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ここしばらく、
たまたま身近で交わした会話やその他あれこれから、
ミュウを施設へ入れてしまった親としての自責を巡って
ツイッターで過剰反応をしているので、

あまり感心した内容でもないのだけど、
今後もうちょっと冷静になって生産的に考えられる日のために、2段に分けて、メモ。

まずは前段の2月24日

私が一番苦しかったミュウの幼児期というのは、今から20年も前。田舎のことで、ヘルパーといえば市全体でもまだ20人数人だとか聞いたし、みんな高齢者 向けだった。ショートステイもなく、親の病気と冠婚葬祭だけに認められる緊急一時保護制度があっただけ。

施設に緊急一保利用登録する時、施設の担当者から「ミュウちゃんを預かるために職員が増やせるわけではないので、そこのところを分かっておいてもらわないと」と暗に「登録はしても、よほどのことでなければ利用するな」と釘を刺されたのを覚えている。基本的には1週間だったと思う。

その後、母親が限界を超えているのに気付いた主治医の計らいで2週間の「短期的な入所」をさせてもらったけど、その時にはまだ「短期入所」が制度になっていなかったような気がする。制度になってはいても、使うことを考えにくい時代だったのかもしれない。

その後その施設に入所となって今に至っているので、私にはこの間の時代の変遷が全く分かっていないのだ、ということに今日初めて気づかさせてもらった。頭で分かったつもりでも自分の体で知らないとは、ここまで分かっていないということ。人と話すって、やっぱり大事だなぁ。


これをツイートした直後、思いがけず、ある方から返信をいただいた。

とても温かい内容で、
親として苦しんでいる私の思いに、
同じ親として手を差し伸べてくださっていることが伝わってきて、
読んだ瞬間に、胸に熱いものが込み上げた。

特に、今その方が知的障害者の地域生活のために
どんなに奔走しておられ、お忙しいかということもツイッターで知っていただけに、
その合間に、こうしてコメントくださったことが、なおのこと胸に沁みた。

ただ、レスポンスをまったく想定していなかったこと、
私には行動を起こせと迫られているように感じられてしまったこと、
その方が本人の自己決定を重視しておられることから、
重症知的障害と重症重複障害での自己決定の問題の差を
どう説明したらいいか、どうにも途方に暮れ、

同時に、ずっと頭にぐるぐるとしていた自責がどっと募ったものだから
一瞬で惑乱してしまった。

たぶん、その方が言われていないことまで言われているかのように感じて
独りよがりの激白めいたツイートになってしまった、私の部分のみを以下に。

ありがとうございます。お気持がありがたくて胸に迫るものがありました。ただ、その方向に頭を振り向ける前に、私の中にも整理しなければならないものが沢山あって、整理すればその方向に向けるのかどうかも分からないまま、今はただ引き裂かれている状態です。

このことを考えようとすると、私自身が「正しくない」と指差されることの痛みと、重症重複障害について「頭で分かったつもりでも自分の体で知らないとは、ここまで分かっていないということ」ということに気づいてもらえない痛みの間で、真っ二つ。

どうにも言葉にできない思いや、言葉にしても通じていかない思い、「正しさ」の前に跳ね返されてしまう言葉や思いで窒息してしまいそうになる。考えるだけでも苦しくてならない。正直、断罪もされず何を迫られることもなしに、考えたいです。

他意はなく、私自身のグルグルをそのままつぶやくものです。「いずれミュウが決める」ということを考えた時に、頭にまずパッと浮かんだのは「ミュウが死 ぬ」ということだった。それほど、「重症身体障害のみ」「重症知的障害のみ」「いずれかが軽度の重症重複」と「重症心身障害」との距離は大きい。

それとは別に、今日、拾った問い。「ヘルパーを入れれば解決するのか」。それはヘルパーと訪問看護でも同じ。

だめだ。とりあえず、明日の朝からミュウといい時間を過ごすことに専念する。


実際、ミュウと一緒に過ごしていると、
この子も親も、こうして生きている。
今は笑顔で過ごせている。それでいいじゃないか、と思えたし、

他人の誰にも分からなくても、
今こうして生き伸びて、ここに生きているだけで
自分を許してやってもいいくらいのところを、かろうじて通り過ぎてきたんじゃないか、
今はこうして生きている自分を許してやろう、と考えてみたりもした。

その他にも、あれこれがあって、
この件では、週末の間に心がすうっと楽になった。


次のエントリーに続きます。
2012.03.14 / Top↑
精神障害のある子どもを「病院に棄てる」親がいることは
かなり前から米国では問題となっていて、

08年にNE州が法律で保護しようとしたら、
余りにも多数の親が子どもを病院に棄てていくようになったために
対象を乳児に限定する法改正を行い、その分支援策を約束する、という展開があった。

