今年の1月、
3か月前から担当してくれている支援者と映画を見に行った
ダウン症の男性、Robert Ethan Saylorさん(26歳)。
その映画が気に入ったので、もう一度見たいと言っていたが、
映画館を出たところで、機嫌を悪くして毒づいたり店のウインドウを叩いたりしはじめた。
その日はそれ以前にも癇癪を起していたので
困った支援者の女性が母親と他の支援者に電話で対応を相談。
しかし、その間にイーサンは再び映画館の中に戻って座席に座ってしまった。
2度めはチケットを買っていないので
劇場側は支援者の女性に退場させるよう求め、女性は自分が対処すると答えた。
ところが、
そこへ非番のアルバイトで警備員をやっている保安官代理が3人やってきて、
イーサンと口論に。
支援者の女性は、身体に触るとパニックすると警告したが、
強引に連れだそうとした警官らはイーサンに手をかけた。
体重が100キロ以上あるイーサンはパニック。
暴れながら、大声で母親を呼んだ。
保安官代理ら3人がとり押さえて連れだそうともみ合ううちに
イーサンは手錠を3つかけられたが、そこで突然、動かなくなった。
保安官代理らは手錠を外して心肺蘇生を行い、
息は吹き返したが、意識不明のままいびきをかいていた。
バルティモアの検死官局チーフは
イーサンの死因は窒息による殺人と断定。
喉にも原因不明の傷があった。
(これがいつの段階なのか、記事からはちょっと不明)
3月、Frederick郡の陪審員は警官らを不起訴にしただけでなく、
情報の自由法では公開されるべきエビデンスは
先に警察の内部調査が終わるまで無理だと言って家族にも公開されなかった。
その後、家族の代理やアドボケイト団体などが
米国司法省やメリーランド州当局に独立した調査を求め、
このほど98ページに及ぶ報告書がだされ、
事件の詳細が明らかになった。
保安官事務所の弁護士は
内部調査は終了しているとしつつ、
詳細についてはコメントできない、と語り、
「徹底的な調査が行われました。
明らかに悲劇的で不幸な出来事ですが、
しかし保安官代理には何も非はありませんでした」
Aide to man with Down syndrome who died in theater had warned police, report says
The WP, July 16, 2013
相手への配慮も理解も何もなく
問答無用の強権で何でも抑えつけようとする空気の広がり、という点では、
例えば以下のようなことが頭に浮かぶし、
授業中にケンカをすればスクール・ポリスがやってくる。そして逮捕(TX)(2012/1/12)
些細な問題行動でスクール・ポリスに逮捕される黒人生徒、白人生徒の4倍(2013/4/20)
また、
弱い者が不当な暴力にさらされた事件で、
強い側のものが守られる仕組み……という点では、
このところ米国社会を騒然とさせているジマーマン事件が頭に浮かぶ。
ただ道を歩いていただけの丸腰の黒人少年を
勝手に不審者だと決めつけた元自警団のピスパニックの青年ジマーマンが
銃を持って追いかけて、もみ合いになり、少年が射殺されてしまった。
それでもフロリダ州では正当防衛とする州法があるとされて
1カ月間も警察はジマーマンを放置。
世論の非難を浴びて逮捕したものの、
陪審員は無罪判決――。
ジマーマン事件の概要は、例えばこちらに ↓
全米を揺るがせたジマーマン無罪判決の意味(ニュースウィーク日本版 7月16日)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130716-00010000-newsweek-int
3か月前から担当してくれている支援者と映画を見に行った
ダウン症の男性、Robert Ethan Saylorさん(26歳)。
その映画が気に入ったので、もう一度見たいと言っていたが、
映画館を出たところで、機嫌を悪くして毒づいたり店のウインドウを叩いたりしはじめた。
その日はそれ以前にも癇癪を起していたので
困った支援者の女性が母親と他の支援者に電話で対応を相談。
しかし、その間にイーサンは再び映画館の中に戻って座席に座ってしまった。
2度めはチケットを買っていないので
劇場側は支援者の女性に退場させるよう求め、女性は自分が対処すると答えた。
ところが、
そこへ非番のアルバイトで警備員をやっている保安官代理が3人やってきて、
イーサンと口論に。
支援者の女性は、身体に触るとパニックすると警告したが、
