「生命学に何ができるか 脳死・フェミニズム・優生思想」
森岡正博 勁草書房 2002
冒頭の脳死関連の章も大変面白いのだけれど、
今回はとりあえず、ウーマン・リブと障害者運動との間にあったことを知り、
そのうえで考えてみたいことがあってこの本を手にした事情があるので、
脳死関連はここではパスして、以下もほぼ自分のためのメモとして。
まず最初にメモしておきたいこととして
パーソン論批判。
ちなみに29歳の森岡先生が書いたパーソン論批判についてはこちらに ↓
森岡正博氏(29歳)による「パーソン論の限界」(2009/8/22)
それを読んでspitzibaraが書いたパーソン論批判はこちら ↓
Spitzibaraからパーソン論へのクレーム(2009/8/23)
…パーソン論には大きな罠がある。それは、われわれが見失ってはならない人間観や、われわれが引き受けなければならないはずの倫理性というものを、巧妙に隠ぺいしてしまう働きがあるのだ。そのことを明らかにし、パーソン論の発想を批判しなければならない。われわれの課題とは、パーソン論を綿密に展開することにあるのではなく、パーソン論とは別要に考えてゆく可能性を模索することにある。
(p.109-110)
森岡先生は、パーソン論は見かけだけはラディカルだけど
実は保守主義であり、免責、免罪のイデオロギーだ、と看破する。
すなわち、パーソン論とは、われわれの多くがこの社会で実行しているところの、生命に価値の高低をつける差別的な取り扱いを、あからさまに肯定する理論なのである。それは、社会の現実というものを見据えたうえで、さらにそれを乗り越えていこうという思想ではない。それは、現実社会で行われている差別的な行為に、理論のお墨付きを与える、保守主義的な思想なのだ。(p.110)
パーソン論にあるのは、自分が悪いことをしないためには、どのように「悪」を定義すればよいかという視点だ。裏返せば、パーソン論には、悪い行いをしてしまった自分が、それを引き受けてどのように生き続ければいいのかという視点がない。悪の「責め」を自らに引き受けながら、いかに人生を生き切ればよいのかという視点がない。
(p.118)
パーソン論が、われわれの目をふさいで見えなくさせているもの、それが〈揺らぐ私〉のリアリティである。〈揺らぐ私〉のリアリティとは何か。
(p.127)
この〈揺らぐ私〉のリアリティが、
次の章でフェミニズムを経て、さらに次の章で田中美津の「とり乱し」と、
そのとり乱しを通して他者と出会おうとした彼女の思想へと繋がっていく。
第3章のキモは
70年代の優生保護紹介悪反対運動で障害者運動から投げかけられた
女性の選択権と選別的中絶における命の選別の相克の問題について
リブの側でどれほどの思索が深められていったか、というところ。
私がこの本で一番読みたかったのも、そこだった。
田中美津は、
胎児は人間ではない、と理屈で正当化されただけでは済まないものが自分の中にある、
それは何かと問い、
女は好んで中絶しているのではなく、中絶させられているのだ。それを確認したうえで、田中は、中絶する自分を殺人者としてとらえる。胎児の生命を絶つという事実から目をそらすことなく、その行為を殺人としてとらえる。そのうえで、自分が殺人者とならざるをえないようになっているこの社会の構造と、そしておそらくはこの声明世界の構造の真相を、殺人者の目からとらえ直そうとしているのである。そしてこの問いのさらに背後には、殺人や生命の殺戮なしには生きていけない人間存在とはいったい何なのかという根本的な問いが、ゆるくつながる形で存在していると私は思う。
(p.169)
……中絶は道徳的に悪ではないから許される、というふうには村上(spitzibara注:節子)や田中は考えない。そうではなく、中絶を子殺しだと認めたうえで、そういう子殺しをしてしまう自分を見つめ、自分の生のあり方を見つめ、自分が子殺しをしてしまうのはなぜか、子殺しをさせられてしまうのはなぜかというふうに思索を展開し、みずからの生きる道を定めていく。このような思索のパラダイム転換こそが、七〇年代ウーマン・リブの生命倫理の革新性なのである。
(p.176-7)
村上は、
女の生理にのっとって「衝動的に」子どもを生める日のために、
命の管理としての中絶=子殺しを女自身の手でやるべきだと主張している。
(私はここはまだよく理解できない)
中絶についての森岡先生のスタンスも、
分かったような気がするのだけど微妙で分かり切っていない気もするので
ここではパスしておく。
結局のところ、70年代に障害者運動から問われた、
女性の中絶の権利の中に障害を理由にした中絶の権利も含まれるのか、という問題は
「リブの言説の内部では決着が付かず、八〇年代を経て現在にまで持ち越されている」(p.190)
で、森岡先生が田中美津の思索の先に構想している「生命学にできること」とは
例えば
……単純で一面的でもいいから、どちらかの立場で一刀両断してすっきりしたい、という誘惑に最後まで抵抗すること。これらの難問に直面したときにわれわれを襲う「とり乱し」の状況に、まずは耐えること。そして、自分のなかのとり乱しの内部へと深く入り、なぜ私がこんなにもとり乱しているのかを、私自身の人生と経験を断層検査しながら解体していくこと。
(p.243)
あるいは
「悪ではないもの」の内容を記述して「そのように行動せよ!」と指令する倫理学ではなく、「悪」を背負った者同士が、自らの存在を自己肯定しつつ、どのようにして「悪ではないもの」をめざして歩んでいけるのかを、とり乱しと出会いのプロセスのなかで学び合い、伝達し合っていく営み。……
(p.248)
それは森岡先生自身の中では、以下のような
矛盾する男としての自分の「とり乱し」の自覚と、
その「とり乱し」の苦しさから逃げない覚悟となっている。
……私の中には、女たちの声を聞きそれと出会ってゆきたい自分があると同時に、いままでどおり身近な女たちに苦しみと辛さを押し付けて、男の権力性の上にあぐらをかいたまま、自分の快適さと欲望追求にいそしみたい自分とが同居している……
(p.237)
