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テーマ:わたしたちは生きています!―人工呼吸器をつけた子と親からのメッセージ

 講師:人工呼吸器をつけた子の親の会〈バクバクの会〉
    大阪大学附属病院看護師(「脳死と臓器移植を考える会」)

 日時:7月12日(日)午後2時~5時

 会場:大阪府社会福祉会館4階404 (TEL 06-6762-5681)
    地下鉄「谷町6丁目」下車4番出口から南へ徒歩10分

 参加費:500円(資料代)

主催:「脳死」臓器移植に反対する関西市民の会
 連絡先:06-6392-4441(岡本)

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「脳死」を人の死とし、家族の同意だけで臓器の摘出を可能とする臓器移植法改定案
(A案)が衆議院で可決され、参議院での審議が始まりました。

〈バクバクの会〉の子どもたちの中には、医師から「脳死」「脳死に近い状態」と宣
告されながらも、人工呼吸器を用いて毎日を精いっぱい生き、その子なりのペースで
成長している子どもたちが大勢います。もしもA案が成立するようなことになれば、
このような子どもたちの生きる権利が脅かされるのではないかと懸念されます。

今回は、人工呼吸器をつけて暮らす子と親の立場からのお話に加えて、臓器移植実施
医療機関で働く看護師さんからも問題提起していただきます。

今こそ、「脳死」臓器移植についての市民の意見を大きく発していきましょう。


ちなみに、バクバクの会から5月17日付で
全国会議員に当てて出された緊急アピールの本文がこちら。

2009年5月17日

国会議員のみなさま

人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>
会長 大塚 孝司

臓器移植法の改定にあたっては、慎重かつ十分な議論をお願いします。

  私たち人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>の子どもたちの多くは、病気や事故など理由は様々ですが、長期に渡って常に人工呼吸器を使いながら生活しています。子どもたちの中には、医師から「脳死」「脳死に近い状態」と宣告されながらも、専門家の予測を覆し、その子なりのペースで成長を続け、毎日を精一杯生きている子どもたちが大勢います。人工呼吸器をつけていても、重度の障害があっても、どの子どもたちも、それぞれの家庭で、学校で、地域社会で、絶対的な存在感で、ほかの子どもたちと同様にかけがえのない“ひとりの人間、ひとりの子ども”として認められながら、日々、生き抜いています。
  2006年に起きた富山県の射水市民病院での呼吸器外し事件以後、さまざまなところで終末期医療のガイドラインや倫理委員会が創られる中、重度障害や進行性の難病をもつ子どもたちについても、“選択的医療”と称し、治療の打ち切りや差し控えについて堂々と公表され議論されるようになりました。私たちは、重度障害等の子どもたちの生きる権利が脅かされていくことを危惧し、命の切り捨てではなく、どんな病気や障害を持っていても安心して暮らしていけるような社会を作っていくことが大切だと訴えています。
  今回は、臓器移植法の改定への動きが急に高まってきていると、頻繁に報道されています。改定の大きな目的は、子どもの国内移植に門戸を広げることだと言われています。そのために「脳死」は一律に「人の死」とし、子どもの場合は家族の同意だけで臓器提供可能という案も検討されているようです。このことは、重度の子どもたちの生きる権利がより脅かされることになるのではないかと、いっそうの懸念を抱かざるを得ません。
  私たちは、「脳死」「脳死に近い状態」と言われながらも、日々成長しながら生き抜こうとしている目の前の子どもたちに対し、「あなたたちは死んでいるんだよ。」と語りかけることはできません。機器の助けを借りてはいても、そこには、確かに、生きているという事実が実感として感じられ、生きたいという子ども自身の意思をも感じられるからです。「脳死判定」についても、いくら厳密な方法で実施しようと、方法そのものが、重篤な状態の子どもの命を縮めかねない無茶な方法である以上、臓器移植を前提として、むやみに判定を実施すべきではありません。「脳死判定」は拒否できるようにしたらいいというむきもありますが、法律で「脳死」を一律に「人の死」とされてしまった場合、判定を拒否した場合には、「無駄な延命をさせている。」「なぜ、臓器提供してあげないんだ。」という社会の無言の圧力が働かないと言えるでしょうか。
  もうひとつ、本人の拒否がなければ家族(親)の同意だけでよいという点について一言申し上げます。私たちは、どんなに重度の障害をもっていても人工呼吸器をつけていても、ひとりひとりかけがえのない子どもであると世間に訴えています。しかし、この考え方は、実際に子どもたちと共に生きてきた中で、子どもたちによって価値観をひっくり返され、気付かされたことなのです。病気や障害に対する予断や偏見や差別的な考え方は、世の中にまだまだ多く見られます。私たち親が、子どもたちから学ぶ機会もなしに、差し迫った中で、限られた情報だけで下す判断が、子どもたちにとって最大の利益となるとは限りません。被虐待児の場合だけでなく、どんな場合でも、私たち親が子どもにとっての必ずしも最良の代諾者にはなりえないのです。(もちろん、専門家についても同様です。)子どもの命は、親のものではなく、子ども自身のものです。
  全国には、国内での臓器移植の拡大を切望されているたくさんのご家族がいらっしゃると思います。子どもたちが一日でも長く健やかに生きてほしい、子どもらしく豊かに生きてほしいという気持ちは、痛いほどよくわかります。重度障害といわれる子どもの親であるわたしたちの願いも同じだからです。どちらも大事な命です。
  だからこそ、臓器移植法の改定にあたっては、国会議員のみなさまには、移植を待っておられる側だけではなく、ドナーとされる子どもたちの命と人権にもきちんと向き合い、慎重に議論を尽くして下さいますように、お願いいたします。
  私たちは、どんな命も大切にされる社会、ひとりひとりの人間がその与えられた命を精一杯生きられるような社会を望んでいます。
2009.07.02 / Top↑
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