強引に連れだそうとした警官らはイーサンに手をかけた。
体重が100キロ以上あるイーサンはパニック。
暴れながら、大声で母親を呼んだ。
保安官代理ら3人がとり押さえて連れだそうともみ合ううちに
イーサンは手錠を3つかけられたが、そこで突然、動かなくなった。
保安官代理らは手錠を外して心肺蘇生を行い、
息は吹き返したが、意識不明のままいびきをかいていた。
バルティモアの検死官局チーフは
イーサンの死因は窒息による殺人と断定。
喉にも原因不明の傷があった。
(これがいつの段階なのか、記事からはちょっと不明)
3月、Frederick郡の陪審員は警官らを不起訴にしただけでなく、
情報の自由法では公開されるべきエビデンスは
先に警察の内部調査が終わるまで無理だと言って家族にも公開されなかった。
その後、家族の代理やアドボケイト団体などが
米国司法省やメリーランド州当局に独立した調査を求め、
このほど98ページに及ぶ報告書がだされ、
事件の詳細が明らかになった。
保安官事務所の弁護士は
内部調査は終了しているとしつつ、
詳細についてはコメントできない、と語り、
「徹底的な調査が行われました。
明らかに悲劇的で不幸な出来事ですが、
しかし保安官代理には何も非はありませんでした」
Aide to man with Down syndrome who died in theater had warned police, report says
The WP, July 16, 2013
相手への配慮も理解も何もなく
問答無用の強権で何でも抑えつけようとする空気の広がり、という点では、
例えば以下のようなことが頭に浮かぶし、
授業中にケンカをすればスクール・ポリスがやってくる。そして逮捕(TX)(2012/1/12)
些細な問題行動でスクール・ポリスに逮捕される黒人生徒、白人生徒の4倍(2013/4/20)
また、
弱い者が不当な暴力にさらされた事件で、
強い側のものが守られる仕組み……という点では、
このところ米国社会を騒然とさせているジマーマン事件が頭に浮かぶ。
ただ道を歩いていただけの丸腰の黒人少年を
勝手に不審者だと決めつけた元自警団のピスパニックの青年ジマーマンが
銃を持って追いかけて、もみ合いになり、少年が射殺されてしまった。
それでもフロリダ州では正当防衛とする州法があるとされて
1カ月間も警察はジマーマンを放置。
世論の非難を浴びて逮捕したものの、
陪審員は無罪判決――。
ジマーマン事件の概要は、例えばこちらに ↓
全米を揺るがせたジマーマン無罪判決の意味(ニュースウィーク日本版 7月16日)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130716-00010000-newsweek-int
2013.07.28 / Top↑
『ふぉん・しいほるとの娘(上)』吉村昭 新潮文庫
其扇(そのおおぎ)は、風呂敷包みを背負って道をたどった。引田屋に使いを走らせて男衆に荷物をはこんでもらうこともできたが、その日は風呂敷包みを背負って歩きたかった。家庭の事情で遊女になったが、遊女は仮の境遇で地道に額に汗して生きることが自分に最もふさわしい道だと思っていた。役人が家に踏み込んできたことは、なにかの事件が起きたことをしめしているし、それによって自分の生活も大きく変化するかも知れない。そうした変化に堪えてゆくためには強靭な神経が必要であり、遊女として不似合かも知れぬが、一個の女として風呂敷包みを背負って歩いてゆきたかった。
しかし、重い物を手にしたことのない彼女には、その荷は重く背負ってゆくことは辛かった。身体が前のめりになり、今にも膝がくずおれそうになる。呼吸が苦しく、胸が締め付けられるように痛かった。其扇は歯を食いしばって歩いていった。
(p.329)
其扇(そのおおぎ)は、風呂敷包みを背負って道をたどった。引田屋に使いを走らせて男衆に荷物をはこんでもらうこともできたが、その日は風呂敷包みを背負って歩きたかった。家庭の事情で遊女になったが、遊女は仮の境遇で地道に額に汗して生きることが自分に最もふさわしい道だと思っていた。役人が家に踏み込んできたことは、なにかの事件が起きたことをしめしているし、それによって自分の生活も大きく変化するかも知れない。そうした変化に堪えてゆくためには強靭な神経が必要であり、遊女として不似合かも知れぬが、一個の女として風呂敷包みを背負って歩いてゆきたかった。
