教えてくださる方があって、読んだ。
倫理の腐敗としての「胃ろう不要論」
高山義浩 apital 2013年6月19日
心が温かくなって、
じん、と感謝の気持ちに満たされた。
例えば、以下の個所など。
(ゴチックは例によって、共感を込めてspitibara)
私は胃ろう推進論者ではありませんが、胃ろうを選択した方々が後ろめたさを感じることがないよう配慮したいと思っています。寝たきりでも、発語不能でも、 それで尊厳がないと誰が言えるでしょうか? コミュニケーションできることは「生命の要件」ではありません。胃ろうを受けながら穏やかに眠り続けてい る・・・、そんな温室植物のように静謐な命があってもよいと私は思うのです。
「拘縮して会話不能な寝たきり高齢者に胃ろうは必要か?」という思考実験は、胃ろうのもつ倫理的課題を明らかにします。その実験自体は大切なことだし、そこ で皆が感じている直観は「(それぞれに)正しい」と私も思います。ただ、その結果、胃ろうを選択する全ての患者さんへと疑念を向けてしまう「倫理の腐敗」 が日本社会に起きつつないでしょうか?
胃ろうについて悩んでいる方々のこと、もう少し、そっとしておいてくださると助かります。
未読の方、ぜひ読んでいただければ――。
胃ろうの問題については
当ブログでも何度も書いてきました。
それについては以下に ↓
ETV特集を機に「胃ろう」について書いたエントリーをまとめてみる(2010/7/26)
“栄養補給所”を作って「業務がはかどる」と胸を張った師長さん、「胃ろう検討は十分な看護ケアをしてから」と主張した師長さん(2010/7/26)
また、同医師が同じサイト書かれた
縛られる患者たち(2013年1月31日)も良いです。
この記事に関するツイッターでのやり取りの中で高山医師は以下のように書いている。
弱者を犠牲にして集団を守ろうとする傾向が強まっているようなので、とくに医療者は気をつけなければいけないと思っています。
その他、以下も面白かった。
真実を伝えること、判断を待つこと(2012年25日)
沖縄戦と延命医療(2013年4月1日)も
------
ついでに高山医師のツイッターを覗いてみて、
ひゃっほー!! と叫んでしまったツイートを2つ。
病児ケアは保護者の理解度や観察力が重要なので、観察マニュアルを配布して「分かったでしょ」では、むしろ危険なんですよね。母親の直観が大切だし、それを磨いてほしい。まあ、患者の検査データばかりみていて、患者の顔色で「やばい」と思えない研修医もいます。
(1月20日)
残念ながら「研修医」だけではなかったりもして……。
私は基礎研究者を尊敬していますし、その業績のうえで仕事をさせていただいていますが、感染症について単純化したモデル(ゲノムだけみてどうのこうの)を みながら、結論めいて独白する研究者には自制を求めたいと思いますね。いま、フィールドを走り回っている疫学研究者の報告を待つべきです。
(4月4日)
倫理の腐敗としての「胃ろう不要論」
高山義浩 apital 2013年6月19日
心が温かくなって、
じん、と感謝の気持ちに満たされた。
例えば、以下の個所など。
(ゴチックは例によって、共感を込めてspitibara)
私は胃ろう推進論者ではありませんが、胃ろうを選択した方々が後ろめたさを感じることがないよう配慮したいと思っています。寝たきりでも、発語不能でも、 それで尊厳がないと誰が言えるでしょうか? コミュニケーションできることは「生命の要件」ではありません。胃ろうを受けながら穏やかに眠り続けてい る・・・、そんな温室植物のように静謐な命があってもよいと私は思うのです。
「拘縮して会話不能な寝たきり高齢者に胃ろうは必要か?」という思考実験は、胃ろうのもつ倫理的課題を明らかにします。その実験自体は大切なことだし、そこ で皆が感じている直観は「(それぞれに)正しい」と私も思います。ただ、その結果、胃ろうを選択する全ての患者さんへと疑念を向けてしまう「倫理の腐敗」 が日本社会に起きつつないでしょうか?
