘導できるのでは?」と思える点もあって気になります。

まず、栄養停止が最善とされるカテゴリーとして論文がリストアップしているのは

・中枢神経系の損傷または病気によって永続的植物状態にある子ども
・最小意識状態の子ども
・無脳症など神経系に重症の先天性奇形がある子ども
・緩和治療を施しても生き続けることが大きな苦痛と不快を伴うとみられるターミナルな病気
・重症の胃腸の形成不全または完全な腸機能不全に至る病気の乳児

しかし、具体的にこれら5つを挙げながら
別の箇所では以下のような記述もある。

「完全な腸機能不全の子どもは経管栄養で何年も生きるポテンシャルはあるが、
それでもなお、そのような生存の負担は利益を上回ると判断するのが正当であるという場合がある。
特に中央ラインが取れないとかその他の理由で治療が困難(合併症?)になっている場合には

永続的に意識がなく、周囲と相互にやり取りする能力を失った子どもからは、
医療的水分と栄養の提供を中止してもよい」

「栄養がひとえに死のプロセスを引き伸ばし病気を重くするだけである場合には
栄養の中止は適切でもある」

「意識がある乳児が、ターミナルではないが一定の重病による激しい苦痛に見舞われている場合も
栄養中止の検討対象となる」

「現在の小児科医療は、介入の倫理性判断に最善の利益基準を用いており、
その基準に基づいて、栄養と水分の継続が本人にとって
利益よりも負担の方が大きいと判断される状況はある」

その他、

親とガーディアンを意思決定に十分に参加させること、決定にはその同意が必要。

子どもが生きていることそのものが利益だと家族が考える場合には
それを理由に栄養を継続してもよい。

最小意識状態の判断は難しく、
障害に対する偏見によって不適切に影響されてはならない。

道徳的な意味で栄養中止を求めるということでは決してない。

……などの但し書きをつけながら、また一方で、

「栄養の継続によって、在宅ケアが可能なのに入院を強いられたり、
それが不快の原因となるケースもある」

(だから家に連れて帰って餓死させよう……と?)

「栄養と水分の中止が大きな苦痛を引き起こすとの
説得力のあるエビデンスはない」

(FENは、餓死を選ぶなら不快を避けるために
ホスピスで投薬と口腔ケアを受けるよう勧めています)

「研究では、経管栄養の中止による不快はほとんどないとされている」

(こういう時に漠然と studies を持ち出してくるのだって
決して説得力のあるエビデンスではないはずですが)

「成人の断食では、特にターミナルな病状の場合、エンドルフィンが出て幸福感をもたらし、
ケトンの生成で飢餓感が薄れ、思考がクリアになるとされる」

(それが、どうして子どもを餓死させることの正当化になるのだろう?)

さらに、ここのところは、当ブログが目下こだわっている問題なのですが、
小児科学会倫理委員会として、差し控え・停止は倫理的に許容されると判断するものの、
「合法性については、倫理性ほど確かではない」と。

連邦政府の児童虐待防止法(CAPTA)の規定では
ターミナルな病気または永続的なこん睡状態にある子どもからは
「適切な栄養、水分、投薬以外の治療」は中止しても良い、とされているとのこと。

栄養、水分、薬の中止ではなく、それ以外の中止、が認められているのです。
それは、とりもなおさず、栄養と水分の中止は虐待とみなされているということでしょう。

にもかかわらず、小児科学会倫理委は
それが子ども本人の利益になるなら栄養と水分の中止は「適切appropriate」だと主張するのです。

そして、この論文(声明)は、その「適切」の意味を定義しようと試みるものだから、
「その意味で、論文の提示するガイドラインはCAPTAと一貫している」、とも。

(それが、一体どういう“意味で”繋がるというのだろう?)

また、州レベルの法律や規定があるかもしれないので、
州ごとに小児科学会の支部が相談に乗る、としていますが、

連邦政府の児童虐待防止法に抵触する方針を堂々と出しておきながら
州レベルの法律や規定を問題にするとも思えない。

なにしろDiekema医師というのは、
Ashleyの子宮摘出の違法性が明らかになって病院が公式に認めた直後に
「法律上裁判所の命令が必要かどうかということは、その治療が正しいかどうかということとは別」と
平気で言い放った人物。

彼の背後には、小児科医療における「無益な治療」論の強力な提唱者で
医療の決断は医師がするもの。裁判所など無視してしまえ」との持論で
医師らに檄を飛ばす小児科倫理界の大ボス、恩師の Norman Fost がくっついている。

2人とも、Ashley事件と、その後の成長抑制療法一般化問題で
「障害に対する偏見」に基づいてものを言い続けている。



論文そのものを読んでいないから、なんとも言えないところもありますが、
この、妙にぬるぬるとした言葉の操作と、
本当は繋がらないものを無理やり繋げて言いくるめる論理の操作で
黒いものを白と言い抜けるヤリクチは、正にDiekema医師の真骨頂。

とんでもない権力と繋がっている可能性のある、とんでもない人が、
とんでもないポストについてくれたものです。


重症児を家庭で家族が介護したいなら成長抑制がありますよ。
家庭で介護できないなら、餓死させてあげるのが子どもにとって最善の利益。
エンドルフィンが出てハッピーに死ねるのだから心配しなくて大丈夫……。
それで社会のコストもカットできることだし……。

包囲網がどんどん狭まっていく──。




2009.07.30 / Top↑
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