以下のエントリーで追いかけてきたNicklinson訴訟の続報。
“ロックト・イン症候群”の男性が「妻に殺してもらう権利」求め提訴(英)(2010/7/20)
自殺幇助希望の“ロックト・イン”患者Nicklinson訴訟で判決(2012/3/13)
自殺幇助訴訟のNicklinsonさん、ツイッターを始める(2012/7/2)
「死ぬ権利」求めるロックト・イン患者Nicklinsonさん、敗訴(2012/8/17)
Nicklinsonさん、肺炎で死去(2012/8/23)
Nicklinson 訴訟の上訴裁、四肢マヒの男性によって継続へ(2013/4/19)
交通事故で四肢まひとなった男性、 Paul Lamb氏と
脳卒中の後遺症でロックトイン症候群となり先の高等裁での敗訴で
食を断って肺炎で亡くなったTony Nicklinson氏の未亡人が起こしていた
死の自己決定権をめぐる上訴審で、
上訴裁判所は
自殺ほう助に関する法改正は司法の決定事項ではなく議会の仕事として訴えを却下。
Lamb氏自身がGuardianに発表した文章が以下 ↓
I don’t want sympathy in life, I want dignity in death
Paul Lamb,
Guardian, July 31, 2013
一方、
かねてNicklinson氏と一緒に裁判を起こしていた四肢まひの男性 Martinの訴訟では
法にはさらなる明確化が必要との判断が示された。
British court dismisses landmark right-to die appeal
Reuters, July 31, 2013
UK court rules against euthanasia but says more clarity needed on prosecuting assisted suicide
Brandon Sun, July 31, 2013
【8月2日追記】
Martin訴訟では、
3人の裁判官のうち2人がDPPに対して、さらなる法の明確化を求めたのに対して、
主任最高裁判事はそれに反対して、DPPに法改正に等しい権限を与えるべきではない、と。
既に2010年にPurdy訴訟での最高裁の判断を受けて
自殺ほう助の起訴ガイドラインを出しているDPPのStarmer氏は、
この判決に即座に、英国公訴局長としては先に最高裁の判断をいただきたい、と反論。
(ちなみにStarmer氏はこの秋でDPPを辞任予定。それなりに筋の通った正論を説く人だったけど)
四肢マヒのMartinさんは餓死を試みるもかなわず、
残された手段はスイスのディグニタスへ行くことのみだが
看護婦の妻は自殺ほう助に当たる行為をしたくないと言っている。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2382255/Judges-right-die-guidance-nurse-helps-stroke-victim-end-life-prosecuted.html
“ロックト・イン症候群”の男性が「妻に殺してもらう権利」求め提訴(英)(2010/7/20)
自殺幇助希望の“ロックト・イン”患者Nicklinson訴訟で判決(2012/3/13)
自殺幇助訴訟のNicklinsonさん、ツイッターを始める(2012/7/2)
「死ぬ権利」求めるロックト・イン患者Nicklinsonさん、敗訴(2012/8/17)
Nicklinsonさん、肺炎で死去(2012/8/23)
Nicklinson 訴訟の上訴裁、四肢マヒの男性によって継続へ(2013/4/19)
交通事故で四肢まひとなった男性、 Paul Lamb氏と
脳卒中の後遺症でロックトイン症候群となり先の高等裁での敗訴で
食を断って肺炎で亡くなったTony Nicklinson氏の未亡人が起こしていた
死の自己決定権をめぐる上訴審で、
上訴裁判所は
自殺ほう助に関する法改正は司法の決定事項ではなく議会の仕事として訴えを却下。
Lamb氏自身がGuardianに発表した文章が以下 ↓
I don’t want sympathy in life, I want dignity in death
Paul Lamb,
Guardian, July 31, 2013
一方、
かねてNicklinson氏と一緒に裁判を起こしていた四肢まひの男性 Martinの訴訟では
法にはさらなる明確化が必要との判断が示された。
British court dismisses landmark right-to die appeal
Reuters, July 31, 2013
UK court rules against euthanasia but says more clarity needed on prosecuting assisted suicide
Brandon Sun, July 31, 2013
【8月2日追記】
Martin訴訟では、
3人の裁判官のうち2人がDPPに対して、さらなる法の明確化を求めたのに対して、
主任最高裁判事はそれに反対して、DPPに法改正に等しい権限を与えるべきではない、と。
既に2010年にPurdy訴訟での最高裁の判断を受けて
自殺ほう助の起訴ガイドラインを出しているDPPのStarmer氏は、
この判決に即座に、英国公訴局長としては先に最高裁の判断をいただきたい、と反論。
(ちなみにStarmer氏はこの秋でDPPを辞任予定。それなりに筋の通った正論を説く人だったけど)
四肢マヒのMartinさんは餓死を試みるもかなわず、
残された手段はスイスのディグニタスへ行くことのみだが