胃ろうについて悩んでいる方々のこと、もう少し、そっとしておいてくださると助かります。
未読の方、ぜひ読んでいただければ――。
胃ろうの問題については
当ブログでも何度も書いてきました。
それについては以下に ↓
ETV特集を機に「胃ろう」について書いたエントリーをまとめてみる(2010/7/26)
“栄養補給所”を作って「業務がはかどる」と胸を張った師長さん、「胃ろう検討は十分な看護ケアをしてから」と主張した師長さん(2010/7/26)
また、同医師が同じサイト書かれた
縛られる患者たち(2013年1月31日)も良いです。
この記事に関するツイッターでのやり取りの中で高山医師は以下のように書いている。
弱者を犠牲にして集団を守ろうとする傾向が強まっているようなので、とくに医療者は気をつけなければいけないと思っています。
その他、以下も面白かった。
真実を伝えること、判断を待つこと(2012年25日)
沖縄戦と延命医療(2013年4月1日)も
------
ついでに高山医師のツイッターを覗いてみて、
ひゃっほー!! と叫んでしまったツイートを2つ。
病児ケアは保護者の理解度や観察力が重要なので、観察マニュアルを配布して「分かったでしょ」では、むしろ危険なんですよね。母親の直観が大切だし、それを磨いてほしい。まあ、患者の検査データばかりみていて、患者の顔色で「やばい」と思えない研修医もいます。
(1月20日)
残念ながら「研修医」だけではなかったりもして……。
私は基礎研究者を尊敬していますし、その業績のうえで仕事をさせていただいていますが、感染症について単純化したモデル(ゲノムだけみてどうのこうの)を みながら、結論めいて独白する研究者には自制を求めたいと思いますね。いま、フィールドを走り回っている疫学研究者の報告を待つべきです。
(4月4日)
2013.06.24 / Top↑
ベルギーで未成年にも安楽死を拡大しようという提案が出ていることについては
これまで以下のエントリーで拾ってきましたが、
ベルギー社会主義党「未成年と認知症患者にも安楽死を」(2012/12/22)
ベルギーでは既に未成年にも安楽死が日常的に行われていた(2013/3/3)
土曜日のBioEdgeのニュースレターに続報があり、
ベルギーの議会は未成年に安楽死を認めることで合意した模様。
さらにオランダでも、オランダ医師会から
「重症障害のある新生児の生命に関する医療決定」という新たな報告書が出され、
障害のある新生児の安楽死が許容されるだけでなく必要である、と説いている、とのこと。
もともとオランダでは2004年のグローニンゲン・プロトコルで
新生児の安楽死は認められているものの、
今回新たに打ち出された見解は
障害のある新生児の安楽死が正当化される理由に
親の苦悩を挙げている。
この報告書の著者の一人が新聞に語っているのは、
「こういう子どもたちというのは灰色で身体も冷たく、
唇も真っ青なのに何分か毎にいきなり大きな息をするんですよ。
見ているのもたまらない(nasty)姿です。しかも、それが
何時間も、時には何日も続くんです」
その一方、その発言をした医師ですら、
乳児自身は苦しんでいない可能性も認めるが、
いずれにせよ死にゆく我が子を見ていなければならない親の苦しみは客観的な事実で
そんなストレスを緩和することも良き緩和ケアの一環である、と。
報告書が提案する新生児安楽死の基準は、
その子どもが苦しんでいて、
自分の望みを表現することができず、
死が避けがたく、
死のプロセスが長引かされているなら、
親がそれ以上に苦しまないで済むよう子どもを安楽死させてもよい、と。
年間175000人生まれる新生児のうち、
650人くらいが安楽死の対象となるのでは、とオランダ医師会。
これらの乳児は、濃厚な集中治療を行ったとしても、確実に短期間のうちに死ぬことになる。予後は悪く、生きられる見込みも薄い。集中治療を必要としない子どももいるが、彼らは生きたとしても、非常に苦しく望みのない人生を生きることになる。医師と親とは、治療を開始すべきか続けるべきか、あるいは良い行いも、子どもの健康状態があまりに悪くて結果的に苦しんだり障害を負うことになるなら、実際には害になるのでは、と非常に深い問いに直面する。
Put diabled babies out of our misery, say Dutch doctors
BioEdge, June 14, 2013
これまで以下のエントリーで拾ってきましたが、
ベルギー社会主義党「未成年と認知症患者にも安楽死を」(2012/12/22)
ベルギーでは既に未成年にも安楽死が日常的に行われていた(2013/3/3)
土曜日のBioEdgeのニュースレターに続報があり、
ベルギーの議会は未成年に安楽死を認めることで合意した模様。
さらにオランダでも、オランダ医師会から
「重症障害のある新生児の生命に関する医療決定」という新たな報告書が出され、
障害のある新生児の安楽死が許容されるだけでなく必要である、と説いている、とのこと。
もともとオランダでは2004年のグローニンゲン・プロトコルで