(次のエントリーに続く)
森岡正博 勁草書房 2002
冒頭の脳死関連の章も大変面白いのだけれど、
今回はとりあえず、ウーマン・リブと障害者運動との間にあったことを知り、
そのうえで考えてみたいことがあってこの本を手にした事情があるので、
脳死関連はここではパスして、以下もほぼ自分のためのメモとして。
まず最初にメモしておきたいこととして
パーソン論批判。
ちなみに29歳の森岡先生が書いたパーソン論批判についてはこちらに ↓
森岡正博氏(29歳)による「パーソン論の限界」(2009/8/22)
それを読んでspitzibaraが書いたパーソン論批判はこちら ↓
Spitzibaraからパーソン論へのクレーム(2009/8/23)
…パーソン論には大きな罠がある。それは、われわれが見失ってはならない人間観や、われわれが引き受けなければならないはずの倫理性というものを、巧妙に隠ぺいしてしまう働きがあるのだ。そのことを明らかにし、パーソン論の発想を批判しなければならない。われわれの課題とは、パーソン論を綿密に展開することにあるのではなく、パーソン論とは別要に考えてゆく可能性を模索することにある。
(p.109-110)
森岡先生は、パーソン論は見かけだけはラディカルだけど
実は保守主義であり、免責、免罪のイデオロギーだ、と看破する。
すなわち、パーソン論とは、われわれの多くがこの社会で実行しているところの、生命に価値の高低をつける差別的な取り扱いを、あからさまに肯定する理論なのである。それは、社会の現実というものを見据えたうえで、さらにそれを乗り越えていこうという思想ではない。それは、現実社会で行われている差別的な行為に、理論のお墨付きを与える、保守主義的な思想なのだ。(p.110)
パーソン論にあるのは、自分が悪いことをしないためには、どのように「悪」を定義すればよいかという視点だ。裏返せば、パーソン論には、悪い行いをしてしまった自分が、それを引き受けてどのように生き続ければいいのかという視点がない。悪の「責め」を自らに引き受けながら、いかに人生を生き切ればよいのかという視点がない。
(p.118)
パーソン論が、われわれの目をふさいで見えなくさせているもの、それが〈揺らぐ私〉のリアリティである。〈揺らぐ私〉のリアリティとは何か。
(p.127)
この〈揺らぐ私〉のリアリティが、
次の章でフェミニズムを経て、さらに次の章で田中美津の「とり乱し」と、
そのとり乱しを通して他者と出会おうとした彼女の思想へと繋がっていく。
第3章のキモは
70年代の優生保護紹介悪反対運動で障害者運動から投げかけられた
女性の選択権と選別的中絶における命の選別の相克の問題について
リブの側でどれほどの思索が深められていったか、というところ。
私がこの本で一番読みたかったのも、そこだった。
田中美津は、
胎児は人間ではない、と理屈で正当化されただけでは済まないものが自分の中にある、
それは何かと問い、
女は好んで中絶しているのではなく、中絶させられているのだ。それを確認したうえで、田中は、中絶する自分を殺人者としてとらえる。胎児の生命を絶つという事実から目をそらすことなく、その行為を殺人としてとらえる。そのうえで、自分が殺人者とならざるをえないようになっているこの社会の構造と、そしておそらくはこの声明世界の構造の真相を、殺人者の目からとらえ直そうとしているのである。そしてこの問いのさらに背後には、殺人や生命の殺戮なしには生きていけない人間存在とはいったい何なのかという根本的な問いが、ゆるくつながる形で存在していると私は思う。
(p.169)
……中絶は道徳的に悪ではないから許される、というふうには村上(spitzibara注:節子)や田中は考えない。そうではなく、中絶を子殺しだと認めたうえで、そういう子殺しをしてしまう自分を見つめ、自分の生のあり方を見つめ、自分が子殺しをしてしまうのはなぜか、子殺しをさせられてしまうのはなぜかというふうに思索を展開し、みずからの生きる道を定めていく。このような思索のパラダイム転換こそが、七〇年代ウーマン・リブの生命倫理の革新性なのである。
(p.176-7)
村上は、
女の生理にのっとって「衝動的に」子どもを生める日のために、
命の管理としての中絶=子殺しを女自身の手でやるべきだと主張している。
(私はここはまだよく理解できない)
中絶についての森岡先生のスタンスも、
分かったような気がするのだけど微妙で分かり切っていない気もするので
ここではパスしておく。
結局のところ、70年代に障害者運動から問われた、
女性の中絶の権利の中に障害を理由にした中絶の権利も含まれるのか、という問題は
「リブの言説の内部では決着が付かず、八〇年代を経て現在にまで持ち越されている」(p.190)
で、森岡先生が田中美津の思索の先に構想している「生命学にできること」とは
例えば
……単純で一面的でもいいから、どちらかの立場で一刀両断してすっきりしたい、という誘惑に最後まで抵抗すること。これらの難問に直面したときにわれわれを襲う「とり乱し」の状況に、まずは耐えること。そして、自分のなかのとり乱しの内部へと深く入り、なぜ私がこんなにもとり乱しているのかを、私自身の人生と経験を断層検査しながら解体していくこと。
(p.243)
あるいは
「悪ではないもの」の内容を記述して「そのように行動せよ!」と指令する倫理学ではなく、「悪」を背負った者同士が、自らの存在を自己肯定しつつ、どのようにして「悪ではないもの」をめざして歩んでいけるのかを、とり乱しと出会いのプロセスのなかで学び合い、伝達し合っていく営み。……
(p.248)
それは森岡先生自身の中では、以下のような
矛盾する男としての自分の「とり乱し」の自覚と、
その「とり乱し」の苦しさから逃げない覚悟となっている。
……私の中には、女たちの声を聞きそれと出会ってゆきたい自分があると同時に、いままでどおり身近な女たちに苦しみと辛さを押し付けて、男の権力性の上にあぐらをかいたまま、自分の快適さと欲望追求にいそしみたい自分とが同居している……
(p.237)
(次のエントリーに続く)