看護婦の妻は自殺ほう助に当たる行為をしたくないと言っている。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2382255/Judges-right-die-guidance-nurse-helps-stroke-victim-end-life-prosecuted.html
2013.08.05 / Top↑
フランスのオランド大統領が、1日、
今年中に議会に自発的安楽死合法化法案を提出する、と明言。
もともとオランド氏は
自殺幇助合法化を大統領選でも公約にしていた。
(これまでの経緯について関連エントリーは文末に)
2005年にできた現行法では
終末期の患者が求めた場合には
通常を超える治療を停止することを医師に認めつつ、
緩和ケアを推奨しているが、
世論調査の結果は終末期には安楽死合法化への支持が高く、
それを反映して患者の死に手を貸した病院職員への判決では
近年、執行猶予がつくようになってきている。
一方、フランスでは
国の(? National)倫理委員会から
弱者に対して、まだ生きられるのに死ななければならないような
圧力がかかるとの懸念から、合法化は「社会にとって危険」との報告書が出されている。
報告書は
ベルギー、ルクセンブルク、オランダの記録からも
安楽死や自殺幇助の監督は十分に行われていると思えず、
「これらの国々は自己決定の能力がある終末期の患者の安楽死を合法化したが、
実際には対象者はどんどん拡がって、社会の弱い立場にある人々へと広がってきた」とも。
しかし倫理委の17人のメンバーのうち、
合法化に反対が9人で、合法化すべきだとするメンバーが8人と、拮抗している。
Francois Hollande Pledges To Legalize Voluntary Euthanasia In France
Huff Post, July 1, 2013
オランド大統領が選挙公約で言っていたのは
"medical assistance to end one's life in dignity"の合法化。
今年中に議会に提出するというのが、
自殺幇助の合法化法案なのか、安楽死の合法化法案なのかが
記事を読んだだけでは今イチはっきりしない。
【関連エントリー】
フランス上院、25日に自殺幇助合法化を審議(2011/1/13)
フランスの安楽死法案、上院の委員会を通過(2011/1/19)
フランス上院が自殺幇助合法化法案を否決(2011/1/27)
フランスの大統領候補が「当選したら積極的安楽死を合法に」(2012/2/6) ⇒で、この候補が当選して現在のオランド大統領。
カナダとフランスで医師らに安楽死と自殺幇助を巡る意識調査(2013/2/18)
今年中に議会に自発的安楽死合法化法案を提出する、と明言。
もともとオランド氏は
自殺幇助合法化を大統領選でも公約にしていた。
(これまでの経緯について関連エントリーは文末に)
2005年にできた現行法では
終末期の患者が求めた場合には
通常を超える治療を停止することを医師に認めつつ、
緩和ケアを推奨しているが、
世論調査の結果は終末期には安楽死合法化への支持が高く、
それを反映して患者の死に手を貸した病院職員への判決では
近年、執行猶予がつくようになってきている。
一方、フランスでは
国の(? National)倫理委員会から
弱者に対して、まだ生きられるのに死ななければならないような
圧力がかかるとの懸念から、合法化は「社会にとって危険」との報告書が出されている。
報告書は
ベルギー、ルクセンブルク、オランダの記録からも
安楽死や自殺幇助の監督は十分に行われていると思えず、
「これらの国々は自己決定の能力がある終末期の患者の安楽死を合法化したが、
実際には対象者はどんどん拡がって、社会の弱い立場にある人々へと広がってきた」とも。
しかし倫理委の17人のメンバーのうち、
合法化に反対が9人で、合法化すべきだとするメンバーが8人と、拮抗している。
Francois Hollande Pledges To Legalize Voluntary Euthanasia In France
Huff Post, July 1, 2013
オランド大統領が選挙公約で言っていたのは
"medical assistance to end one's life in dignity"の合法化。
今年中に議会に提出するというのが、
自殺幇助の合法化法案なのか、安楽死の合法化法案なのかが
記事を読んだだけでは今イチはっきりしない。
【関連エントリー】
フランス上院、25日に自殺幇助合法化を審議(2011/1/13)
フランスの安楽死法案、上院の委員会を通過(2011/1/19)
フランス上院が自殺幇助合法化法案を否決(2011/1/27)
フランスの大統領候補が「当選したら積極的安楽死を合法に」(2012/2/6) ⇒で、この候補が当選して現在のオランド大統領。
カナダとフランスで医師らに安楽死と自殺幇助を巡る意識調査(2013/2/18)
2013.07.11 / Top↑
『現代思想』5月号の特集「自殺論 対策の立場から」の一編、
大谷いづみ『「理性的自殺」がとりこぼすもの
続・「死を掛け金に求められる承認」という隘路』。
1970年代からの安楽死を巡る大きな事件での
一見すれば「理性的自殺 rational suicide」を求めていると見える人物たちの語りが
その実、聴く者に自分の声が届かないことからくるアイデンティティの揺らぎの中で、
「死を要請することで聞く耳を得られた体験」である可能性に着目しつつ、
理性的に首尾一貫できるためには
人は自分や他者の何かを切り捨てるしかないのでは、と問う。
エリザベス・ボービア、ラリー・マカフィ―、ケン・ハリソンのケースに
注目して書かれているのだけれど、
最初の実在の2人については
ウ―レットが事例研究で取り上げているので当ブログでも紹介しており、
大谷氏の解説からは、ウ―レットの解説では見えなかった事件の側面が見えてきて、