新生児の安楽死は認められているものの、
今回新たに打ち出された見解は
障害のある新生児の安楽死が正当化される理由に
親の苦悩を挙げている。
この報告書の著者の一人が新聞に語っているのは、
「こういう子どもたちというのは灰色で身体も冷たく、
唇も真っ青なのに何分か毎にいきなり大きな息をするんですよ。
見ているのもたまらない(nasty)姿です。しかも、それが
何時間も、時には何日も続くんです」
その一方、その発言をした医師ですら、
乳児自身は苦しんでいない可能性も認めるが、
いずれにせよ死にゆく我が子を見ていなければならない親の苦しみは客観的な事実で
そんなストレスを緩和することも良き緩和ケアの一環である、と。
報告書が提案する新生児安楽死の基準は、
その子どもが苦しんでいて、
自分の望みを表現することができず、
死が避けがたく、
死のプロセスが長引かされているなら、
親がそれ以上に苦しまないで済むよう子どもを安楽死させてもよい、と。
年間175000人生まれる新生児のうち、
650人くらいが安楽死の対象となるのでは、とオランダ医師会。
これらの乳児は、濃厚な集中治療を行ったとしても、確実に短期間のうちに死ぬことになる。予後は悪く、生きられる見込みも薄い。集中治療を必要としない子どももいるが、彼らは生きたとしても、非常に苦しく望みのない人生を生きることになる。医師と親とは、治療を開始すべきか続けるべきか、あるいは良い行いも、子どもの健康状態があまりに悪くて結果的に苦しんだり障害を負うことになるなら、実際には害になるのでは、と非常に深い問いに直面する。
Put diabled babies out of our misery, say Dutch doctors
BioEdge, June 14, 2013
2013.06.18 / Top↑
5日にカナダのケベック州議会に提出された
自殺幇助らしきものの合法化法案について、
報道がたくさん流れているのだけれど、
いくつかにざっと目を通してみて、肝心の部分に関する表現が
physician assisted suicide ではなく medically assisted suicide とされていたり
assisted dying や medically assisted deathだとか
「終末期の患者にmedical assistanceを受けて死ぬ権利」など、
ものすごく曖昧な表現に終始していることが
ここ数日、ずっと気になっていました。
やっと、はっきりさせてくれる記事と出くわしたところ、
なんと、なんと、この法案、
ぜんぜん「医師による自殺幇助」の合法化なんかじゃない。
れっきとした「安楽死」合法化法案だった。
記事から、事実関係を以下に。
・法案の名称は、Bill 52:An Act Respecting End-of-Life Care。
提出したのはケベック州の副保健大臣が属するケベック独立党。
・死への医療的幇助(medical aid to die)とは、死をもたらす注射の意。
・患者は、また患者に自己決定能力がない場合は同意見のある人が、
予後、その鎮静が不可逆で死につながる性格のものであること、予測される長さを、
同意書に署名する前に知らされていなければならない。
(the irreversible and terminal nature of the sedation と書かれているのだけど
通常の sedation である鎮静なら可逆的だし、それ自体ターミナルでもないので
ここの sedation とは上記の「死をもたらす注射」の意と思われるのですが
じゃぁ、なぜ、そう書かずに、わざわざ sedationと、混同をまねく書き方をするのだろう????)
・患者自身が「自由意思で、インフォームを受けたうえで」
日付入りの同意用紙に署名し、自分で死への医療的幇助を申請しなければならない。
患者が同意することができない場合には、
未成年でなく医療チームのメンバーでもない第三者が
医療職の立ち会いのもとで同意書に署名し、
その医療職が立会人として確認の署名を行う。
・誰かの代理で同意する権限が認められるためには
患者本人が同意能力を失う前に医療による幇助死(medically assisted death)への同意が
伝えられていなければならない。
・患者はケベック州在住の18歳以上で、
不治の病で、不可逆的な健康状態の悪化と、
「本人が許容できる方法では軽減することのできない
絶え間のない、耐え難い身体的または心理的な苦痛」に苦しんでいること。
(心理的な苦痛でも可、という個所の拡大解釈の問題が
ベルギーの安楽死法でも指摘されています)
Veronique Hivon副大臣は、
この法案が成立しても、連邦政府の刑法に触れることはない、と確信している。
なぜならば、連邦刑法で自殺幇助は禁じられているが
安楽死は特にそれと名指しで禁じられているわけではないから。
それから、もう一つ、
医療行政の責任は各州にあるから。
(それなら、どうして堂々と「安楽死」と言わないんだろう?)