しかし、重い物を手にしたことのない彼女には、その荷は重く背負ってゆくことは辛かった。身体が前のめりになり、今にも膝がくずおれそうになる。呼吸が苦しく、胸が締め付けられるように痛かった。其扇は歯を食いしばって歩いていった。
(p.329)
2013.07.28 / Top↑
2006年から2010年の間に
カリフォルニア州の女性刑務所で州の委嘱医らにより、
少なくとも148例の卵管結紮による不妊手術が行われたことが
CIRの調査によって明らかになった。
また1990年代後半にも100例以上が行われた可能性も。
元囚人やアドボケイトによれば、
妊娠中に収監された女性に対して、
医師らが不妊治療に同意するよう執拗に働きかけていた、とのこと。
中には、
分娩のさなかや帝王切開の手術の手術台の上で
朦朧とする意識の中で「それで、卵管結紮をやるんですよね」などと言われて
同意を求められた、という証言も。
データベースによると1997年から2010年までに
卵管結紮に対して州から医師に支払われた金額は147,460ドル。
これは囚人に州の費用によって不妊手術を行うことを禁じた
連邦法にも州法にも違反している。
また1994年からは
不妊手術には個別に医療行政職トップの同意が必要となったにもかかわらず、
卵管結紮の要望が医療委員会に提示されたことはなかった。
医師らの言い分は、何度も帝王切開を経験した妊婦では
妊娠には子宮破裂の危険が伴うため、女性たちの健康上の理由から
不妊手術が必要だと判断したのだというものだが、
女性らはそのリスクについて説明を受けていないし、
卵管結紮に同意させられた女性の中には帝王切開は1度しか体験していない人たちも。
また当時、手術を行った医師らは、
一般女性と同じ選択肢を与えることは
収監されている貧しい女性たちに対するエンパワメントだった、とも。
Valley 州立監獄の産婦人科医だったJames Heinrich医師はCIRのインタビューで、
「(147,460ドルは)10年間で考えるとそれほど大きな額ではない。」
彼女らがさらに多くの子どもを産んで、その望まれぬ子どもたちに支払われたはずの
福祉の費用と比べてみればよい」
2005年には監獄内で医師らから
不可欠な医療でもないものを州の費用で行うことへの疑念の声もがあったというが
その後も、州の費用で賄われる医療の範疇に留め置かれた。
2006年にはUS 地域判事が同州の監獄の医療はあまりも劣悪で
残虐な刑罰を禁じた憲法の規定に違反している、と判断。
2008年にも囚人の権利擁護団体Justice Nowが
2つの監獄での不妊手術の実施について指摘し、
妊娠している囚人の扱いに対して問題提起したが、
2010年に上院議員 Carol Liuが動くまで
事態には変化はなかった。
Liu議員の依頼で調査を行った医療監査委員会のBarnettは
金銭支払いに関するデータから事実を掴み、監獄の幹部と面談し、
囚人への不妊手術を辞めるよう求めたところ、猛烈な反論を浴びたという。
16年も前に禁じられているというのに、
監獄の医療責任者も医師も看護師も委嘱医も法で禁じられていること自体を知らず、
不妊手術には許可が必要だということも知らないまま、
何の不都合もない、理にかなった処置だいう認識で行われていた、という。
CA州にも多くの州と同様に
かつて1909年から1964年の間に2万人の男女に不妊手術が行われた不幸な歴史がある。
2003年に上院議会が事実を認め、当時の知事が公式に謝罪した。
当時、上院の公聴会で証言した専門家は
「これはCA州での優生思想の歴史を理解するに当たって重要な点ですが、
目的の一つは、いかに福祉の費用を削減するか、経費削減にあったのです。
不妊手術はこの問題と深くかかわっているのです」
前述のHeinrich医師は
教唆があったとする本囚人女性らの訴えについて、
「本人たちが望んだことだった。1年化2年経ってから
強制的にやられたと言っているのは、嘘だ。
そういうことを言って、州からカネを恵んでもらおうとしているのだ」
「そんなことをする唯一の理由は、不正なことをされたと思うからではなくて、
ずっと州のカネで養われていたいと考えるからだというのが私の推測だ」
Female inmates sterilized in California prisons without approval
Center for Investigative Reporting, July 7, 2013
この記事に寄せられた、例えば以下のようなコメントが