とても興味深い。
例えば、
Bouvia事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63783421.html
ウ―レットはこの事件を
ターミナルでなくとも生命維持を拒否することができた自己決定権の画期的な勝利であり、
またそこに一定のスタンダードを敷いた事件としても
生命倫理の界隈で称揚された事件だと位置づけて紹介している。
ところが大谷氏の論考によると、
エリザベスはその後翻意し、2008年時点で生存が確認されているという。
彼女が死を要請するに至った過程とは、大谷氏によれば
重度の脳性麻痺でほぼ全身が麻痺しているエリザベス・ボービアはわずかに動く右手で電動式の車いすを操作し、たばこを吸うこともできた。食物の咀嚼も可能で話もできた(が、重度の脳性麻痺患者との意思疎通は双方に相応の訓練と慣れと忍耐力を必要とする)。彼女の人生の苦痛を倍加したものは、彼女の障害と深い関わりを持ってはいるが、しかし障害そのものではない、彼女をとりまくさまざまな条件である。両親が離婚し5歳から5年間は母親に養育されたが、その後は養護施設で育った。18歳になった彼女に、父親は彼女の障害ゆえに世話はできないと告げた。彼女は障害者向けの州の支援制度を受けて住み込みの看護婦と共に自立生活を始め、中退していた高校課程の勉学を再開し、大学を経て社会福祉系大学院に進んだが、実地研修をめぐるトラブルで退学した。文通相手の元受刑者リチャード・ボービアと結婚、妊娠するも流産。結婚したことで障害者への給付金は減額され、リチャードがやっとのことで得たパートタイムの収入では生活はたちゆかなくなる。極まって援助を頼み込んだエリザベスの父から拒絶され、疲れ果てたリチャードがエリザベスの元を立ち去ったその数日後、エリザベスは餓死による自殺を訴え出たのである。
(p. 167)
次にMcAfee事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64925979.html
こちらはウ―レットも、
本人が置かれていた状況の詳細を知らずに生命倫理学者らが
「自己決定権」の問題として論じていることについて
障害者サイドからの批判に沿って事件を紹介している。
例えばLongmoreの以下のような主張を引用。
こんな自由はフィクションに過ぎない。偽物の自己決定。
選択というレトリックが強制の現実を隠ぺいしている。
大谷氏によれば、ラリーもまた
裁判で認められた人口呼吸器の停止によって自殺することはなく、
1993年、採尿カテーテルがねじれていたために尿が逆流し高血圧症となって
何ヶ月もの昏睡状態を経て1995年に死亡。
ケン・ハリソンとは
1981年のアメリカ映画『この生命誰のもの』の主人公の彫刻家。
交通事故のために四肢マヒと腎臓障害となり、
理性的・合理的な判断として「尊厳のある死」を自ら選ぶべく、
「死ぬ権利」を求めて提訴する。
こうした映画が安楽死運動史上、大きな影響力を持ったこと、
ボービアやマカフィーにも影響を与えたことを指摘しつつ、
大谷氏はさらに、ケンの語りが当初、
「死への要請」を認めようとはしない医療スタッフによって黙殺されたことに注目する。
そこには聴く側のアイデンティティの問題が関わっていて、
自分のアイデンティティを中断しないためには聴く側は
自分が聴こうとするものだけを聞くからだ。
そこでケンの物語は
聴き手が聞きたいことしか聞こうとしないのならば
死にたいと語り続けた人の物語と見ることもできる。
エリザベス・ボービアもまた、
「死の要請で名を知られてはじめて、その物語が多くの聴き手を得、
マスコミをにぎわせ、彼女のための基金も作られて安定した生活が保障されたのである」(p.169)
この下り、私の頭には
英国で08年に自殺幇助に関する法の明確化を求めて提訴し、
その攻撃的な能弁で一躍メディアの寵児となったDebbie Purdyさんの姿が浮かんだ。
【Debbie Purdy訴訟関連エントリー】
MS女性、自殺幇助に法の明確化求める(2008/6/27)
親族の自殺協力に裁判所は法の明確化を拒む(2008/10/29)
自殺幇助希望のMS女性が求めた法の明確化、裁判所が却下(2009/2/20)
Debby PurdyさんのBBCインタビュー(2009/6/2)
Purdyさんの訴え認め、最高裁が自殺幇助で法の明確化を求める(2009/7/31)
Purdy判決受け、医師らも身を守るために法の明確化を求める(2009/8/15)
法曹関係者らの自殺幇助ガイダンス批判にDebbie Purdyさんが反論(2009/11/17)
さらに大谷氏が引いているのは
1993年に「終末期を心安らかに暮らすために」幇助自殺を望みながら、
それがプログラム化された自殺幇助の手順に乗せられてしまうことに
揺らぎ、迷いながらも、幇助を受けて死んだルイーズのケース。
『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で紹介された際、
記者は死の要請を聴く側の心理について考察しつつ、
マクベスの有名な一節を引いている。
「やってしまってそれで事が済むのなら、
早くやってしまった方がいい」
ここでは私には、Fins医師が最小意識状態の人の治療停止について言っていた
「早いところさっぱり決着をつけてしまおうと、
分からないことが沢山あるのに無視してしまっている」という発言が
頭に浮かぶ。
それでも、いったん行為が行われれば、
……残された遺族には、「これでよかったのだ」と自分自身を納得させることよりみちはない。その影で「あれで本当によかったのだろうか?」という問いは封じ込められてしまうかもしれない。自らの行為を他者にも理解してもらうために、何より、死を選んだ本人の選択を承認してもらうために。それだけではなく、本人と自分の死への選択を承認されるための問題提起を「世間」にむけて開始するかもしれない――。