2012.09.29 / Top↑
立岩真也氏が生活書院のHPで
次の『生死本』というタイトルの本の準備として連載をスタート。
現在、以下の2つ。
『生死本』(仮)の準備・1(2012/8/7)
家で死ぬ本――『生死本』(仮)の準備・2(2012/8/21)
この2つ目の中に、『脱施設』をめぐる事実関係で
「ええ――――っ! そっ、そんなぁ。そうだったんですかぁぁぁ??」と
思わず絶叫してしまった話があって、
立岩先生の連載2回目から
私が仰天した部分をメモとして抜いておくと、
ここで一つ押さえておいた方がよいことを加えと、この知的障害者の施設にしても次にあげる精神病院にしても、 ヨーロッパや北米にあったのは本当に巨大な施設・コロニーであったということであり、それは日本で、当初民間で、ぽつりぼつりとようやくできたいった施設 とは──どちらがましだといったことを言いたいのはではないが──様子がだいぶ異なるものだった……
……ただ病院・施設にいたくないとしても、代わりにもっとよい場所がなければ、当たり前のことだが、まだそこにい た方がましである。しかし代わりにいる場所がないまま「脱」が進められたことがあった。一九六〇年代の米国における精神障害者の「脱施設(病院)化」が、 暮らしやすい居場所を見つけられない人たちを大量にを生み出したことはよく知られている。
「アメリカにとって一九六〇年代は力動精神医学が中心でしたが、ケネディ大統領は、精神病院の病床を五十万 床から十五万床に減らすことを一気に三年で行います。大統領の任期が四年ですから二十年計画でやるとういことはアメリカではあり得ません。精神病院を小さ くする代わりに各地に精神保健センターをつくるという計画でした。しかし精神保健センターには患者さんは来ませんでした。カーター夫人が一九七七年に世界 精神保健連盟(WFMH)の総会で、これは失敗であり、患者はセンターに来なかったということを話していました。実際、大部分がホームレスになったり、あ るいはギャングに生活保護費のウワマエをハネられる存在になったといいます。<0129<
現在アメリカではどうなっているかというと、メンタルヘルスセンターはとうとうレーガン大統領の時代には廃止されてしまったということです。」(中井[2004:129-130])
「よく知られている」って……。
じゃぁ、ど~して、私にこれを言ってくれる人は
今までどこにもいなかったのよォォ?
なんか、今まで騙されてたみたいな、
うらみがましい気分になってしまった。
まぁ、そもそも自分がものを知らないんだから
自業自得ではあるんだけれど、
私が聞かされてきたのは
「施設入所はゼッタイ悪」「脱施設だけが善」
「誰もが自立生活を送れる社会だけが目指すべき正しい道」
「地域移行が実現すれば、もろもろの問題は解決」
みたいなトーンの話が多かった。
少なくとも私の個人的な体験では
そういう印象が突出している。
「今はもう時代が違うんだよッ」って
私を怒鳴りつけた『施設解体だけが正しい』だった人は、
この事実を知らなかったのだろうか。
もし知っていたのだとしたら、
じゃぁ、あの人は、たとえ施設解体で居場所を失う人が出ても、
それは正しい運動のためのコラテラルダメージだとでも
思っていたんだろうか……。
が~~~~~~~~~~ん。
この新発見、
私はショックだぁ~~~~~~~~~。
だって、もう何度も何度も言ってきたように、
今回の法改正で「地域移行」が施設からの追い出しのアリバイに使われた時、
真っ先にそのコラテラル・ダメージになるのは私たちの子どもなんですけど――?
立岩先生は「よく知られている」と言うんだけれど、
日本で『脱施設』を言い続けてきた人たちは、
これ、知らなかったの?
それとも知ってたの?
次の『生死本』というタイトルの本の準備として連載をスタート。
現在、以下の2つ。
『生死本』(仮)の準備・1(2012/8/7)
家で死ぬ本――『生死本』(仮)の準備・2(2012/8/21)
この2つ目の中に、『脱施設』をめぐる事実関係で
「ええ――――っ! そっ、そんなぁ。そうだったんですかぁぁぁ??」と
思わず絶叫してしまった話があって、
立岩先生の連載2回目から
私が仰天した部分をメモとして抜いておくと、
ここで一つ押さえておいた方がよいことを加えと、この知的障害者の施設にしても次にあげる精神病院にしても、 ヨーロッパや北米にあったのは本当に巨大な施設・コロニーであったということであり、それは日本で、当初民間で、ぽつりぼつりとようやくできたいった施設 とは──どちらがましだといったことを言いたいのはではないが──様子がだいぶ異なるものだった……
……ただ病院・施設にいたくないとしても、代わりにもっとよい場所がなければ、当たり前のことだが、まだそこにい た方がましである。しかし代わりにいる場所がないまま「脱」が進められたことがあった。一九六〇年代の米国における精神障害者の「脱施設(病院)化」が、 暮らしやすい居場所を見つけられない人たちを大量にを生み出したことはよく知られている。
「アメリカにとって一九六〇年代は力動精神医学が中心でしたが、ケネディ大統領は、精神病院の病床を五十万 床から十五万床に減らすことを一気に三年で行います。大統領の任期が四年ですから二十年計画でやるとういことはアメリカではあり得ません。精神病院を小さ くする代わりに各地に精神保健センターをつくるという計画でした。しかし精神保健センターには患者さんは来ませんでした。カーター夫人が一九七七年に世界 精神保健連盟(WFMH)の総会で、これは失敗であり、患者はセンターに来なかったということを話していました。実際、大部分がホームレスになったり、あ るいはギャングに生活保護費のウワマエをハネられる存在になったといいます。<0129<
現在アメリカではどうなっているかというと、メンタルヘルスセンターはとうとうレーガン大統領の時代には廃止されてしまったということです。」(中井[2004:129-130])
「よく知られている」って……。
じゃぁ、ど~して、私にこれを言ってくれる人は
今までどこにもいなかったのよォォ?
