当ブログでは、そのあたりの背景を検証してきているので、
関連情報を整理し、ひとつの仮説を立ててみたいと思います。
関連情報を整理し、ひとつの仮説を立ててみたいと思います。
Ashleyケースに対するWPASの調査の終了を受けて、
子ども病院とWPASが合同記者会見を行ったのは2007年5月8日のことでした。
子ども病院とWPASが合同記者会見を行ったのは2007年5月8日のことでした。
この段階で発表された合意とは
・今後、子ども病院は子宮摘出だけでなく乳房芽の切除、成長抑制療法についても、
裁判所の命令なしには行わない
裁判所の命令なしには行わない
・裁判所の命令なしに行われないよう、明確な方針を作る
・今回のようなことが起きないように、倫理委に障害者の権利に明るい人を加えるなど、
病院内に抑止策を設ける
病院内に抑止策を設ける
などの点。
ところが、以下のように、その直後から非常に不思議なことが起こっているのです。
①病院がこのような公式な合意をアナウンスしたというのに、
Diekema医師は一人、記者会見当日からメディアやインターネットで、
病院の公式見解に反する発言を繰り返し、合意を認めないスタンスを取り続けました。
Diekema医師は一人、記者会見当日からメディアやインターネットで、
病院の公式見解に反する発言を繰り返し、合意を認めないスタンスを取り続けました。
そう、ちょうど、今回の論文とまったく同じスタンスでした。
その発言の実際は、英語ブログの方でこちらに抜き出してあります。
②病院側も実は
「裁判所の命令なしに行わないとする方針を2007年9月1日までに採択する」という
WPAS側との合意を守っていません。
「裁判所の命令なしに行わないとする方針を2007年9月1日までに採択する」という
WPAS側との合意を守っていません。
「未成年の不妊手術に関する方針」は2007年11月に採択されていますが
「発達障害のある患者への成長抑制介入に関する方針」は
2008年4月11日に起草されたまま、未採択となっています。
「発達障害のある患者への成長抑制介入に関する方針」は
2008年4月11日に起草されたまま、未採択となっています。
③今年1月の成長抑制シンポで解説された成長抑制ワーキング・グループの議論でも、
病院とWPASの合意はまるで存在しなかったかのように丸無視されていました。
病院とWPASの合意はまるで存在しなかったかのように丸無視されていました。
WPASのCarson弁護士がWGのメンバーに加わっているにも関わらず。
④そして、今回のDiekema&Fost論文。
「障害者団体が病院にこんな合意をさせたが
あれには法的根拠がなく、医療の慣行からしても行き過ぎ。
そんな必要はない。せいぜい倫理委で検討すれば十分」と、堂々と主張。
「障害者団体が病院にこんな合意をさせたが
あれには法的根拠がなく、医療の慣行からしても行き過ぎ。
そんな必要はない。せいぜい倫理委で検討すれば十分」と、堂々と主張。
これは一体どういうことなのでしょうか。
2007年5月8日の記者会見で
病院側は最初から嘘をつくつもりで、
その場限りの合意を発表したのでしょうか。
病院側は最初から嘘をつくつもりで、
その場限りの合意を発表したのでしょうか。
それはないだろう、と思います。
いくらなんでもシアトル子ども病院ほどの公共性の高い権威ある病院が
仮にも記者会見を開き、プレスリリースまで出すのだから、
あの段階では病院側は本気で合意を守るつもりだったのでしょう。
仮にも記者会見を開き、プレスリリースまで出すのだから、
あの段階では病院側は本気で合意を守るつもりだったのでしょう。
病院は、2007年5月の段階では、とりあえずDiekema医師の抵抗を押し切ってWPASと合意し、
重症児に対する、いわゆる”Ashley療法”を封印することを選択したのだと思います。
重症児に対する、いわゆる”Ashley療法”を封印することを選択したのだと思います。
(WPASはAshley事件の真相を楯に病院に譲歩を迫っていたはずだし……)
そこで病院の公式見解が世間に表明された以上、普通ならば、