(p. 173)
1993年に、生きているのが可哀想だからと言って
脳性まひの13歳の娘を殺し、08年に仮釈放になるや
慈悲殺正当化論の広告塔となって公の発言を続けるロバート・ラティマーのように――。
慢性疲労症候群で寝たきりの娘の血管に砕いたモルヒネと空気を注入して死なせて
愛からの行為だとして無罪判決を受けた後でメディアに連日登場しては
自らの献身と愛と苦悩を語り続けた、あのケイ・ギルダーデールのように――。
しかし、人はそんなふうに、「その時」までも、また「その時」になっても
揺らがず迷わずに「理性的」「合理的」に生きられるものなのか、というのが
大谷氏の論考を貫いている問いなのだと思う。
エリザベス・ボービアやラリー・マカフィーが
裁判所に認められた死の自己決定権を行使して死ぬことを選ばなかったように、
そもそも彼らの死の要請の背景が、実際は
尊厳死議論で描かれる「理性的自殺」の物語とは異なっているように、
(太田典礼もまた、脳梗塞で車いす生活となっても
自殺せず、リビング・ウィルに署名することもなく、手厚い介護を受け、
そうめんをのどに詰まらせて亡くなった、というエピソードが
論考の最後に紹介されている)
「首尾一貫しようとして、人は自分の、他者の、何を切り捨てようとするのか」
と問う大谷氏は、
首尾一貫せず、「ブレることにこそ希望の証を見」ようとしている。
そのためにも
社会にとってあまりにも都合のよい「理性的自殺」のフィクションには警戒し、
「その都合のよさに立脚した死の要請には、慎重でありすぎることはない」と。
大谷いづみ『「理性的自殺」がとりこぼすもの
続・「死を掛け金に求められる承認」という隘路』。
1970年代からの安楽死を巡る大きな事件での
一見すれば「理性的自殺 rational suicide」を求めていると見える人物たちの語りが
その実、聴く者に自分の声が届かないことからくるアイデンティティの揺らぎの中で、
「死を要請することで聞く耳を得られた体験」である可能性に着目しつつ、
理性的に首尾一貫できるためには
人は自分や他者の何かを切り捨てるしかないのでは、と問う。
エリザベス・ボービア、ラリー・マカフィ―、ケン・ハリソンのケースに
注目して書かれているのだけれど、
最初の実在の2人については
ウ―レットが事例研究で取り上げているので当ブログでも紹介しており、
大谷氏の解説からは、ウ―レットの解説では見えなかった事件の側面が見えてきて、
とても興味深い。
例えば、
Bouvia事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63783421.html
ウ―レットはこの事件を
ターミナルでなくとも生命維持を拒否することができた自己決定権の画期的な勝利であり、
またそこに一定のスタンダードを敷いた事件としても
生命倫理の界隈で称揚された事件だと位置づけて紹介している。
ところが大谷氏の論考によると、
エリザベスはその後翻意し、2008年時点で生存が確認されているという。
彼女が死を要請するに至った過程とは、大谷氏によれば
重度の脳性麻痺でほぼ全身が麻痺しているエリザベス・ボービアはわずかに動く右手で電動式の車いすを操作し、たばこを吸うこともできた。食物の咀嚼も可能で話もできた(が、重度の脳性麻痺患者との意思疎通は双方に相応の訓練と慣れと忍耐力を必要とする)。彼女の人生の苦痛を倍加したものは、彼女の障害と深い関わりを持ってはいるが、しかし障害そのものではない、彼女をとりまくさまざまな条件である。両親が離婚し5歳から5年間は母親に養育されたが、その後は養護施設で育った。18歳になった彼女に、父親は彼女の障害ゆえに世話はできないと告げた。彼女は障害者向けの州の支援制度を受けて住み込みの看護婦と共に自立生活を始め、中退していた高校課程の勉学を再開し、大学を経て社会福祉系大学院に進んだが、実地研修をめぐるトラブルで退学した。文通相手の元受刑者リチャード・ボービアと結婚、妊娠するも流産。結婚したことで障害者への給付金は減額され、リチャードがやっとのことで得たパートタイムの収入では生活はたちゆかなくなる。極まって援助を頼み込んだエリザベスの父から拒絶され、疲れ果てたリチャードがエリザベスの元を立ち去ったその数日後、エリザベスは餓死による自殺を訴え出たのである。
(p. 167)
次にMcAfee事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64925979.html
こちらはウ―レットも、
本人が置かれていた状況の詳細を知らずに生命倫理学者らが
「自己決定権」の問題として論じていることについて
障害者サイドからの批判に沿って事件を紹介している。
例えばLongmoreの以下のような主張を引用。
こんな自由はフィクションに過ぎない。偽物の自己決定。
選択というレトリックが強制の現実を隠ぺいしている。
大谷氏によれば、ラリーもまた
裁判で認められた人口呼吸器の停止によって自殺することはなく、
1993年、採尿カテーテルがねじれていたために尿が逆流し高血圧症となって
何ヶ月もの昏睡状態を経て1995年に死亡。
ケン・ハリソンとは
1981年のアメリカ映画『この生命誰のもの』の主人公の彫刻家。
交通事故のために四肢マヒと腎臓障害となり、
理性的・合理的な判断として「尊厳のある死」を自ら選ぶべく、
「死ぬ権利」を求めて提訴する。
こうした映画が安楽死運動史上、大きな影響力を持ったこと、
ボービアやマカフィーにも影響を与えたことを指摘しつつ、
大谷氏はさらに、ケンの語りが当初、
「死への要請」を認めようとはしない医療スタッフによって黙殺されたことに注目する。
