NY Times のブログに、とてもいい記事がありました。
80代の母親が持病の心臓病で主治医から手術を勧められた。
手術死の可能性4%。
それを聞いた母親は即座に「そんな手術は受けません。4%なんてイヤだもの」
それを聞いた母親は即座に「そんな手術は受けません。4%なんてイヤだもの」
ところが手術をしなかった場合には、
少しずつ病状が悪化して2年くらいの間に死ぬ確率が50%。
少しずつ病状が悪化して2年くらいの間に死ぬ確率が50%。
そういうことになると、心は乱れて、なかなか決断などできない。
主治医の義母は同じ病状で手術を受けないことに決めたが、
もうちょっと年齢が上だったので、状況が別……と、これまた悩ましい話。
もうちょっと年齢が上だったので、状況が別……と、これまた悩ましい話。
その手術の選択に、母親自身はもちろん、
家族それぞれが様々に心揺れる様子が描かれて、
最後に母親が「自分が何か決めたことによって死ぬのがイヤなの。
何か自分がしたことが原因で死ぬというのはね」と、手術を受けないことに決める。
家族それぞれが様々に心揺れる様子が描かれて、
最後に母親が「自分が何か決めたことによって死ぬのがイヤなの。
何か自分がしたことが原因で死ぬというのはね」と、手術を受けないことに決める。
私はこのままで、生きられるだけ生きるわ、と。
そして家族がみんなそれを受け入れる、という話。
この記事で何よりも心引かれたのは、実はタイトルだった。
選ばないことを選ぶ──
選ばないことを選ぶ──
私は、生きられるだけ生きるわ──
私は、生きられるだけ生きるわ──
どちらも、いい言葉だな、と思う。
2009.05.02 / Top↑
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