なんか、今まで騙されてたみたいな、
うらみがましい気分になってしまった。
まぁ、そもそも自分がものを知らないんだから
自業自得ではあるんだけれど、
私が聞かされてきたのは
「施設入所はゼッタイ悪」「脱施設だけが善」
「誰もが自立生活を送れる社会だけが目指すべき正しい道」
「地域移行が実現すれば、もろもろの問題は解決」
みたいなトーンの話が多かった。
少なくとも私の個人的な体験では
そういう印象が突出している。
「今はもう時代が違うんだよッ」って
私を怒鳴りつけた『施設解体だけが正しい』だった人は、
この事実を知らなかったのだろうか。
もし知っていたのだとしたら、
じゃぁ、あの人は、たとえ施設解体で居場所を失う人が出ても、
それは正しい運動のためのコラテラルダメージだとでも
思っていたんだろうか……。
が~~~~~~~~~~ん。
この新発見、
私はショックだぁ~~~~~~~~~。
だって、もう何度も何度も言ってきたように、
今回の法改正で「地域移行」が施設からの追い出しのアリバイに使われた時、
真っ先にそのコラテラル・ダメージになるのは私たちの子どもなんですけど――?
立岩先生は「よく知られている」と言うんだけれど、
日本で『脱施設』を言い続けてきた人たちは、
これ、知らなかったの?
それとも知ってたの?
2012.08.28 / Top↑
英国で、知的障害のある子どもが国外で結婚させられるケースが相次いで
Mencapその他のチャリティが問題にしている。
例えば33歳の息子にパキスタン人の妻を見つけたという50代の母親は
「私も歳をとってきたし、
24時間介護が必要な息子のケアはたいへんになってきたけど、
嫁が来てくれれば息子の面倒を見てくれるでしょう。
なにしろ息子は何でもすぐに出てこないと気が済まないのよ。
食べ物だって着るものだって。
でも、息子が婚約したってことはまだ誰にも言ってないの」
知的障害のある子どもを結婚させてしまえば
家族が感じるスティグマは軽減され、
他の子どもたちの結婚に差し支えることもなくなる。
そうした家族は、結婚は本人の最善の利益だと主張するけれど、
専門家からは、破たんした時や、搾取の温床になるなどの懸念も。
実際、知的障害のある娘に、金目当てで
パキスタンの男性3人と次々に結婚させた一家も。
この問題を重視するMencapとFace the Factでは、
一般に知られ考えられている以上に実態は深刻、と対応を呼びかけている。
Fears for those with learning difficulties forced into marriages
Asian Image, August 1, 2012
この問題、英国では2008年から既に報告されていた ↓
知的障害者の強制結婚、相手はビザ目的、親は介護保障で(2008/7/29)
息子の介護のため、パキスタンから妻を迎えるという話に、思いだすのは、これ ↓
“現代の奴隷制“ 輸出入される介護労働(2009/11/12)
アジアの国々から介護労働、育児労働が輸出されているのは
もうずいぶん前からのことなのだけれど、
それが結婚として行われるということは、
介護労働者受け入れプログラムですら十分でない保護が
さらに全くない、密室の奴隷労働、になるのでは?
アジアから英国に迎えられる“妻”たちにせよ、
英国から余所の国に送り出される“妻”たちにせよ、
女性ゆえ、知的障害者ゆえに、
家族や男たちによって、何重にも重なった搾取を受ける。
これもグローバリゼーションの一つの顔……?
暗澹。
Mencapその他のチャリティが問題にしている。
例えば33歳の息子にパキスタン人の妻を見つけたという50代の母親は
「私も歳をとってきたし、
24時間介護が必要な息子のケアはたいへんになってきたけど、
嫁が来てくれれば息子の面倒を見てくれるでしょう。
なにしろ息子は何でもすぐに出てこないと気が済まないのよ。
食べ物だって着るものだって。
でも、息子が婚約したってことはまだ誰にも言ってないの」
知的障害のある子どもを結婚させてしまえば
家族が感じるスティグマは軽減され、
他の子どもたちの結婚に差し支えることもなくなる。
そうした家族は、結婚は本人の最善の利益だと主張するけれど、
専門家からは、破たんした時や、搾取の温床になるなどの懸念も。
実際、知的障害のある娘に、金目当てで
パキスタンの男性3人と次々に結婚させた一家も。
この問題を重視するMencapとFace the Factでは、
一般に知られ考えられている以上に実態は深刻、と対応を呼びかけている。
Fears for those with learning difficulties forced into marriages
Asian Image, August 1, 2012
この問題、英国では2008年から既に報告されていた ↓
知的障害者の強制結婚、相手はビザ目的、親は介護保障で(2008/7/29)
息子の介護のため、パキスタンから妻を迎えるという話に、思いだすのは、これ ↓
“現代の奴隷制“ 輸出入される介護労働(2009/11/12)
アジアの国々から介護労働、育児労働が輸出されているのは
もうずいぶん前からのことなのだけれど、
それが結婚として行われるということは、
介護労働者受け入れプログラムですら十分でない保護が
さらに全くない、密室の奴隷労働、になるのでは?