そこには聴く側のアイデンティティの問題が関わっていて、
自分のアイデンティティを中断しないためには聴く側は
自分が聴こうとするものだけを聞くからだ。
そこでケンの物語は
聴き手が聞きたいことしか聞こうとしないのならば
死にたいと語り続けた人の物語と見ることもできる。
エリザベス・ボービアもまた、
「死の要請で名を知られてはじめて、その物語が多くの聴き手を得、
マスコミをにぎわせ、彼女のための基金も作られて安定した生活が保障されたのである」(p.169)
この下り、私の頭には
英国で08年に自殺幇助に関する法の明確化を求めて提訴し、
その攻撃的な能弁で一躍メディアの寵児となったDebbie Purdyさんの姿が浮かんだ。
【Debbie Purdy訴訟関連エントリー】
MS女性、自殺幇助に法の明確化求める(2008/6/27)
親族の自殺協力に裁判所は法の明確化を拒む(2008/10/29)
自殺幇助希望のMS女性が求めた法の明確化、裁判所が却下(2009/2/20)
Debby PurdyさんのBBCインタビュー(2009/6/2)
Purdyさんの訴え認め、最高裁が自殺幇助で法の明確化を求める(2009/7/31)
Purdy判決受け、医師らも身を守るために法の明確化を求める(2009/8/15)
法曹関係者らの自殺幇助ガイダンス批判にDebbie Purdyさんが反論(2009/11/17)
さらに大谷氏が引いているのは
1993年に「終末期を心安らかに暮らすために」幇助自殺を望みながら、
それがプログラム化された自殺幇助の手順に乗せられてしまうことに
揺らぎ、迷いながらも、幇助を受けて死んだルイーズのケース。
『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で紹介された際、
記者は死の要請を聴く側の心理について考察しつつ、
マクベスの有名な一節を引いている。
「やってしまってそれで事が済むのなら、
早くやってしまった方がいい」
ここでは私には、Fins医師が最小意識状態の人の治療停止について言っていた
「早いところさっぱり決着をつけてしまおうと、
分からないことが沢山あるのに無視してしまっている」という発言が
頭に浮かぶ。
それでも、いったん行為が行われれば、
……残された遺族には、「これでよかったのだ」と自分自身を納得させることよりみちはない。その影で「あれで本当によかったのだろうか?」という問いは封じ込められてしまうかもしれない。自らの行為を他者にも理解してもらうために、何より、死を選んだ本人の選択を承認してもらうために。それだけではなく、本人と自分の死への選択を承認されるための問題提起を「世間」にむけて開始するかもしれない――。
(p. 173)
1993年に、生きているのが可哀想だからと言って
脳性まひの13歳の娘を殺し、08年に仮釈放になるや
慈悲殺正当化論の広告塔となって公の発言を続けるロバート・ラティマーのように――。
慢性疲労症候群で寝たきりの娘の血管に砕いたモルヒネと空気を注入して死なせて
愛からの行為だとして無罪判決を受けた後でメディアに連日登場しては
自らの献身と愛と苦悩を語り続けた、あのケイ・ギルダーデールのように――。
しかし、人はそんなふうに、「その時」までも、また「その時」になっても
揺らがず迷わずに「理性的」「合理的」に生きられるものなのか、というのが
大谷氏の論考を貫いている問いなのだと思う。
エリザベス・ボービアやラリー・マカフィーが
裁判所に認められた死の自己決定権を行使して死ぬことを選ばなかったように、
そもそも彼らの死の要請の背景が、実際は
尊厳死議論で描かれる「理性的自殺」の物語とは異なっているように、
(太田典礼もまた、脳梗塞で車いす生活となっても
自殺せず、リビング・ウィルに署名することもなく、手厚い介護を受け、
そうめんをのどに詰まらせて亡くなった、というエピソードが
論考の最後に紹介されている)
「首尾一貫しようとして、人は自分の、他者の、何を切り捨てようとするのか」
と問う大谷氏は、
首尾一貫せず、「ブレることにこそ希望の証を見」ようとしている。
そのためにも
社会にとってあまりにも都合のよい「理性的自殺」のフィクションには警戒し、
「その都合のよさに立脚した死の要請には、慎重でありすぎることはない」と。
2013.07.01 / Top↑
2012年のWA州の尊厳死法の実施報告書が出ています。
私は読んでいませんが、本文はこちら ↓
http://www.doh.wa.gov/portals/1/Documents/Pubs/422-109-DeathWithDignityAct2012.pdf
以下の Life News の記事から概要を以下に。
2012年に尊厳死法を利用して自殺した人は83人で、
前年から17%の増加。2010年の51人からは63%の増加。
出された処方箋は121通で、
2010年から39%の増加。
その他、
・処方を受けた121人のうち、精神科医のアセスメントを受けたのは3人のみ。
・致死薬を受け取ってから150日後に死んだ人が一人。
17人は致死薬を受け取ってから6か月以上たってから死亡。
・致死薬を飲むときに医師がその場にいたのは5回だけ。
(ここは元の英文が私にはちょっと理解不能)
・飲んで16時間後に死亡した人が一人。
・121通の処方箋のうち、10件では申請書が提出されていない。
13件では死亡証明書が出ていない。
4件では薬局から患者に薬を渡した記録用紙が提出されていない。
11件では対応した医師の書くべきthe Consulting Physician formが提出されていない。
記事は
患者の死後に医師による自己申告が義務付けられているのみでは、
濫用を発見することは難しい、と指摘している。