なお、連邦政府の法務大臣は
ケベック州の法案について、今後どういうことになっていくのか注視する、と。
Quebec bill addresses assisted death
Proposed law gives dying patients right to die with medical assistance
The Ottawa Citizen, June 13, 2013
他に、この記事がざっと取りまとめている
これまでのカナダでの動きとしては、
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
(委員会が提言したのは、医師による自殺幇助と自発的安楽死)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)
その他、ケベックの自殺幇助合法化議論関連エントリーはこちら ↓
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの小児外科医「これほどの医療崩壊を放置してPAS合法化なんて、とんでもない」(2013/1/19)
ケベックでもオーストラリアでもPAS合法化を巡る攻防(2013/6/6)
ケベックの看護師のmedically assisted suicide合法化への疑念(2013/6/13)
その他、カナダの自殺幇助合法化議論関連エントリーはこちら ↓
カナダの議会でも自殺幇助合法化法案、9月に審議(2009/7/10)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
カナダの議会で自殺幇助合法化法案が審議入り(2009/10/2)
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)
カナダの法学者「自殺幇助合法化は緩和ケアが平等に保障されてから」(2011/2/5)
カナダで自殺幇助合法化を求め市民団体が訴訟(2011/4/27)
―――――――
日本尊厳死協会の岩尾理事長も
医師による自殺幇助を「消極的安楽死」と定義した際に、
「最近は臨死介助という言葉に置き換えられる」と語っている ↓
日本尊厳死協会理事長・岩尾氏の講演内容の不思議 2(2012/10/23)
どうも世界的に、
文言の曖昧化によって、概念そのもののなし崩し的な拡大が
狙われているような気がしてならないんだけど……。
それにしても、よ、
physician assisted suicide とは、
医師が致死薬を処方し患者本人が飲む「医師による自殺幇助」。
medically assisted suicide とは、
医師が致死薬を注射する「医療的自殺幇助」。
後者は、またの名を「積極的安楽死」とも言います。
……だって。ちゃんと覚えておきませう。
自殺幇助らしきものの合法化法案について、
報道がたくさん流れているのだけれど、
いくつかにざっと目を通してみて、肝心の部分に関する表現が
physician assisted suicide ではなく medically assisted suicide とされていたり
assisted dying や medically assisted deathだとか
「終末期の患者にmedical assistanceを受けて死ぬ権利」など、
ものすごく曖昧な表現に終始していることが
ここ数日、ずっと気になっていました。
やっと、はっきりさせてくれる記事と出くわしたところ、
なんと、なんと、この法案、
ぜんぜん「医師による自殺幇助」の合法化なんかじゃない。
れっきとした「安楽死」合法化法案だった。
記事から、事実関係を以下に。
・法案の名称は、Bill 52:An Act Respecting End-of-Life Care。
提出したのはケベック州の副保健大臣が属するケベック独立党。
・死への医療的幇助(medical aid to die)とは、死をもたらす注射の意。
・患者は、また患者に自己決定能力がない場合は同意見のある人が、
予後、その鎮静が不可逆で死につながる性格のものであること、予測される長さを、
同意書に署名する前に知らされていなければならない。
(the irreversible and terminal nature of the sedation と書かれているのだけど
通常の sedation である鎮静なら可逆的だし、それ自体ターミナルでもないので
ここの sedation とは上記の「死をもたらす注射」の意と思われるのですが
じゃぁ、なぜ、そう書かずに、わざわざ sedationと、混同をまねく書き方をするのだろう????)
・患者自身が「自由意思で、インフォームを受けたうえで」
日付入りの同意用紙に署名し、自分で死への医療的幇助を申請しなければならない。
患者が同意することができない場合には、
未成年でなく医療チームのメンバーでもない第三者が
医療職の立ち会いのもとで同意書に署名し、
その医療職が立会人として確認の署名を行う。
・誰かの代理で同意する権限が認められるためには
患者本人が同意能力を失う前に医療による幇助死(medically assisted death)への同意が
伝えられていなければならない。
・患者はケベック州在住の18歳以上で、
不治の病で、不可逆的な健康状態の悪化と、
「本人が許容できる方法では軽減することのできない
絶え間のない、耐え難い身体的または心理的な苦痛」に苦しんでいること。
(心理的な苦痛でも可、という個所の拡大解釈の問題が
ベルギーの安楽死法でも指摘されています)
Veronique Hivon副大臣は、
この法案が成立しても、連邦政府の刑法に触れることはない、と確信している。
なぜならば、連邦刑法で自殺幇助は禁じられているが
安楽死は特にそれと名指しで禁じられているわけではないから。
それから、もう一つ、
医療行政の責任は各州にあるから。
(それなら、どうして堂々と「安楽死」と言わないんだろう?)