恐らくはHeinrich医師の本音を代弁しているのかも……?
……how about the right of children not to be born to such destructive life styles. It is ultimately the children born into these deplorable circumstances that suffer.....because the women didn't give a d....m about the child they conceived. They just want to keep scr.....g around, not caring about consequences. Well, no one is denying them the pleasure of their sexual activities....just prevent pregnancy!!!! Is that so hard to understand???
そういうろくでもない生活ぶりの親のところに生まれてくる子どもの権利はどうなる?
結局のところ苦しむのは、そういう嘆かわしい環境に生まれてくる子どもたちなのだぞ。
こういう女性たちは自分が生んだ子どものことなんぞ、どうでもよくて、
ただヤリまくって、後はどうなろうとお構いなしという連中なのだからな。
だれもセックスを楽しむなと言ってはいない。ただ妊娠はさせるな、というのだ。
それだけのことが、なんで分からない?
あるいは、
these parasitic women and their children have absolutely nothing to offer this planet. since they cant keep their legs closed on their own right, this is a more economic alternative. im all for due process and human rights, but....I love the earth more.
こういうパラサイト女性とその子どもたちというのは地球に何一つもたらすことはない。
足を閉じていることができないのが、そいつらの権利なのだというなら、
これこそが、経済的な選択肢ということになるだろうよ。
然るべきプロセスと人権については支持する立場だけど、
それ以上に地球の方が大事だね。
【関連エントリー】
NC州で、かつての強制不妊事業の犠牲者への補償に向け知事命令(2011/3/21)
NC州の強制不妊事業の犠牲者への補償調査委員会から中間報告書(2011/8/15)
NC州知事が約束した強制不妊犠牲者への補償、上院が棚上げ(2012/6/21)
世界医師会が「強制不妊は医療の誤用。医療倫理違反、人権侵害」(2011/9/12)
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害」(2012/6/20)
NDRN報告書:カルメンの強制不妊ケース(2012/7/14)
カリフォルニア州の女性刑務所で州の委嘱医らにより、
少なくとも148例の卵管結紮による不妊手術が行われたことが
CIRの調査によって明らかになった。
また1990年代後半にも100例以上が行われた可能性も。
元囚人やアドボケイトによれば、
妊娠中に収監された女性に対して、
医師らが不妊治療に同意するよう執拗に働きかけていた、とのこと。
中には、
分娩のさなかや帝王切開の手術の手術台の上で
朦朧とする意識の中で「それで、卵管結紮をやるんですよね」などと言われて
同意を求められた、という証言も。
データベースによると1997年から2010年までに
卵管結紮に対して州から医師に支払われた金額は147,460ドル。
これは囚人に州の費用によって不妊手術を行うことを禁じた
連邦法にも州法にも違反している。
また1994年からは
不妊手術には個別に医療行政職トップの同意が必要となったにもかかわらず、
卵管結紮の要望が医療委員会に提示されたことはなかった。
医師らの言い分は、何度も帝王切開を経験した妊婦では
妊娠には子宮破裂の危険が伴うため、女性たちの健康上の理由から
不妊手術が必要だと判断したのだというものだが、
女性らはそのリスクについて説明を受けていないし、
卵管結紮に同意させられた女性の中には帝王切開は1度しか体験していない人たちも。
