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Idahoの州議会上院が
テキサスの無益な治療法とほぼ同じ内容の法案を可決。


この記事は多くをWesley Smithのブログ記事に負っているようなので、
そちらも読んでみました。

(つまりは主流メディアが記事にしていないということですね。
法整備のプロセスが複雑なために専門のロビーグループでも雇わない限り追跡は不可能で、
そのため、あまり表に出ないうちにこういうことが決まっていく怖さがある、と
Smithは以下の記事の冒頭で指摘しています。これは日本でも同じかも))


患者に対する治療が医学的に不適切である、または無益であると
医師または病院の倫理委が認めた場合には
仮にその患者が事前意思指示書によって望んでいた治療であったとしても、
病院は患者に転院先を探す15日間の猶予を与えた後に
治療を拒否することができる。

Smithは「医学的に不適切または無益」という表現が曖昧であると批判。

また不可逆的な昏睡状態に関連して
これまでは「生命を引き伸ばす」という意味で使われてきた「延命」が
ここでは「ただ死を引き伸ばすに過ぎない治療」という表現に置き換わっていることを鋭く指摘。

さらにSmithは唖然とするような法文を見つけているのですが、

いったん倫理委で治療を拒否された患者が
またその病院に再入院してきた場合には
最初の判断から6ヶ月以内であれば
当初の倫理委の決定を適用することができる、というのです。

治療を無益とされた患者が他の施設で生き延びて戻ってきたとしたら、
それは治療が無益ではなかった、当初の判断が間違いだったということなのに!

さらに、倫理委の判断で行われるように書かれている一方で、
「倫理委の協議は純粋にボランタリーなものである」との追記もあって、
これは要するに、医師がそれぞれ自分が持っている患者の命の質への偏見に基づいて
決められるということではないかとSmithは批判しています。


to Die in Idaho! Legislature Close to Passing Futile Care Bill
Wesley Smith, Secondhand Smoke, March 9, 2009




「治療の無益」と「患者の命の無益」とは別の話だから
医師だって、そこらへんはきちんと区別してくれるものだと
当初は私も考えていました。

しかし、シアトル子ども病院の生命倫理カンファにおいて
Norman Fost医師が説いた「無益な治療」論
医療における無益という概念を「量的無益」と「質的無益」に分けており、
後者は「この患者の命は助けるに値するか」と患者の命の質を秤にかけるものでした。

医療倫理の功利主義でも同じように、
全体のコストパフォーマンスから治療の有益・無益を測ろうとしています。

Smithがいうように、
このような無益な治療法が広がっていけば、
それぞれの医療現場でそれぞれの医師がそれぞれの価値観によって
治療の無益を判断することになり、そこには自ずと
患者の命の質を治療のコストと天秤にかけて
「この患者はこれ以上の治療には値しない」との判断が生じてくると思われます。

左側からは自殺幇助の合法化議論が
右側からは無益な治療論がジワジワと推し進められてきて、
その両方がだんだんと高齢者・障害者・病者の居場所を狭めていく……
……という気がしてなりません。



【注】
Idaho州上院、発達障害者の治療「無益または非人道的なら差し控え」と全員一致でというニュースが
3月3日のAP電にあったのですが、
これがSmithが取り上げている法案の一部に発達障害者に限定した項目があるのか、
それとも別に発達障害者に限定した法律が議論されているのかは、いずれの記事からもよく分かりません。


【3月18日追記】
その後、Idahoの無益な治療法は反対の声が多く、成立が難渋している模様です。


【10月19日追記】
3月の こちらの Wesley Smith の情報で、法案は流れたようです。よかった。



【テキサスの無益な治療法を巡る裁判、Gonzales事件関連エントリー】
Emilio Gonzales事件
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
TruogのGonzales事件批判
2009.03.11 / Top↑
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