なお、連邦政府の法務大臣は
ケベック州の法案について、今後どういうことになっていくのか注視する、と。
Quebec bill addresses assisted death
Proposed law gives dying patients right to die with medical assistance
The Ottawa Citizen, June 13, 2013
他に、この記事がざっと取りまとめている
これまでのカナダでの動きとしては、
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
(委員会が提言したのは、医師による自殺幇助と自発的安楽死)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)
その他、ケベックの自殺幇助合法化議論関連エントリーはこちら ↓
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの小児外科医「これほどの医療崩壊を放置してPAS合法化なんて、とんでもない」(2013/1/19)
ケベックでもオーストラリアでもPAS合法化を巡る攻防(2013/6/6)
ケベックの看護師のmedically assisted suicide合法化への疑念(2013/6/13)
その他、カナダの自殺幇助合法化議論関連エントリーはこちら ↓
カナダの議会でも自殺幇助合法化法案、9月に審議(2009/7/10)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
カナダの議会で自殺幇助合法化法案が審議入り(2009/10/2)
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)
カナダの法学者「自殺幇助合法化は緩和ケアが平等に保障されてから」(2011/2/5)
カナダで自殺幇助合法化を求め市民団体が訴訟(2011/4/27)
―――――――
日本尊厳死協会の岩尾理事長も
医師による自殺幇助を「消極的安楽死」と定義した際に、
「最近は臨死介助という言葉に置き換えられる」と語っている ↓
日本尊厳死協会理事長・岩尾氏の講演内容の不思議 2(2012/10/23)
どうも世界的に、
文言の曖昧化によって、概念そのもののなし崩し的な拡大が
狙われているような気がしてならないんだけど……。
それにしても、よ、
physician assisted suicide とは、
医師が致死薬を処方し患者本人が飲む「医師による自殺幇助」。
medically assisted suicide とは、
医師が致死薬を注射する「医療的自殺幇助」。
後者は、またの名を「積極的安楽死」とも言います。
……だって。ちゃんと覚えておきませう。
2013.06.18 / Top↑
ダ、ケベック州議会に
medically assisted suicide 合法化法案が提出されたことについて、
(別情報で見た情報では、審議は秋になるとのこと)
地元紙Montreal Gazetteに、
外科病棟で9年間働いてきた看護師からの意見が寄せられている。
さすがに患者のすぐそばに寄りそってケアする人の視点を感じさせて、
ぐっときたので、概要を以下に。
この看護師は9年以上の外科での体験から、
「PAS合法化に向かう法案を提出するのを
議員らは急ぐべきではない」という。
ぱっと考えれば死に向かうプロセスは何段階かに分かれると思えるだろうけれど、
現実にはそう単純なものではない。
まず最初の段階として、
患者本人も家族も、もはや治ることはないのだと実感として知るが
その時にはそれまで生きてくるにあたって支えとなってきたものの一切が
何の役にも立たなくなるような絶望に襲われる。
互いに手を取り涙にくれる気持ちはその後も
残された時間を生きる本人と家族に付きまとう。
次に、主治医と緩和ケアの相談をする段階となるが、
この段階から後について、この人が書いていることがたいそう興味深い。
実際には、この相談は少しばかり皮肉なものである。
というのは、どんな専門領域の医師であれ
死や死をどのように扱ったらよいかについて
医師はほとんど知らないからだ。
そこで疑問が起こってくる。
そんな状態でPASが合法化されるなら
一体その死の幇助は誰が行うのだろう?
患者の主治医?
でも、その主治医自身が、死をどう扱ったらいいか、
誰かに教えてもらいたい状態なのだけれど?