また当時、手術を行った医師らは、
一般女性と同じ選択肢を与えることは
収監されている貧しい女性たちに対するエンパワメントだった、とも。
Valley 州立監獄の産婦人科医だったJames Heinrich医師はCIRのインタビューで、
「(147,460ドルは)10年間で考えるとそれほど大きな額ではない。」
彼女らがさらに多くの子どもを産んで、その望まれぬ子どもたちに支払われたはずの
福祉の費用と比べてみればよい」
2005年には監獄内で医師らから
不可欠な医療でもないものを州の費用で行うことへの疑念の声もがあったというが
その後も、州の費用で賄われる医療の範疇に留め置かれた。
2006年にはUS 地域判事が同州の監獄の医療はあまりも劣悪で
残虐な刑罰を禁じた憲法の規定に違反している、と判断。
2008年にも囚人の権利擁護団体Justice Nowが
2つの監獄での不妊手術の実施について指摘し、
妊娠している囚人の扱いに対して問題提起したが、
2010年に上院議員 Carol Liuが動くまで
事態には変化はなかった。
Liu議員の依頼で調査を行った医療監査委員会のBarnettは
金銭支払いに関するデータから事実を掴み、監獄の幹部と面談し、
囚人への不妊手術を辞めるよう求めたところ、猛烈な反論を浴びたという。
16年も前に禁じられているというのに、
監獄の医療責任者も医師も看護師も委嘱医も法で禁じられていること自体を知らず、
不妊手術には許可が必要だということも知らないまま、
何の不都合もない、理にかなった処置だいう認識で行われていた、という。
CA州にも多くの州と同様に
かつて1909年から1964年の間に2万人の男女に不妊手術が行われた不幸な歴史がある。
2003年に上院議会が事実を認め、当時の知事が公式に謝罪した。
当時、上院の公聴会で証言した専門家は
「これはCA州での優生思想の歴史を理解するに当たって重要な点ですが、
目的の一つは、いかに福祉の費用を削減するか、経費削減にあったのです。
不妊手術はこの問題と深くかかわっているのです」
前述のHeinrich医師は
教唆があったとする本囚人女性らの訴えについて、
「本人たちが望んだことだった。1年化2年経ってから
強制的にやられたと言っているのは、嘘だ。
そういうことを言って、州からカネを恵んでもらおうとしているのだ」
「そんなことをする唯一の理由は、不正なことをされたと思うからではなくて、
ずっと州のカネで養われていたいと考えるからだというのが私の推測だ」
Female inmates sterilized in California prisons without approval
Center for Investigative Reporting, July 7, 2013
この記事に寄せられた、例えば以下のようなコメントが
恐らくはHeinrich医師の本音を代弁しているのかも……?
……how about the right of children not to be born to such destructive life styles. It is ultimately the children born into these deplorable circumstances that suffer.....because the women didn't give a d....m about the child they conceived. They just want to keep scr.....g around, not caring about consequences. Well, no one is denying them the pleasure of their sexual activities....just prevent pregnancy!!!! Is that so hard to understand???
そういうろくでもない生活ぶりの親のところに生まれてくる子どもの権利はどうなる?
結局のところ苦しむのは、そういう嘆かわしい環境に生まれてくる子どもたちなのだぞ。
こういう女性たちは自分が生んだ子どものことなんぞ、どうでもよくて、
ただヤリまくって、後はどうなろうとお構いなしという連中なのだからな。
だれもセックスを楽しむなと言ってはいない。ただ妊娠はさせるな、というのだ。
それだけのことが、なんで分からない?