Washington State Sees Huge Increase in Assisted Suicides in 2012
Life Site News, June 21, 2013
また、以下のAP通信の記事によると、
83人の年齢は35歳から95歳で、
90%以上が西ワシントン州在住。
ほとんどの人が癌だった。
Washington assisted suicide report shows 17 percent jump in people requiring lethal prescriptions
AP, June 20, 2013
なるほどWA州西部の人が多いのですね。
そして、もちろんその中には
以下のSCCAのシステム化されたプログラムに「参加」して
「アドボケイト」と称する病院ソーシャルワーカーの手引きと手配によって
自殺したがん患者も含まれているわけです。
シアトルがんセンターの「自殺ほう助プログラム」論文を読んでみた(2013/4/15)
【これまでの年次報告エントリー】
WA州とOR州の2009年尊厳死法データ(2010/3/5)
WA州から2010年の尊厳死法報告:処方を受けた人は前年より22人増加(2011/3/11)
WA州尊厳死法報告2011(2012/5/17)
私は読んでいませんが、本文はこちら ↓
http://www.doh.wa.gov/portals/1/Documents/Pubs/422-109-DeathWithDignityAct2012.pdf
以下の Life News の記事から概要を以下に。
2012年に尊厳死法を利用して自殺した人は83人で、
前年から17%の増加。2010年の51人からは63%の増加。
出された処方箋は121通で、
2010年から39%の増加。
その他、
・処方を受けた121人のうち、精神科医のアセスメントを受けたのは3人のみ。
・致死薬を受け取ってから150日後に死んだ人が一人。
17人は致死薬を受け取ってから6か月以上たってから死亡。
・致死薬を飲むときに医師がその場にいたのは5回だけ。
(ここは元の英文が私にはちょっと理解不能)
・飲んで16時間後に死亡した人が一人。
・121通の処方箋のうち、10件では申請書が提出されていない。
13件では死亡証明書が出ていない。
4件では薬局から患者に薬を渡した記録用紙が提出されていない。
11件では対応した医師の書くべきthe Consulting Physician formが提出されていない。
記事は
患者の死後に医師による自己申告が義務付けられているのみでは、
濫用を発見することは難しい、と指摘している。
Washington State Sees Huge Increase in Assisted Suicides in 2012
Life Site News, June 21, 2013
また、以下のAP通信の記事によると、
83人の年齢は35歳から95歳で、
90%以上が西ワシントン州在住。
ほとんどの人が癌だった。
Washington assisted suicide report shows 17 percent jump in people requiring lethal prescriptions
AP, June 20, 2013
なるほどWA州西部の人が多いのですね。
そして、もちろんその中には
以下のSCCAのシステム化されたプログラムに「参加」して
「アドボケイト」と称する病院ソーシャルワーカーの手引きと手配によって
自殺したがん患者も含まれているわけです。
シアトルがんセンターの「自殺ほう助プログラム」論文を読んでみた(2013/4/15)
【これまでの年次報告エントリー】
WA州とOR州の2009年尊厳死法データ(2010/3/5)
WA州から2010年の尊厳死法報告:処方を受けた人は前年より22人増加(2011/3/11)
WA州尊厳死法報告2011(2012/5/17)
2013.06.24 / Top↑
先週、以下のエントリーで紹介したケベックの法案について、
ケベックの法案は「医療的自殺幇助」という名の安楽死合法化法案(2013/6/14)
私がこのエントリーで指摘した通りの言葉のマジックを指摘する記事が
19日のGlove and Mailに出ていますが、
そちらの記事に法案の詳細があり、
それによると想像以上にラディカルな内容になっているようです。
まず冒頭の一文は、実に爽快。
なるほど。飼っているのはアヒルなのに、自分のペットはイヌだと称するわけですね。アパートでアヒルを買うのは法律で禁じられているから。法律を破ったら捕まりますからね。
大まかに言えば、この記事はこの法案について、
安楽死をmedical aid in dying (MAD)と称することによって、
安楽死でも自殺幇助でもなく「医療の一端である」と言い抜けることを狙っている、
というのも、安楽死や自殺幇助は連邦刑法に関わる事項だけれど、
医療については州政府の決定事項であり、州の医療法改正の問題に過ぎないから。
実際に、ケベック州の医療法では医療行為の定義が拡大されて
医師が「終末期を尊重する同法の下で、
終末期の患者がmedical aid in dyingを受けられるよう薬物などを投与すること」が
含まれているとのこと。
しかし、この法案ではMADをきっちり定義しておらず、
せいぜい以下のように書いて施設の医師、視界、薬剤師の委員会にゆだねられている。
……in accordance with the clinical standards established by the professional orders concerned, to adopt clinical protocols applicable to terminal palliative sedation and medical aid in dying.