アジアから英国に迎えられる“妻”たちにせよ、
英国から余所の国に送り出される“妻”たちにせよ、
女性ゆえ、知的障害者ゆえに、
家族や男たちによって、何重にも重なった搾取を受ける。
これもグローバリゼーションの一つの顔……?
暗澹。
2012.08.02 / Top↑
最近のツイートから「虐待的な親」
ああ、これ、本当にそうですね。(虐待的な親とか社会は)「私に愛されるように行動しなさい」なんだわ。でも、子どもが誰にどう見えるかなんて意識にもないほど自分自身にとってオモロイことに熱中している姿とか、そういうヤツであることが、「オモロく愛おしい」んだもんねー。
あれから考えたんですけど、「私に愛されるように行動しなさい」という基準は、実は「状況次第で変わる私の気分に適宜沿って、その時々に愛されるように行動しなさい」という、まったく不確実な基準なんですよね。それが子どもを翻弄し、結果として
子どもは常に自分以外の誰かの承認を意識して行動することを強いられる。そして自分自身は何を望んでいるのか、どうしたいのかの感覚を喪失していくんじゃないか、と。
また「私に愛されるように」は、例えば「私が認め、誇りに思えるだけ優秀な存在であれ」でありつつ、場面によって「しかし、その優秀さで私のコンプレックスを刺激したり、私に優越してはならない」という矛盾した内容を含んでいたりのダブルバインド。
ああ、これ、本当にそうですね。(虐待的な親とか社会は)「私に愛されるように行動しなさい」なんだわ。でも、子どもが誰にどう見えるかなんて意識にもないほど自分自身にとってオモロイことに熱中している姿とか、そういうヤツであることが、「オモロく愛おしい」んだもんねー。
あれから考えたんですけど、「私に愛されるように行動しなさい」という基準は、実は「状況次第で変わる私の気分に適宜沿って、その時々に愛されるように行動しなさい」という、まったく不確実な基準なんですよね。それが子どもを翻弄し、結果として
子どもは常に自分以外の誰かの承認を意識して行動することを強いられる。そして自分自身は何を望んでいるのか、どうしたいのかの感覚を喪失していくんじゃないか、と。
また「私に愛されるように」は、例えば「私が認め、誇りに思えるだけ優秀な存在であれ」でありつつ、場面によって「しかし、その優秀さで私のコンプレックスを刺激したり、私に優越してはならない」という矛盾した内容を含んでいたりのダブルバインド。
2012.05.13 / Top↑
後段は昨日2月28日。
たまたま私がフォローしている方からリツイートされてきた、
知的障害者の地域生活の支援をしておられる方のツイートに
以下のような一節があり、これが頭に噛みついてしまった。
施設入所を希望している保護者から彼の地域生活を守りたい。
施設送りの為に働いてはいない。
思わず血がのぼった頭を冷やそうと思って、
いったんPCを離れて、お昼ごはんを食べてみたのだけど、
頭の中で反論の独り言がどうにも離れなくなった。
で、熱くなった頭のままで、つい連続ツイート。
「よりあい」の下村恵美子さんが、「あれは自分ではなかったか」という本に収録された講演で:通所で来ている昼間だけの、つきあいの時は、家族の余裕のなさを、なかなか理解できないこともあります。泊まりでそういう夜を自分が体験すると(略)「次々に大変なことが起きて、長いことようつきあいんしゃったですね」って、心から共感して、家族に言えるようになりました。
下村さんは、苦しい夜勤を耐えられるのは明けない夜はないと知っているからだと言い、早出の職員がやってきた気配に救われると書いている。家族の介護では救いになる早出の職員はやってこない。それは明けない夜を繰り返すということ。
人はみんなそれぞれに固有の環境と固有の人との繋がりの中で、固有の歴史としがらみといきさつと事情を背負い、その中の誰彼との相互の恨みつらみやゴタゴタに絡みつかれて暮らしている。その固有の現実からスタートせず、「これが正解」からスタートして「支援」になるわけがない。
「親から守る」と敵対するのではなく、そこまで追いつめられ限界を感じている親を理解し支えながら、本人と親とも一緒に解決を探るといった姿勢にはなれないものでしょうか。何年間また日々の何時間その人と関わってきたのかしらないけど、「自分だけが支えている」姿勢は「支援者」の傲慢では?
固有の事情が状況に目を向けて丁寧に考えるべきところで、「施設は絶対悪」「施設に入れようとする親は敵」から、まず姿勢を固めてかかるのも、私には一種の思考停止に思える。
……と、「施設」「親は敵」にまた過剰反応している私。
その後も頭の中の独り言は止まらず、
ものすごい量の思考の断片が豪雨の後の濁流みたいな勢いで流れ続けたのだけど、
コーフンしているものだから、あまり記憶に留まっていなくて、
そのうちのごく一部を、
・親もその人の地域生活を一緒に支えているのではないのでしょうか。
親も支えているのに、その事実が全く念頭から消えているのは、
親はやって当たり前と思われているからなんでしょうか。
・私だったら、こんなふうに何かの時には「親から守る」と
敵対の目を向けられるような事業所には、とても子どもを通わせる気になれない。
苦しんでおられるところに、こういう冷たい視線を浴びせられる親御さんが気の毒でならない。
・障害者運動が、「親という存在」に対して警戒の念を持っているのは理解できる。
だけど、それは目の前の個々の親である一人ひとりの人間を敵視してかかることや
施設入所を希望するか自立生活を目指すかによって個々の親を仕分けてかかることと同じではないはず。
・親にとっては、目の前で起こっている事態というのは常に
子どもが生まれた時を起点に、その後の長い年月にあったあれやこれやの先に
さらに追加されてくっついて起こっていることなんだけれど、
専門家は、目の前で起こっている事態だけを単独で問題にする。
または、自分が親子と出会った時に親子がそこで初めて地球上に発生したかのように、
自分が関わるようになった時を起点にものを考える。
自分が出会うまでに親子がどういう道をたどってきたかまで
想像力を及ぼして考えてみてくれる専門家はとても少なかった。
そして、その想像力を及ぼしてくれる数少ない専門家からしか、下村さんのような
「よくここまで来られましたね。よく頑張ってこられましたね」という心からの共感は出てこない。
・想像力のないところに共感はない。
想像力のない人には人を助けることはできない。
共感がなければ信頼関係は作れない。
・親が施設入所を望むのが気に入らないなら、
あなたの事業所で支援してきた子どもの親が施設入所を希望しているのだから、
あなたがやってきたはずの支援がもしかしたら十分ではなかったのでは、と
これまでのやり方を振り返ってみようとするつもりはないの?
