Daily Telegraph紙の宗教欄の編集長 George Pitcherという人が書いたものですが、
Pitcher氏によると、
Pitcher氏によると、
assisted dying とは長くホスピス運動の中で
医療的介入と安楽な死とのデリケートなバランスを模索しつつ
使われてきた言葉だとのこと。
医療的介入と安楽な死とのデリケートなバランスを模索しつつ
使われてきた言葉だとのこと。
ホスピス関係者が長い時間と努力の末に
緩和ケアの理念と実践を根付かせてきた中で使われてきた言葉が
緩和ケアの理念と実践を根付かせてきた中で使われてきた言葉が
緩和ケアを尽くすことなく
さっさと見切りをつけて医療によって患者を殺す行為の推進に利用されるとしたら、
さっさと見切りをつけて医療によって患者を殺す行為の推進に利用されるとしたら、
それは、いくらなんでも許しがたい……というほどの憤りを感じる。
―――――
もう1つ、ついでに、
Dignity in Dying というアドボケイト団体の名称から感じたことを。
Dignity in Dying というアドボケイト団体の名称から感じたことを。
生命倫理で「尊厳」という概念がどのように議論されてきたのか、
ちょっと知りたいと思い、教えてもらった文献を
とりあえず読み始めたところなのですが、
ちょっと知りたいと思い、教えてもらった文献を
とりあえず読み始めたところなのですが、
そこで感じている、そこはかとない予感が
堂々と「尊厳」を名前に含めた、この「死の自己決定権」アドボケイトのDignity in Dyingと重なった。
堂々と「尊厳」を名前に含めた、この「死の自己決定権」アドボケイトのDignity in Dyingと重なった。
生命倫理の「尊厳」の議論は、もしかしたら、
こんなに進んだ科学とテクノの可能性を人間に応用する文脈でのみ議論され、
たぶん、どちらかというと否定する声が優勢なのだとしても、
こんなに進んだ科学とテクノの可能性を人間に応用する文脈でのみ議論され、
たぶん、どちらかというと否定する声が優勢なのだとしても、
尊厳のある死に方をする自己決定権があるのだから自由に死なせろという文脈での「尊厳」を
議論に持ち込み、定義をあげつらった挙句に、どちらかというと否定するという話は
実はあまりないのではないか……と。
議論に持ち込み、定義をあげつらった挙句に、どちらかというと否定するという話は
実はあまりないのではないか……と。
スミマセン。ろくに読んでもないのに。
予感が当たるかどうかは、もうちょっと読み進んでから、また。
予感が当たるかどうかは、もうちょっと読み進んでから、また。
2009.06.24 / Top↑
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