これを正しく日本語にできる自信は私にないのだけれど、
最後のところで terminal palliative sedation と MAD と2つが並べてあるのには
重要な意味があって、
この法案 Bill 52は
終末期の患者に「素早い安楽死」と「ゆっくりの安楽死」を選択させるんだそうな。
もちろん、MADが素早い方。鎮静(sedation)がゆっくりの方。
しかし、この記事の著者は指摘する。
terminal palliative sedationという紛らわしい表現は一体なんだ、と。
【法案の問題その①】
terminal sedation とは、
死を引き起こす目的を持った鎮静であり、つまり実質は安楽死。
palliative sedation とは、
苦痛緩和の目的で行われる鎮静。
安楽死推進派は両者を区別することはできないと主張するが、
著者はきっぱりと言い切る。
「もしも患者の症状が鎮静を行わずにコントロール可能であったり、
患者が死に瀕していないのに栄養と水分が差し控えられていれば特に、
そういう場合の鎮静は明らかに安楽死である」
オランダでは terminal sedation は安楽死と定義されていないために
致死薬の注射のように報告する義務が課せられておらず、
こちらの安楽死が増えている、といわれるが、
ケベックの法案が通れば同じことが起こることになる。
これと同じことがベルギーの調査報告でも指摘されていたと思う ↓
ベルギーにおける安楽死、自殺幇助の実態調査(2010/5/19)
【問題その②】
法案は administer medical aid という表現を用いており、
「医師は自分でこのようなaid in dyingを行い、
死亡するまで患者をケアしなければならない」とは書かれているが
MADにいわゆる医師による自殺幇助PASが含まれるのかどうかが
法案の文言では明らかでない。
ケベック議会の法務委員会は自殺幇助を否定したといい、
それは自殺という枠組みにすると「医療行為」としにくいことに加えて、
自殺企図のある人への医療職の適切な対応は命を救う方向であるという一般の考え方や
カナダの最高裁が自殺幇助の犯罪性は憲法に則しているとの判決(Rodorigeuez)などが
影響しているのでは、というのが著者の読み。
【法案の問題③】
MADが認められる「終末期」の患者の要件として、
…… suffer from an incurable serious illness; suffer from an advanced state of irreversible decline in capability; and suffer from constant and unbearable physical of psychological pain which cannot be relieved in a manner the person deems tolerable.
不治の重病があること; 不可逆的に能力が低下する状態が進行していること; 本人が許容できる方法では軽減することのできない継続的で耐え難い身体的または心理的な苦痛があること
つまり終末期の人でなくてもよく、
身体的な病気がなく精神障害であってもよく、
多くの障害者、高齢者、病者、弱者は当てはまることになる。
しかもMADは
「入所施設、介護施設」でも個人宅でも行ってよいこととされている。
Quebec is trying to legalize euthanasia by calling it something else. It’s still wrong
The Globe and Mail, June 19, 2013
Terminal sedation と palliative sedation の区別については
ハリケーン・カトリーナの安楽死事件を思い出す。
苦痛を感じてもいなければ意識を失っていたわけでもなく、
まして死を自己決定したわけでもない人達に
非難させられないからという理由で「死ぬまで鎮静剤を」投与するよう
看護師に支持した医師は、事件後にフィンズ記者の取材で、
緩和の鎮静にだって死を早める効果があり、鎮静を安楽死というなら
医師は日常的にそういうことをやっているのだ、と釈明した。
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 1/5: 概要(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 2/5: Day 1 とDay 2(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 3/5 : Day 3(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 4/5 : Day 4(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 5/5 : その後・考察(2010/10/25)
なお、この前、某MLで教えていただいた
日本緩和医療学会の「苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン」はこちら ↓
http://www.jspm.ne.jp/guidelines/sedation/2010/index.php
その他、関連エントリーは ↓
在宅医療における終末期の胃ろうとセデーション(2010/10/6)
また、鎮静を含めた、英国のLCPの機会的適用問題については ↓
“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機会的適用でNHSが調査に(2012/10/28)
ケベックの法案は「医療的自殺幇助」という名の安楽死合法化法案(2013/6/14)
私がこのエントリーで指摘した通りの言葉のマジックを指摘する記事が
19日のGlove and Mailに出ていますが、
そちらの記事に法案の詳細があり、
それによると想像以上にラディカルな内容になっているようです。
まず冒頭の一文は、実に爽快。
なるほど。飼っているのはアヒルなのに、自分のペットはイヌだと称するわけですね。アパートでアヒルを買うのは法律で禁じられているから。法律を破ったら捕まりますからね。
大まかに言えば、この記事はこの法案について、
安楽死をmedical aid in dying (MAD)と称することによって、
安楽死でも自殺幇助でもなく「医療の一端である」と言い抜けることを狙っている、
というのも、安楽死や自殺幇助は連邦刑法に関わる事項だけれど、
医療については州政府の決定事項であり、州の医療法改正の問題に過ぎないから。
実際に、ケベック州の医療法では医療行為の定義が拡大されて
医師が「終末期を尊重する同法の下で、
終末期の患者がmedical aid in dyingを受けられるよう薬物などを投与すること」が
含まれているとのこと。
しかし、この法案ではMADをきっちり定義しておらず、
せいぜい以下のように書いて施設の医師、視界、薬剤師の委員会にゆだねられている。
……in accordance with the clinical standards established by the professional orders concerned, to adopt clinical protocols applicable to terminal palliative sedation and medical aid in dying.