あるいは、
these parasitic women and their children have absolutely nothing to offer this planet. since they cant keep their legs closed on their own right, this is a more economic alternative. im all for due process and human rights, but....I love the earth more.
こういうパラサイト女性とその子どもたちというのは地球に何一つもたらすことはない。
足を閉じていることができないのが、そいつらの権利なのだというなら、
これこそが、経済的な選択肢ということになるだろうよ。
然るべきプロセスと人権については支持する立場だけど、
それ以上に地球の方が大事だね。
【関連エントリー】
NC州で、かつての強制不妊事業の犠牲者への補償に向け知事命令(2011/3/21)
NC州の強制不妊事業の犠牲者への補償調査委員会から中間報告書(2011/8/15)
NC州知事が約束した強制不妊犠牲者への補償、上院が棚上げ(2012/6/21)
世界医師会が「強制不妊は医療の誤用。医療倫理違反、人権侵害」(2011/9/12)
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害」(2012/6/20)
NDRN報告書:カルメンの強制不妊ケース(2012/7/14)
2013.07.28 / Top↑
今日、「私らの子」が、
また一人亡くなった。
それで、
09年3月29日に書いた
以下のエントリーを再掲したくなった。
葬式(2009/3/29)
身近な子どもが、また1人亡くなった。
とても重度ではあるけれど元気な子だったのに……と
知らせを聞いて絶句する。
電話で知らせてくれた人と、
いつもこういう時に繰り返す儀式のように
「○○さんちのAちゃんの時には、こうだったよね」
「そういえば△△さんちのB君の時も、こうだったっけ」
いつのまにか数えることをやめてしまった子どもたちの死を1つずつ振り返る。
ずっと身近で見て、よく知っている子もいたし、
顔を知っている程度という子もあった。
時には子どもですらなくて、いい年のオッサンだったりもした。
中学校まで娘のクラスメートだった男性は、
かつて就学猶予を強制された年齢超過者で私よりも年上だった。
でも、どの子もどの人も、亡くなったという知らせを受けると、
私はいつも「私らの子が、また1人死んだ……」という感じがする。
私らの子が、また1人死んだ――。
そういえば、あの子もこの子も、いなくなった。
いつのまにか、私らの子が、もう、こんなにたくさん死んでしまった――。
養護学校の卒業式の後とんと会わなくなった重症児の親たちが葬式で顔を合わせて、
通園時代や養護学校時代の親の同窓会みたいだ。
焼香で人が動く時に見知った顔を見つけて、同時に、
その人の子どもがずっと前に危篤状態になったことを思い出す。
ウチの娘と同じで、幼児期には健康でいる日など数えるほどしかない子だった。
お母さんも「この子はそう長くは生きないだろうから」とよく口にしたし
「そんなことないよ」と言いながら、周りの人たちだって本当は心の中でそう思っていた。
それでも彼女の娘は数年前に成人式を迎えて、今もちゃんと生きている。
そういえば、あの子も、そして、この子も……と指を折ってみれば
ちゃんと生きている子だって沢山いることに驚かされる。
へんな言い方だけれど、仲間内で子どもたちが初めて死に始めた頃は
誰かの子どもが亡くなると、次はどこの子だろう、
もしかしたらウチの子だろうかと、みんな疑心暗鬼に駆られて
内心で子どもたちを重症度や体の弱さで順に並べてみたりしたものだったけど、
この子たちは決して、障害の重い順、弱い順に死んでいくわけじゃない。
とても重度で虚弱で、長くは生きられないだろうと誰もが思っていた子どもが
ある年齢から急に元気になることもあるし、
弱いまま何度も死にそうになったり、医師や親にいよいよだと覚悟させたりしながら
それでもちゃんと生きている子どもたちもいっぱいいる。
そうかと思うと、
それほど重度なわけでもなく、障害があるなりに元気だった子が
ある日突然に体調を崩し、あっという間に逝ってしまったりする。
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの不思議を
説明することなど誰にもできない。
人の生き死には、人智を越えたところにある。
今日、葬式で
いっぱい死んでいった子どもたちや、