・それとも、もしかして、この人はとても若いの?
単に未熟な職員さんが気負いこんでいる、というだけ?
・医師は治療が思うように行かないと、どこかで「この患者は○○だから」と言い始める。
学校の先生は生徒がいつまでも自分の思うようにならないと、
いつか「この子の親が○○だから」と言い始める。
「支援者」を名乗る人たちも、結局は同じなんですか?
障害のある子どもの親は、そういう専門家の
結局は「自分のプライドのため」には、ほとほとウンザリなんですけど。
・「施設送りの為に働いていない」も、結局のところ
あなたにとって最も大切だと意識されているのは自分の仕事のスタンスであり、
自分のプライドなのでは?
・自分たちが支援するのは本人であって、
親に支援は必要ないという意識をそこに感じるのですが、それは一体なぜ?
・親の支援を考えると、そこに本人の利害との相克が生じるからですか?
家庭の成員のそれぞれの利害には当然のこととして相克がありますが、
障害者を支援する人は、本人以外の事情も権利も利益も丸無視して、
ただ本人の代弁者となるべきだからですか?
・親に代弁するなといいながら
なぜ支援者と名乗る人なら代弁できるのですか。
・もしも、自分たちのことを勝手に決めるな、と訴えてきた障害者運動が
地域生活だけが普遍的に正しくて「施設送り」は絶対悪だというなら、
それもまた、他人がそれぞれ自分の暮らし方について考えたり決めたりするべきところで
勝手に決めていることにはならないのですか?
以上は、まぁ、感情的な反発から頭に浮かんだ
ほとんど言いがかりレベルの断片たちですが、
そんなこんなを考えた先に出てきたのが、
今日、「くつした泥棒」のエントリーに
yaguchiさんから頂いたコメントへのお返事に書いた、以下。
その前のコメントからのつながりで。
Y:「誰ひとりとして自ら望んでそこで暮らしているわけではない施設」なんですよね。幾度も児玉さんの『アシュリー事件』のレビューブログに書きたくてトライしていたのですが、下書き書いては消して書けなかった。自分がその施設に勤めていた人間として書けなかった。
S:yaguchiさん、読んだ瞬間、どばっと涙が……。yaguchiさんも赤剥けでヒリヒリする傷と正面から向かい、自分でそこに手を突っ込んで書きまわ すようなことをしておられる。私もそこのところの果てのない自問が苦しくてならない。「アシュリー事件」を書き、新たに障害学の周辺の方と出会いをいただ いたことから、問いが深まり、余計に苦しくなってもいます。
S:でも、私はその問いに苦しみながら、施設でのミュウの生活を守り少しでも良いものにするために、目の前の具体的な問題解決を目指して微力ながら闘ってもい る。ミュウの施設のスタッフだって、みんなその人なりに闘ったり努力してくださっていると思う。現にそこに生きて暮らしている人がいるのだから、施設をよ り良い場所にする努力も必要だし、その努力をしている人やその人たちの努力が否定されることもないはずだ、と思うのです。この頃。
S:だから、「施設なんて、どうせ何もかもダメだよね」とか「養護学校だから、どうせ分かっていないよね」と全否定してかかってもいいんだ、最初から叩く構え で捉えていいんだ、という論調には、その逆も含めて加担したくない。たぶん実際に自分に課すとしたら案外に難しいことなんだろうと思うけど、そんなことを 最近、強く感じてもいます。
Y:若いころにM新聞のある記者の方(おそらくいまは論説委員をなさっている)のあるML上での(私からしてみれば)一方的な施設批判、施設イコールすべて悪 の論調に、若気のいたりでDMを出し、すごいやりとりとなってしまったことがあります。それが退職したいまでもトラウマになっていて、施設イコール悪論者 とはやりとりできない状態で、私はその手の論戦にはもうついていけなくなってます。施設はある時点で完全に脱施設論に完敗しているわけで、必要悪として 残っているだけなのでしょう。とはいえグループホームの現状もspitzibaraさんが昨日アップされたところにあり、結局携わる人が問題なんだ。「精 神ある道徳」ということが求められることにおいては施設サービスも在宅サービスもある意味それは同じ、と思うところにいます。
S:私もその問題で昨日つい熱くなっていくつか思い切ったツイートをしてしまったので、取りまとめエントリーを立てようと思っています。ある時代に「親が一番 の敵だ」と鮮やかに声を上げた日本の障害者運動の先駆性は素晴らしいと思うけれど、そこから親との関係を前向きな方向に再構築していくのでも、様々な障害 像の人たちへと想像力を広げるのでもなく、今は一部の支援者までが仲間内で「施設は絶対的に悪だよね」「親は敵なんだよね」と立場が共有されている居心地 の良さに安住して、思考停止の正当化に使っているんじゃないか、という気がしてきました。
最後のところで書いたことについては
ずっと前に以下のエントリーでGKチラベルトさんとのやり取りの中で
そういうことがちょっと出てきた記憶があるので、その後、行ってみました。
親の立場から、障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと(2010/3/12)
たぶん、ここだと思う ↓
安易に正義の立場にいようとする、その後の障害学者も、障害者運動も、彼らを正義に奉り(彼ら自身は正義を否定したのに!)、その錦の御旗の下にいるだけで、彼らの地平には、全く達していないんです。