私が対応してきた緩和ケアチームは驚くほど能力の高い人の集まりで、
患者がいかに死ぬかよりも、いかに生きるかに気を配っていた。
バイタル・サインや酸素濃度は意味がなくなり、その替わりに
患者の安楽が唯一の優先事項となる。
信じられないかもしれないけれど、
病院という場では、こういうシフトはシステムそのものへの衝撃となる。
医師は血圧やレントゲンや血液検査やCTの結果を分析して対応することが
あまりにも当たり前になっているために
患者を安楽にするためにはどうしたらいいか忘れてしまっている。
多くの医師が「脈は? 酸素は?」と聞き、
「苦しんでいないか」とは聞くことはない。
言うまでもないが、緩和ケアチームは
音楽をかけたり、身体に触れたり、会話をしたり、薬を使って、
患者が苦しまないように力が及ぶ限りの努力をする。
だから緩和ケアチームと共にケアに当たる患者の友人や家族は
そういう時に私が感じるのと同じ気持ちになった。
そう、あぁ、また息ができるようになった、という気持ちに。
そして十分な緩和が達成されると、
待つという段階がやってくる。
その間、私が考えたのは、苦しまないように、
息が詰まったりすることなく、安らかに逝けますように、だった。
そして誰もが自問する。
私は良い人間だろうか。
自分の人生で何か価値あることをなしただろうか、と。
私たちは誰も死を免れない以上、
こうした問いを問わずにいられない。
死を前にしてこのような問いと直面している時、
時間は止まり、何もかもが秩序をなくしたようにすら感じられる。
PASが合法化されたら、
死を前にしたこのような時間に一体なにが起こるのだろう?
午前3時にナースが医師を呼びだして
研修医が致死薬を注射するのだろうか。
死の幇助をいつ行うかはどのように決めるのだろう?
患者が意識を失った時? もう自分で食べられなくなった時?
それとも自分で呼吸ができなくなった時?
この後、著者は
緩和ケアチームがどんなに努力しても医療制度そのものに問題があり、
とてもじゃないけれど、どの段階で幇助するなど見極められる状況ではないと言い、
日曜日の朝6時半に自分の腕の中で患者が亡くなった時、
「医師がいなくてよかった」と考えた、という話で記事を締めくくっている。
Letter: A nurse’s view of physician-assisted suicide
The Gazette, June 12, 2013
終末期ケアの議論に
もっと医師以外の医療職も参入してほしい、
と、いつも思う。
この人が言っている「医療システムに問題がある」ということの一つには
死がもっぱら医療技術の問題として捉えられ、
看取りも医師が差配すべきものとイメージされてしまう、
医療のヒエラルキー中心とした文化風土の中に
両者とも取り込まれてしまっていることがあるんじゃないのかな。
それは、たぶん、
高橋都氏が言っていた「介入行為が医師の中に呼び起こす愉悦」とも関連するし
福士・名郷論文が言う「医療行使主義」にも
通じていくんじゃないんだろうか。
この看護師が言うように、医師がそれ以外の方法論を知らないことが
患者にとって死が望ましいものにならない問題の本質なのだとしたら、
医師による自殺幇助や安楽死によって
さらに死を医師らのコントロールに委ねるのではなく、
むしろ医師らの裁量の圏外へと死や看取りを放つこと、
あくまでも死や看取りの重要な脇役として
医療を位置付け直すことの方が大事なんでは――?
個人的には、
医療現場での本当の意味でのチーム医療(本人と家族を含めた)と、
地域の在宅支援での本当の意味での介護と医療の(本人と家族を中心とした)連携
(私自身は「十分で行き届いた介護とそれを支える医療」とイメージするのだけれど)が
実現されたなら、自殺幇助議論はずいぶん変わるんじゃないかという気がしている。
もっと大きく言えば、
安藤泰至氏がいうように
「終末期医療という営みが」
単に医学や医療の一つの専門領域の中だけで問われるのではなく、
人間の文化、社会や私たちの生き方の問題として問われ」るためには、
「医療が既存の医療の専門知の枠組みで人間の生(死)を切り取って」
そこに自足するのではなく、その限界を自覚しながら、
そのなかで医療に何ができるのかを模索していくことができるような
新しい医療の文化(原文は傍点)が必要」
ということだと思う。
medically assisted suicide 合法化法案が提出されたことについて、
(別情報で見た情報では、審議は秋になるとのこと)
地元紙Montreal Gazetteに、
外科病棟で9年間働いてきた看護師からの意見が寄せられている。
さすがに患者のすぐそばに寄りそってケアする人の視点を感じさせて、
ぐっときたので、概要を以下に。
この看護師は9年以上の外科での体験から、
「PAS合法化に向かう法案を提出するのを
議員らは急ぐべきではない」という。
ぱっと考えれば死に向かうプロセスは何段階かに分かれると思えるだろうけれど、
現実にはそう単純なものではない。
まず最初の段階として、
患者本人も家族も、もはや治ることはないのだと実感として知るが
その時にはそれまで生きてくるにあたって支えとなってきたものの一切が
何の役にも立たなくなるような絶望に襲われる。
互いに手を取り涙にくれる気持ちはその後も
残された時間を生きる本人と家族に付きまとう。
次に、主治医と緩和ケアの相談をする段階となるが、
この段階から後について、この人が書いていることがたいそう興味深い。
実際には、この相談は少しばかり皮肉なものである。
というのは、どんな専門領域の医師であれ
死や死をどのように扱ったらよいかについて
医師はほとんど知らないからだ。
そこで疑問が起こってくる。
そんな状態でPASが合法化されるなら
一体その死の幇助は誰が行うのだろう?