まだいっぱい、ちゃんと生きている子どもたちの顔を一つ一つ思い浮かべて、
改めて、そのことを思った。
同じように重い障害を持って生まれてきて、
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議を
いったい誰に説明できるというのだろう。
そんな、人智をはるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。
「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、
そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。
生まれてきて、そこにある命が
生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。
障害があろうとなかろうと、
どんなに重い障害があろうと、
生きてはいけない人なんて、どこにもいない。
重い障害を負った私らの子は
次々に死んでいくように見えるけれども、
本当は障害のあるなしとは無関係に
誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。
だから、
あの子もこの子も、生きてこの世にある間は
生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──
それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と
亡くなった子の遺影を見上げて、心の底から祈った。
また一人亡くなった。
それで、
09年3月29日に書いた
以下のエントリーを再掲したくなった。
葬式(2009/3/29)
身近な子どもが、また1人亡くなった。
とても重度ではあるけれど元気な子だったのに……と
知らせを聞いて絶句する。
電話で知らせてくれた人と、
いつもこういう時に繰り返す儀式のように
「○○さんちのAちゃんの時には、こうだったよね」
「そういえば△△さんちのB君の時も、こうだったっけ」
いつのまにか数えることをやめてしまった子どもたちの死を1つずつ振り返る。
ずっと身近で見て、よく知っている子もいたし、
顔を知っている程度という子もあった。
時には子どもですらなくて、いい年のオッサンだったりもした。
中学校まで娘のクラスメートだった男性は、
かつて就学猶予を強制された年齢超過者で私よりも年上だった。
でも、どの子もどの人も、亡くなったという知らせを受けると、
私はいつも「私らの子が、また1人死んだ……」という感じがする。
私らの子が、また1人死んだ――。
そういえば、あの子もこの子も、いなくなった。
いつのまにか、私らの子が、もう、こんなにたくさん死んでしまった――。
養護学校の卒業式の後とんと会わなくなった重症児の親たちが葬式で顔を合わせて、
通園時代や養護学校時代の親の同窓会みたいだ。
焼香で人が動く時に見知った顔を見つけて、同時に、
その人の子どもがずっと前に危篤状態になったことを思い出す。
ウチの娘と同じで、幼児期には健康でいる日など数えるほどしかない子だった。
お母さんも「この子はそう長くは生きないだろうから」とよく口にしたし
「そんなことないよ」と言いながら、周りの人たちだって本当は心の中でそう思っていた。
それでも彼女の娘は数年前に成人式を迎えて、今もちゃんと生きている。
そういえば、あの子も、そして、この子も……と指を折ってみれば
ちゃんと生きている子だって沢山いることに驚かされる。
へんな言い方だけれど、仲間内で子どもたちが初めて死に始めた頃は
誰かの子どもが亡くなると、次はどこの子だろう、
もしかしたらウチの子だろうかと、みんな疑心暗鬼に駆られて
内心で子どもたちを重症度や体の弱さで順に並べてみたりしたものだったけど、
この子たちは決して、障害の重い順、弱い順に死んでいくわけじゃない。
とても重度で虚弱で、長くは生きられないだろうと誰もが思っていた子どもが
ある年齢から急に元気になることもあるし、
弱いまま何度も死にそうになったり、医師や親にいよいよだと覚悟させたりしながら
それでもちゃんと生きている子どもたちもいっぱいいる。
そうかと思うと、
それほど重度なわけでもなく、障害があるなりに元気だった子が
ある日突然に体調を崩し、あっという間に逝ってしまったりする。
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの不思議を
説明することなど誰にもできない。
人の生き死には、人智を越えたところにある。
今日、葬式で
いっぱい死んでいった子どもたちや、