詳細はこちらに ↓
NE州で「こうのとりのゆりかご」ジレンマ(2008/10/1)
NE州の「子棄て」めぐる分析様々(2008/10/6)
NE州“安全な隠れ家法”を改正(2008/11/24)
NE州、法改正で終わらず支援策を約束(2008/11/27)


今回、WP記事が問題にしているのは
ワシントンDC周辺の病院に同様のケースが続発している、
それなのに、そういう子どもの受け皿がなく縦割り行政の責任のなすりあいで
これでは精神障害のある子どものセーフティ・ネットは機能していないじゃないか、
だから他に頼るところのない親が病院に子どもを棄てていくんだ、
これはDCに限らず、全米で起こっていることなんだぞ、
早期にカウンセリングを実施すれば違うだろ、と。

(でも、早期にカウンセリングがあるだけでは
使えるサービスがないまま「相談窓口」作らせるどこかの国の介護みたく、
あまり解決にはならないような気がするけど。)


9月15日に
メリーランド州Prince George在住の母親が
DCの子ども病院の精神科に10歳の男の子を連れて来た。

で、そのまま自分は帰ってしまい、
その後「もう面倒を見切れない。育てられない」と引き取りを拒否し続けている。

裁判書類によると、その子どもはこれまでに
ADHDと躁鬱病(manic depression)、双極性障害(bipolar disorder)を診断されており、
親族の目に鉛筆を突き刺したことがあるという。
医師には人を傷つけるのが「おもしろい(funny)」と言ったとか。

子どもを棄てられた病院では困り果てて裁判所へ。

ウチは急性期の病院だから、棄てられた子どもをずっと置いておくわけにはいかない、
誰も引き取ってくれないなら、この子を救急車に乗せてPrince Georgeに運び、
福祉部の前に棄ててくるぞ、みたいなことまで言っている。

一方Prince George郡では
この子を治療できるような医療機関がないから引き取れない、という。

DCの福祉当局は
「母親がDCの住民ではないからダメ」。

仮に親子がDCの住民だったとしても、
子どもの精神障害をちゃんと見れるような機関はDCにもないのが実情。

つまるところ、
子どもの精神保健もセーフティネットも整備されていないということで、

WP記事は
「子ども達のセーフティネットはいろいろ整備されていて
ワクチンだって打ってもらえる。年に1度の往診も受けられる。
それなのにメンタル・ヘルスだけは後回しになっている。

その一方、
最近、the National Center for Children in Povertyが出した報告によると、
子ども5人に1人が精神障害を診断されており、
10人に1人には家庭や学校や地域での生活に支障をきたすほどの
メンタルヘルスの問題があるというのに」

「機能不全のお役所仕事、役に立たない施策、教育の欠落と、
なんといっても大きく不足しているのはカネ」

で、すごいのが、
この10歳の少年のケースでDCの上級裁判所が出した命令で
「誰かが子どもを引き取って、たらい回しを止めよ」と。

誰かが……って。

Safety nets for mentally ill children are full of holes
WP, November 8, 2011


なんかイヤ~な予感がするのは、

日本で療養型病床の廃止方針が打ち出されて以来、
地域での受け皿なんかないまま施設や病院から追い出された高齢者はその後、
重症高齢者専用のアパートという名の貧困ビジネスの食い物にされている……。

そんなように親に棄てられた子ども達の周辺にも、
いわゆる「貧困ビジネス」の新たなマーケットが開拓されていくのでは……みたいな……。

それを想像すると、
うああああああああああああ……髪を掻きむしってしまう……。

障害のある子ども達も、親が面倒を見切れなくなって、かといって殺すこともできず、
公共サービスだって「どうにかしてあげるカネなんかないよ」ということになったら、
そういうところに押し込められていくしかないんだろうか。

高齢者と違って、子どもは、もしかしたら
誰も気づかない内に一人ずつどこかへ連れ去られていくんじゃないだろうか。

もう何年も前から英国の空港や港周辺の保護施設で
移民の子ども達が数十人単位でいつの間にか姿を消しているように……?


英国で子ども達が消えている話については、こちらに ↓
子どもたちがこんなにも不幸な時代(2008/5/30)(これの⑨)
2009年5月11日の補遺
2011年10月23日の補遺


その他、関連エントリー ↓
病院の障害患者遺棄(2007/11/16)
FL州では早期介入で荒れる子どもと家族の支援に効果(2008/12/9)
米国の精神障害者の危機介入に起動危機チーム(2008/12/9)
障害児・病児の介護者の4分の1はレスパイトが不十分(米)(2009/2/16)
2011.11.13 / Top↑
気が付いたら、その節を結構マジに一気に読んでしまったので、
これまで何度か見聞きしたことがあるという程度だったMiller事件について
Quellette“Bioethics and Disability”から取りまとめておきたい。


Signey Millerは1990年8月17日にテキサス州で生まれた。

妊娠23週で陣痛が起こって母親が入院。
胎児は629グラムで余りに未熟なため陣痛を薬で止めたが、
母体の方に感染があることが分かり、陣痛の抑制も帝王切開も中絶も無理な状態に。