(「彼ら」とは当時の青い芝の会)
それにしても、もう一度GKチラベルトさんのコメントを全部読み返してみると、
この当時の私には、GKチラベルトさんが言っておられることがよく分からず、
分かったふりで応対しているだけ。
ここしばらくのツイッターでの煮詰まって焦げ付きそうな密度のグルグルを経て、
GKチラベルトさんが言っておられることの一部は、今度はすっすっと理解されてきた。
が、もちろん、まだ私には学びが足りない。たぶん親としての煩悶も思索も覚悟も足りない。
でも、深くものを考えることもせず「親から守る」などと安易に言える人にも、言いたいことがある。
あなたたちが苦しんできたからといって、あなたたちが闘ってきたからといって、
そのことが、あなたたちに人を断罪する資格を与えるわけじゃない。
たまたま私がフォローしている方からリツイートされてきた、
知的障害者の地域生活の支援をしておられる方のツイートに
以下のような一節があり、これが頭に噛みついてしまった。
施設入所を希望している保護者から彼の地域生活を守りたい。
施設送りの為に働いてはいない。
思わず血がのぼった頭を冷やそうと思って、
いったんPCを離れて、お昼ごはんを食べてみたのだけど、
頭の中で反論の独り言がどうにも離れなくなった。
で、熱くなった頭のままで、つい連続ツイート。
「よりあい」の下村恵美子さんが、「あれは自分ではなかったか」という本に収録された講演で:通所で来ている昼間だけの、つきあいの時は、家族の余裕のなさを、なかなか理解できないこともあります。泊まりでそういう夜を自分が体験すると(略)「次々に大変なことが起きて、長いことようつきあいんしゃったですね」って、心から共感して、家族に言えるようになりました。
下村さんは、苦しい夜勤を耐えられるのは明けない夜はないと知っているからだと言い、早出の職員がやってきた気配に救われると書いている。家族の介護では救いになる早出の職員はやってこない。それは明けない夜を繰り返すということ。
人はみんなそれぞれに固有の環境と固有の人との繋がりの中で、固有の歴史としがらみといきさつと事情を背負い、その中の誰彼との相互の恨みつらみやゴタゴタに絡みつかれて暮らしている。その固有の現実からスタートせず、「これが正解」からスタートして「支援」になるわけがない。
「親から守る」と敵対するのではなく、そこまで追いつめられ限界を感じている親を理解し支えながら、本人と親とも一緒に解決を探るといった姿勢にはなれないものでしょうか。何年間また日々の何時間その人と関わってきたのかしらないけど、「自分だけが支えている」姿勢は「支援者」の傲慢では?
固有の事情が状況に目を向けて丁寧に考えるべきところで、「施設は絶対悪」「施設に入れようとする親は敵」から、まず姿勢を固めてかかるのも、私には一種の思考停止に思える。
……と、「施設」「親は敵」にまた過剰反応している私。
その後も頭の中の独り言は止まらず、
ものすごい量の思考の断片が豪雨の後の濁流みたいな勢いで流れ続けたのだけど、
コーフンしているものだから、あまり記憶に留まっていなくて、
そのうちのごく一部を、
・親もその人の地域生活を一緒に支えているのではないのでしょうか。
親も支えているのに、その事実が全く念頭から消えているのは、
親はやって当たり前と思われているからなんでしょうか。
・私だったら、こんなふうに何かの時には「親から守る」と
敵対の目を向けられるような事業所には、とても子どもを通わせる気になれない。
苦しんでおられるところに、こういう冷たい視線を浴びせられる親御さんが気の毒でならない。
・障害者運動が、「親という存在」に対して警戒の念を持っているのは理解できる。
だけど、それは目の前の個々の親である一人ひとりの人間を敵視してかかることや
施設入所を希望するか自立生活を目指すかによって個々の親を仕分けてかかることと同じではないはず。
・親にとっては、目の前で起こっている事態というのは常に
子どもが生まれた時を起点に、その後の長い年月にあったあれやこれやの先に
さらに追加されてくっついて起こっていることなんだけれど、
専門家は、目の前で起こっている事態だけを単独で問題にする。
または、自分が親子と出会った時に親子がそこで初めて地球上に発生したかのように、
自分が関わるようになった時を起点にものを考える。
自分が出会うまでに親子がどういう道をたどってきたかまで
想像力を及ぼして考えてみてくれる専門家はとても少なかった。
そして、その想像力を及ぼしてくれる数少ない専門家からしか、下村さんのような
「よくここまで来られましたね。よく頑張ってこられましたね」という心からの共感は出てこない。
・想像力のないところに共感はない。
想像力のない人には人を助けることはできない。
共感がなければ信頼関係は作れない。
・親が施設入所を望むのが気に入らないなら、
あなたの事業所で支援してきた子どもの親が施設入所を希望しているのだから、
あなたがやってきたはずの支援がもしかしたら十分ではなかったのでは、と
これまでのやり方を振り返ってみようとするつもりはないの?
・それとも、もしかして、この人はとても若いの?
単に未熟な職員さんが気負いこんでいる、というだけ?
・医師は治療が思うように行かないと、どこかで「この患者は○○だから」と言い始める。
学校の先生は生徒がいつまでも自分の思うようにならないと、
いつか「この子の親が○○だから」と言い始める。
「支援者」を名乗る人たちも、結局は同じなんですか?