まだいっぱい、ちゃんと生きている子どもたちの顔を一つ一つ思い浮かべて、
改めて、そのことを思った。
同じように重い障害を持って生まれてきて、
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議を
いったい誰に説明できるというのだろう。
そんな、人智をはるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。
「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、
そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。
生まれてきて、そこにある命が
生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。
障害があろうとなかろうと、
どんなに重い障害があろうと、
生きてはいけない人なんて、どこにもいない。
重い障害を負った私らの子は
次々に死んでいくように見えるけれども、
本当は障害のあるなしとは無関係に
誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。
だから、
あの子もこの子も、生きてこの世にある間は
生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──
それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と
亡くなった子の遺影を見上げて、心の底から祈った。
2013.07.28 / Top↑
療育園との連絡ノートより
七夕会は、
前半の由来を聞いたりペープサートを見たりするところは
とっても静か。穏やかに過ごされていました。
後半、
全員の願い事を読みあげてゆくと、
徐々にテンション ↑ UP。
「私のは?」「まだ?」と言わんばかりに
声を出しておられました。
おやつはチョコレートムースでしたが、
ぺろりと、あっという間に食べられましたヨ。
昼ごはんが終わり、デイルームにおりたミュウさん。
必死で「オゥオゥッ」と言いながらTVを見つめています。
少しとなりの場所まで進んでいたミュウさんに
「がんばって元に戻って」というと、
手と足で振りをつけ、体を動かします。
「すごーい」とみんなで見ていると
「ア☆ハーン」と自慢げになり、
「TVみたいんよね。スイッチ押してくれる?」と
TVのリモコンをクッションなどで傾け、ミュウさんが押せるようにセッティング。
「オウ オウ」と興奮気味にボタンへ手が伸びてくる。
スタッフも見守り、「すごい、すごい」と言っていると、
少し違うボタンだけど必死で押してくれました。
その後「ここ押して」と赤いボタンへ手がいくように添えると、
満面の笑みを浮かべ、スイッチON!!
「ミュウちゃんが押してTVがついたよ」と言っていると
また自慢げな表情。
今日はみんなのお昼時間のためにミュウちゃんの活躍でTVが見れました。
「ごきげんよう」をこれまた
くいいるように見ているミュウさんでした。
……この単細胞ぶりは
はい。母親譲りです……。
七夕会は、
前半の由来を聞いたりペープサートを見たりするところは
とっても静か。穏やかに過ごされていました。
後半、
全員の願い事を読みあげてゆくと、
徐々にテンション ↑ UP。
「私のは?」「まだ?」と言わんばかりに
声を出しておられました。
おやつはチョコレートムースでしたが、
ぺろりと、あっという間に食べられましたヨ。
昼ごはんが終わり、デイルームにおりたミュウさん。
必死で「オゥオゥッ」と言いながらTVを見つめています。
少しとなりの場所まで進んでいたミュウさんに
「がんばって元に戻って」というと、
手と足で振りをつけ、体を動かします。
「すごーい」とみんなで見ていると
「ア☆ハーン」と自慢げになり、
「TVみたいんよね。スイッチ押してくれる?」と
TVのリモコンをクッションなどで傾け、ミュウさんが押せるようにセッティング。
「オウ オウ」と興奮気味にボタンへ手が伸びてくる。
スタッフも見守り、「すごい、すごい」と言っていると、
少し違うボタンだけど必死で押してくれました。
その後「ここ押して」と赤いボタンへ手がいくように添えると、
満面の笑みを浮かべ、スイッチON!!
「ミュウちゃんが押してTVがついたよ」と言っていると
また自慢げな表情。
今日はみんなのお昼時間のためにミュウちゃんの活躍でTVが見れました。
「ごきげんよう」をこれまた
くいいるように見ているミュウさんでした。
……この単細胞ぶりは
はい。母親譲りです……。
2013.07.28 / Top↑