一職員に過ぎないD医師の立場としては黙らざるを得ないはずなのだけれど、
彼は黙るどころか、平気で病院の見解に反する発言を繰り返す。
一職員に過ぎないD医師の立場としては黙らざるを得ないはずなのだけれど、
彼は黙るどころか、平気で病院の見解に反する発言を繰り返す。
それは、
自分の背後にAshleyの父親がいる以上、
自分が「一職員に過ぎない」以上の存在であることを
彼が十分に知っていたからではないでしょうか。
自分の背後にAshleyの父親がいる以上、
自分が「一職員に過ぎない」以上の存在であることを
彼が十分に知っていたからではないでしょうか。
9月1日までに採択すると合意されていたはずの
「子宮摘出に関する方針」の起草は2007年10月。
「成長抑制に関する方針」の起草は翌年にずれ込んだ2008年4月。
「子宮摘出に関する方針」の起草は2007年10月。
「成長抑制に関する方針」の起草は翌年にずれ込んだ2008年4月。
この起草の時期の大幅なズレは、
病院内で意見の対立が起きていたことを示していると思われます。
病院内で意見の対立が起きていたことを示していると思われます。
少なくとも起草されているのだから、病院内に採択への意思があったことは確かでしょう。
しかし、子宮摘出よりも起草が遅れたのは、成長抑制に関しては別の意思がそれに抵抗していたためでしょう。
しかし、子宮摘出よりも起草が遅れたのは、成長抑制に関しては別の意思がそれに抵抗していたためでしょう。
その対立の結果、成長抑制に関する方針は未だに採択されていません。
すなわち、病院側がDiekema医師らの主張と圧力によって
WPASとの合意から押し戻されてしまったということであり、
すなわち、病院側がDiekema医師らの主張と圧力によって
WPASとの合意から押し戻されてしまったということであり、
Diekema医師の思惑の通りに、
彼の背後にいる人の力の前に病院は再び屈して
政治的判断をする以外になかったのではないでしょうか。
彼の背後にいる人の力の前に病院は再び屈して
政治的判断をする以外になかったのではないでしょうか。
それが、表に出せない類の政治的判断であるがゆえに
病院としてはWPASとの合意を正式に破棄することもできない。
病院としてはWPASとの合意を正式に破棄することもできない。
WPASも事情は同じ。
病院に合意を覆されたからといって「実はあれは取引でした」と
いまさら認めるわけにもいかない。
病院に合意を覆されたからといって「実はあれは取引でした」と
いまさら認めるわけにもいかない。
ここに至って、もはや、子ども病院もWPASも
Diekema医師らの動きに抗うすべがなくなってしまったのではないでしょうか。
Diekema医師らの動きに抗うすべがなくなってしまったのではないでしょうか。
Diekema医師らはAshley事件に幕引きを終えて真相を完全に隠蔽するために、
そしてAshleyの父親は、念願の”Ashley療法”を広く一般に普及させるために、
そしてAshleyの父親は、念願の”Ashley療法”を広く一般に普及させるために、
成長抑制一般化に向けた世論に対する工作として
一切のプロセスが隠蔽され、誰も知らないうちに
成長抑制ワーキング・グループなるものが組織され、シンポが開かれる。
一切のプロセスが隠蔽され、誰も知らないうちに
成長抑制ワーキング・グループなるものが組織され、シンポが開かれる。
そして、医療の世界に向けた工作として
FostがDiekemaと一緒に今回の論文を書く。
FostがDiekemaと一緒に今回の論文を書く。
おそらくは、米国小児科学会に成長抑制療法を承認させるためのステップとして。
Diekemaの背後には、ずっとAshley父がいる──。
そして、Ashley父は、きっと最初からFost と繋がっている──。
そして、Ashley父は、きっと最初からFost と繋がっている──。
そう考えれば、この事件の不可解のすべてに説明が付く。
2009.06.15 / Top↑
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