障害のある子どもの親は、そういう専門家の
結局は「自分のプライドのため」には、ほとほとウンザリなんですけど。
・「施設送りの為に働いていない」も、結局のところ
あなたにとって最も大切だと意識されているのは自分の仕事のスタンスであり、
自分のプライドなのでは?
・自分たちが支援するのは本人であって、
親に支援は必要ないという意識をそこに感じるのですが、それは一体なぜ?
・親の支援を考えると、そこに本人の利害との相克が生じるからですか?
家庭の成員のそれぞれの利害には当然のこととして相克がありますが、
障害者を支援する人は、本人以外の事情も権利も利益も丸無視して、
ただ本人の代弁者となるべきだからですか?
・親に代弁するなといいながら
なぜ支援者と名乗る人なら代弁できるのですか。
・もしも、自分たちのことを勝手に決めるな、と訴えてきた障害者運動が
地域生活だけが普遍的に正しくて「施設送り」は絶対悪だというなら、
それもまた、他人がそれぞれ自分の暮らし方について考えたり決めたりするべきところで
勝手に決めていることにはならないのですか?
以上は、まぁ、感情的な反発から頭に浮かんだ
ほとんど言いがかりレベルの断片たちですが、
そんなこんなを考えた先に出てきたのが、
今日、「くつした泥棒」のエントリーに
yaguchiさんから頂いたコメントへのお返事に書いた、以下。
その前のコメントからのつながりで。
Y:「誰ひとりとして自ら望んでそこで暮らしているわけではない施設」なんですよね。幾度も児玉さんの『アシュリー事件』のレビューブログに書きたくてトライしていたのですが、下書き書いては消して書けなかった。自分がその施設に勤めていた人間として書けなかった。
S:yaguchiさん、読んだ瞬間、どばっと涙が……。yaguchiさんも赤剥けでヒリヒリする傷と正面から向かい、自分でそこに手を突っ込んで書きまわ すようなことをしておられる。私もそこのところの果てのない自問が苦しくてならない。「アシュリー事件」を書き、新たに障害学の周辺の方と出会いをいただ いたことから、問いが深まり、余計に苦しくなってもいます。
S:でも、私はその問いに苦しみながら、施設でのミュウの生活を守り少しでも良いものにするために、目の前の具体的な問題解決を目指して微力ながら闘ってもい る。ミュウの施設のスタッフだって、みんなその人なりに闘ったり努力してくださっていると思う。現にそこに生きて暮らしている人がいるのだから、施設をよ り良い場所にする努力も必要だし、その努力をしている人やその人たちの努力が否定されることもないはずだ、と思うのです。この頃。
S:だから、「施設なんて、どうせ何もかもダメだよね」とか「養護学校だから、どうせ分かっていないよね」と全否定してかかってもいいんだ、最初から叩く構え で捉えていいんだ、という論調には、その逆も含めて加担したくない。たぶん実際に自分に課すとしたら案外に難しいことなんだろうと思うけど、そんなことを 最近、強く感じてもいます。
Y:若いころにM新聞のある記者の方(おそらくいまは論説委員をなさっている)のあるML上での(私からしてみれば)一方的な施設批判、施設イコールすべて悪 の論調に、若気のいたりでDMを出し、すごいやりとりとなってしまったことがあります。それが退職したいまでもトラウマになっていて、施設イコール悪論者 とはやりとりできない状態で、私はその手の論戦にはもうついていけなくなってます。施設はある時点で完全に脱施設論に完敗しているわけで、必要悪として 残っているだけなのでしょう。とはいえグループホームの現状もspitzibaraさんが昨日アップされたところにあり、結局携わる人が問題なんだ。「精 神ある道徳」ということが求められることにおいては施設サービスも在宅サービスもある意味それは同じ、と思うところにいます。
S:私もその問題で昨日つい熱くなっていくつか思い切ったツイートをしてしまったので、取りまとめエントリーを立てようと思っています。ある時代に「親が一番 の敵だ」と鮮やかに声を上げた日本の障害者運動の先駆性は素晴らしいと思うけれど、そこから親との関係を前向きな方向に再構築していくのでも、様々な障害 像の人たちへと想像力を広げるのでもなく、今は一部の支援者までが仲間内で「施設は絶対的に悪だよね」「親は敵なんだよね」と立場が共有されている居心地 の良さに安住して、思考停止の正当化に使っているんじゃないか、という気がしてきました。
最後のところで書いたことについては
ずっと前に以下のエントリーでGKチラベルトさんとのやり取りの中で
そういうことがちょっと出てきた記憶があるので、その後、行ってみました。
親の立場から、障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと(2010/3/12)
たぶん、ここだと思う ↓
安易に正義の立場にいようとする、その後の障害学者も、障害者運動も、彼らを正義に奉り(彼ら自身は正義を否定したのに!)、その錦の御旗の下にいるだけで、彼らの地平には、全く達していないんです。
(「彼ら」とは当時の青い芝の会)
それにしても、もう一度GKチラベルトさんのコメントを全部読み返してみると、
この当時の私には、GKチラベルトさんが言っておられることがよく分からず、
分かったふりで応対しているだけ。
ここしばらくのツイッターでの煮詰まって焦げ付きそうな密度のグルグルを経て、
GKチラベルトさんが言っておられることの一部は、今度はすっすっと理解されてきた。
が、もちろん、まだ私には学びが足りない。たぶん親としての煩悶も思索も覚悟も足りない。
でも、深くものを考えることもせず「親から守る」などと安易に言える人にも、言いたいことがある。
あなたたちが苦しんできたからといって、あなたたちが闘ってきたからといって、
そのことが、あなたたちに人を断罪する資格を与えるわけじゃない。
2012.03.14 / Top↑