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今はずいぶん変わっているのかもしれないし、
変わっていてほしいと思いますが、

ウチの娘が小さかった頃は障害のある子どもを見てもらえる歯科が少なく、
大学から定期的に若い医師が送られてくる障害者センターの歯科ですら
医師の意識は本当にお粗末で
親も子も大変つらい思いをしました。

別件の検索でひょっこり行き当たった障害者歯科の専門の先生のHP。

書かれていることが本当に心に沁みて嬉しかったので、以下に。
(以下のリンクから「自閉症の歯科治療」というページにも入れます)

障害者(児)歯科 (藤本歯科医院)

          ――――――

ついでに、以前、歯科のネット抑制について書いたエントリーを以下に再掲。

不適切な歯科治療のネット抑制によって子どもを亡くされた方の裁判について知り、
その事件について書いたエントリーの続編のような形で書いたものです。

障害のある人の歯科治療でもネットで抑制される場合が沢山あり、
異常や苦痛を自分で訴えることのできない子どもや障害児・者にとって、
あのネットは慎重にも慎重を重ねて使用してもらわないと危険だということは
私も個人的にずっと感じてきました。

ウチの娘は今では経験則から予測もでき納得できているようですが、
2歳の時に初めて抑制された日のことは、
事後のただ事ではなかった様子からすれば、
きっと本人にも大きなトラウマになっていると思うし
母親である私にとってもトラウマになっています。

あの日、本人にはもちろん母親にも何の説明もなく、
娘はいきなりネットをかけられて治療が始まってしまったのです。
娘はパニックし、真っ赤になって全身で無駄に抗い続け、
ただでさえ口呼吸と鼻呼吸が分離できていないところに
泣いて鼻がふさがって、パニックから何度か口の中に小さく嘔吐しました。
それを2歳の子が自分で飲み込みながら耐えている間、
大学から短いサイクルで障害者施設に派遣されてくる若い歯科医は
声もかけるでもなく、たいして自分のペースを変えるでもなく、治療し続けました。

小さな虫歯で、実際は短い時間だったのでしょうが、
本人にとっては本当に殺されそうになるほどの本能的な危機だったでしょうし、
それを目の当たりにしながら
抑制された身体に手と言葉で励ましを送ることしかできなかった私にとっても、
長い長い拷問でした。

やっと解放された時に抱き取った娘の衣類は絞れるほど汗みずくでした。
抱き取られた瞬間に、それまで耐えていたものが噴出するかのような号泣を放ち、
さらに身体を火照らせて、30分間も全身を振り絞るような号泣を続けました。

あの時、嘔吐したものを本人が無事に飲み込めていなかったら……と思うと、
あの日のことは今でも恐怖の記憶だし、
母親の自分までが予想外の出来事にパニックして
娘を守ってやることができなかったという自責の記憶にもなっています。

歯科治療の危険を考えれば、ネット抑制そのものはやむをえないのだろうと思います。
が、問題はネットで抑制することそのものにあるのではなく、
それを使う医師の技術に加えて、その際の姿勢や対応なのではないでしょうか。

どんなに小さな子どもでも知的な障害のある人であっても、
きちんと丁寧に説明すれば、何も分からないということは断じてありません。

仮に内容が完全には理解できないとしても
相手が自分を人間として尊重してくれていることは感じられます。

「やむをえないにせよ、苦しい思いをさせて申し訳ない」という気持ちがそこにあり、
「怖いだろう、苦しいだろうから、なるべく怖くないように、なるべく苦しくないように」との配慮があれば、
細心の注意を払って患者を観察するだろうし、

なによりも
その思いは自ずと医師や看護師の言葉にも声にも手つきにも表れて、
子どもにも障害のある人にも伝わっていくものなのです。

それを「どうせ分からないから」と物を扱うような意識になるから、
機械的にネットをかけて、ロクに観察もせずに治療を続けることになる。

治療行為を拷問に変え、過誤にまで至らせてしまうのは抑制ネットでも治療行為そのものでもなく、
もの言えぬ非力な者たちを「どうせ……」と見下し、
人として尊重しない医師の冷たい意識と手さばきなのではないでしょうか。
「歯科のネット抑制について」2008/5/12
2009.03.24 / Top↑
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