患者の主治医?
でも、その主治医自身が、死をどう扱ったらいいか、
誰かに教えてもらいたい状態なのだけれど?
私が対応してきた緩和ケアチームは驚くほど能力の高い人の集まりで、
患者がいかに死ぬかよりも、いかに生きるかに気を配っていた。
バイタル・サインや酸素濃度は意味がなくなり、その替わりに
患者の安楽が唯一の優先事項となる。
信じられないかもしれないけれど、
病院という場では、こういうシフトはシステムそのものへの衝撃となる。
医師は血圧やレントゲンや血液検査やCTの結果を分析して対応することが
あまりにも当たり前になっているために
患者を安楽にするためにはどうしたらいいか忘れてしまっている。
多くの医師が「脈は? 酸素は?」と聞き、
「苦しんでいないか」とは聞くことはない。
言うまでもないが、緩和ケアチームは
音楽をかけたり、身体に触れたり、会話をしたり、薬を使って、
患者が苦しまないように力が及ぶ限りの努力をする。
だから緩和ケアチームと共にケアに当たる患者の友人や家族は
そういう時に私が感じるのと同じ気持ちになった。
そう、あぁ、また息ができるようになった、という気持ちに。
そして十分な緩和が達成されると、
待つという段階がやってくる。
その間、私が考えたのは、苦しまないように、
息が詰まったりすることなく、安らかに逝けますように、だった。
そして誰もが自問する。
私は良い人間だろうか。
自分の人生で何か価値あることをなしただろうか、と。
私たちは誰も死を免れない以上、
こうした問いを問わずにいられない。
死を前にしてこのような問いと直面している時、
時間は止まり、何もかもが秩序をなくしたようにすら感じられる。
PASが合法化されたら、
死を前にしたこのような時間に一体なにが起こるのだろう?
午前3時にナースが医師を呼びだして
研修医が致死薬を注射するのだろうか。
死の幇助をいつ行うかはどのように決めるのだろう?
患者が意識を失った時? もう自分で食べられなくなった時?
それとも自分で呼吸ができなくなった時?
この後、著者は
緩和ケアチームがどんなに努力しても医療制度そのものに問題があり、
とてもじゃないけれど、どの段階で幇助するなど見極められる状況ではないと言い、
日曜日の朝6時半に自分の腕の中で患者が亡くなった時、
「医師がいなくてよかった」と考えた、という話で記事を締めくくっている。
Letter: A nurse’s view of physician-assisted suicide
The Gazette, June 12, 2013
終末期ケアの議論に
もっと医師以外の医療職も参入してほしい、
と、いつも思う。
この人が言っている「医療システムに問題がある」ということの一つには
死がもっぱら医療技術の問題として捉えられ、
看取りも医師が差配すべきものとイメージされてしまう、
医療のヒエラルキー中心とした文化風土の中に
両者とも取り込まれてしまっていることがあるんじゃないのかな。
それは、たぶん、
高橋都氏が言っていた「介入行為が医師の中に呼び起こす愉悦」とも関連するし
福士・名郷論文が言う「医療行使主義」にも
通じていくんじゃないんだろうか。
この看護師が言うように、医師がそれ以外の方法論を知らないことが
患者にとって死が望ましいものにならない問題の本質なのだとしたら、
医師による自殺幇助や安楽死によって
さらに死を医師らのコントロールに委ねるのではなく、
むしろ医師らの裁量の圏外へと死や看取りを放つこと、
あくまでも死や看取りの重要な脇役として
医療を位置付け直すことの方が大事なんでは――?