これを正しく日本語にできる自信は私にないのだけれど、
最後のところで terminal palliative sedation と MAD と2つが並べてあるのには
重要な意味があって、
この法案 Bill 52は
終末期の患者に「素早い安楽死」と「ゆっくりの安楽死」を選択させるんだそうな。
もちろん、MADが素早い方。鎮静(sedation)がゆっくりの方。
しかし、この記事の著者は指摘する。
terminal palliative sedationという紛らわしい表現は一体なんだ、と。
【法案の問題その①】
terminal sedation とは、
死を引き起こす目的を持った鎮静であり、つまり実質は安楽死。
palliative sedation とは、
苦痛緩和の目的で行われる鎮静。
安楽死推進派は両者を区別することはできないと主張するが、
著者はきっぱりと言い切る。
「もしも患者の症状が鎮静を行わずにコントロール可能であったり、
患者が死に瀕していないのに栄養と水分が差し控えられていれば特に、
そういう場合の鎮静は明らかに安楽死である」
オランダでは terminal sedation は安楽死と定義されていないために
致死薬の注射のように報告する義務が課せられておらず、
こちらの安楽死が増えている、といわれるが、
ケベックの法案が通れば同じことが起こることになる。
これと同じことがベルギーの調査報告でも指摘されていたと思う ↓
ベルギーにおける安楽死、自殺幇助の実態調査(2010/5/19)
【問題その②】
法案は administer medical aid という表現を用いており、
「医師は自分でこのようなaid in dyingを行い、
死亡するまで患者をケアしなければならない」とは書かれているが
MADにいわゆる医師による自殺幇助PASが含まれるのかどうかが
法案の文言では明らかでない。
ケベック議会の法務委員会は自殺幇助を否定したといい、
それは自殺という枠組みにすると「医療行為」としにくいことに加えて、
自殺企図のある人への医療職の適切な対応は命を救う方向であるという一般の考え方や
カナダの最高裁が自殺幇助の犯罪性は憲法に則しているとの判決(Rodorigeuez)などが
影響しているのでは、というのが著者の読み。
【法案の問題③】
MADが認められる「終末期」の患者の要件として、
…… suffer from an incurable serious illness; suffer from an advanced state of irreversible decline in capability; and suffer from constant and unbearable physical of psychological pain which cannot be relieved in a manner the person deems tolerable.
不治の重病があること; 不可逆的に能力が低下する状態が進行していること; 本人が許容できる方法では軽減することのできない継続的で耐え難い身体的または心理的な苦痛があること
つまり終末期の人でなくてもよく、
身体的な病気がなく精神障害であってもよく、
多くの障害者、高齢者、病者、弱者は当てはまることになる。
しかもMADは
「入所施設、介護施設」でも個人宅でも行ってよいこととされている。
Quebec is trying to legalize euthanasia by calling it something else. It’s still wrong
The Globe and Mail, June 19, 2013
Terminal sedation と palliative sedation の区別については
ハリケーン・カトリーナの安楽死事件を思い出す。
苦痛を感じてもいなければ意識を失っていたわけでもなく、
まして死を自己決定したわけでもない人達に
非難させられないからという理由で「死ぬまで鎮静剤を」投与するよう
看護師に支持した医師は、事件後にフィンズ記者の取材で、
緩和の鎮静にだって死を早める効果があり、鎮静を安楽死というなら
医師は日常的にそういうことをやっているのだ、と釈明した。
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 1/5: 概要(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 2/5: Day 1 とDay 2(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 3/5 : Day 3(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 4/5 : Day 4(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 5/5 : その後・考察(2010/10/25)
なお、この前、某MLで教えていただいた
日本緩和医療学会の「苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン」はこちら ↓
http://www.jspm.ne.jp/guidelines/sedation/2010/index.php
その他、関連エントリーは ↓
在宅医療における終末期の胃ろうとセデーション(2010/10/6)
また、鎮静を含めた、英国のLCPの機会的適用問題については ↓
“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機会的適用でNHSが調査に(2012/10/28)
2013.06.24 / Top↑