個人的には、
医療現場での本当の意味でのチーム医療(本人と家族を含めた)と、
地域の在宅支援での本当の意味での介護と医療の(本人と家族を中心とした)連携
(私自身は「十分で行き届いた介護とそれを支える医療」とイメージするのだけれど)が
実現されたなら、自殺幇助議論はずいぶん変わるんじゃないかという気がしている。
もっと大きく言えば、
安藤泰至氏がいうように
「終末期医療という営みが」
単に医学や医療の一つの専門領域の中だけで問われるのではなく、
人間の文化、社会や私たちの生き方の問題として問われ」るためには、
「医療が既存の医療の専門知の枠組みで人間の生(死)を切り取って」
そこに自足するのではなく、その限界を自覚しながら、
そのなかで医療に何ができるのかを模索していくことができるような
新しい医療の文化(原文は傍点)が必要」
ということだと思う。
2013.06.18 / Top↑
以下のニュースによると、
以前よりPAS合法化に向けた動きが先鋭化しているカナダのケベック州では
来週にもケベック州政府の合法化法案が議会に提出される模様。
それを受けて、ケベックの医師ら500人ほどが連合を作り、反対声明を出している。
http://www.cbc.ca/news/canada/montreal/story/2013/06/05/montreal-dying-with-dignity-assisted-suicide-legislation-law-quebec.html
【ケベックのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)
ケベックの小児外科医「これほどの医療崩壊を放置してPAS合法化なんて、とんでもない」(2013/1/19)
メディアは騒がしくなりつつありますが、
その中で目を引かれた記事があったので、以下に。
WATCH: ALS quadriplegic says no to assisted suicide
CJAD 800 News, June 5, 2013
65歳の神学博士、Francis Humphreyは
ALSで全身まひとなり呼吸器を使用。
肺炎を起こした際に、医師から次のように言われ、
介護している妻と共に大きなショックを受けた。
Well, Frank, maybe you should consider that this is the end of the road for you.
フランク、この辺りで自分の生きてきた道も終わりだと考えてはどうなの。
Humphrey氏は残された時間を自宅で過ごすことを望んでおり、
夫婦は共に、合法化法案に反対する医師らの運動を支持している。
抵抗運動に参加している医師の一人 Dr. Paul Sabaは
法案が通ったら、医師にも家族にも患者を死なせる方向へ圧力がかかる、といい、
医師らの反対連合では
PASの前に在宅ケアと緩和ケアを充実すべきだと主張している。
―――――――――――
ちなみに、オーストラリア議会でも、
Ending Life with Dignity Bill 2013 が提出されて、
こちらでも医師らが反対運動を行っている。
http://www.lifesitenews.com/news/doctors-fight-to-kill-south-australian-euthanasia-bill/
以前よりPAS合法化に向けた動きが先鋭化しているカナダのケベック州では
来週にもケベック州政府の合法化法案が議会に提出される模様。
それを受けて、ケベックの医師ら500人ほどが連合を作り、反対声明を出している。
http://www.cbc.ca/news/canada/montreal/story/2013/06/05/montreal-dying-with-dignity-assisted-suicide-legislation-law-quebec.html
【ケベックのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)
ケベックの小児外科医「これほどの医療崩壊を放置してPAS合法化なんて、とんでもない」(2013/1/19)
メディアは騒がしくなりつつありますが、
その中で目を引かれた記事があったので、以下に。
WATCH: ALS quadriplegic says no to assisted suicide
CJAD 800 News, June 5, 2013
65歳の神学博士、Francis Humphreyは
ALSで全身まひとなり呼吸器を使用。
肺炎を起こした際に、医師から次のように言われ、
介護している妻と共に大きなショックを受けた。
Well, Frank, maybe you should consider that this is the end of the road for you.
フランク、この辺りで自分の生きてきた道も終わりだと考えてはどうなの。
Humphrey氏は残された時間を自宅で過ごすことを望んでおり、
夫婦は共に、合法化法案に反対する医師らの運動を支持している。
抵抗運動に参加している医師の一人 Dr. Paul Sabaは
法案が通ったら、医師にも家族にも患者を死なせる方向へ圧力がかかる、といい、
医師らの反対連合では
PASの前に在宅ケアと緩和ケアを充実すべきだと主張している。
―――――――――――
ちなみに、オーストラリア議会でも、
Ending Life with Dignity Bill 2013 が提出されて、
こちらでも医師らが反対運動を行っている。
http://www.lifesitenews.com/news/doctors-fight-to-kill-south-australian-euthanasia-bill/
2013.06.07 / Top↑