そこで産ませるしかないことになるのだけれど、

その際、両親は医師らから23週の超未熟児は生まれても助からないこと、
助かっても人工呼吸器をつけること、将来重い障害を負うことなどを聞かされて
救命も新生児専門医の立ち会いも望まず、緩和ケアのみを希望した。
それについてはカルテにも記載。

ところが、父親が葬儀の手配で病院を出た後、
スタッフの一人から事情が伝わり、病院側は会議を開く。

病院には、500グラムを超えた新生児の場合には
出産に新生児科医師を立ち合せ、救命することが方針があったため
その会議で病院は両親との話し合いを撤回し、救命へと方針転換する。

戻ってきて方針変更を聞かされた父親はショックを受けるが
止めるすべはなく、そうこうするうちにSidneyが生まれる。

両親が「英雄的な措置」は望まないと回答して11時間後のことだった。

産声を上げ、特に障害も目につかなかった。
待機していた新生児科医師によって手動で呼吸補助の上、保育器に入れて人工呼吸器が繋がれた。
当初の治療の経過は良好でNICUに入れられるが、
4日目には当初両親に説明された通りの合併症が起きる。

脳出血。それが原因となる血栓症。そして水頭症。
両親は次々に求められる治療への同意書にサインをする。
手術への同意書にもサインした。誰からも治療差し控えの話など出なかったという。

NICUに2カ月いた後、SidneyはTexas子ども病院へ転院。
生後6カ月で退院し、以来、定期的に脳のシャントの交換手術を受けるなど
入退院を繰り返しながら、両親が家でケアしているが
7歳児のSidneyには重症障害があり、全介助。

Could not walk, talk, feed herself, or sit up on her own…..[She]was legally blind, suffered from severe mental retardation, cerebral palsy, seizures, and spastic quadriparesis in her limbs. She could not be toilet-trained and required a shunt in her brain to drain fluids that accumulate that and needed care twenty-four hours a day.

14歳に当たる2004年の報告でも状態は変わっていない。

両親は自分たちの同意なしに救命したとして病院を訴え、
1998年1月の最初の判決では陪審員が両親の訴えを認めて
2940万ドルの医療費とその利息として1750万ドル、賠償金として1350万ドルの支払いを
病院側に命じた。

ところが上訴裁判所は、それを覆し、一切の支払いを認めなかった。

テキサスで認められているのは、
ターミナルな子どもの場合に親が治療を差し控えることのみであり、
Sidneyのようなターミナルでない子どもに緊急に必要な生命維持治療を差し控える権限は親にはなく、
そうした緊急時に医療職が親の希望に従う義務はない。

損傷された命と完全に失われた命(impaired life and no life at all)の
どちらかに決めることは裁判所にもできないので、緊急時には
医師は親の判断を超えて救命することができる、と。

テキサス州の最高裁の判断も、概ね、そうした路線のもので

親は一般的に子どもの最善の利益によって決定するとされているものの
常に親が子どもの利益で行動するとは限らないのだから親の決定権は絶対ではなく、
必要に応じて州が介入することとされる、

また同意なしに治療することは一般には暴行とされるが、
緊急時には親の反対を押し切って治療することが認められる、

よって出産以前の予測に基づいての親の判断は
実際に生まれてきたSidneyの状態を医師がアセスメントしてからの判断に及ばず、
緊急事態で親の同意なく救命治療を行ったことは暴行には当たらない、など。


この事件は障害学や障害者運動家らからは勝利として捉えられた。

治療の中止や差し控えが、障害のある生に対する医療の側の
ステレオタイプや偏見に基づいていると主張し、
障害者にも平等な医療を求める障害学・障害者運動の言説を引き、
Quelletteは、6ページばかりを割いて解説している。

引用されているのは Joseph P. Shapiro, Adrienne Asch, Sam Bagenstos。

一方、生命倫理の側では反応が非常に複雑で、12ページ。

特に興味深い点では
Miller裁判が進行していた5年間、テキサスの医師の間には
親の意思を無視して救命すると訴えられるかもしれないという危機感があった。
しかし判決が、障害新生児のQOLを両親がどのように捉えていようと
治療を提供する判断を医師に与えるものだったために、
では、子どもの苦しみと、QOL判断からの子どもの最善の利益についてはどうなるのだ、
というのが生命倫理学の議論の中心課題となった、という下り。

もともと生命倫理には、
治療をしないことが最善の利益になりうる、との考えが定着していたので、
その点が問題となった。

障害のある子どもに治療可能な病気がある場合、という捉え方では
レーガンの過剰防衛的な施策に結び付いたBaby Doe事件に続く事件となったが、
その間に、社会の姿勢も変化していたことも大きい。

この辺りのことは、個人的には
この事件がテキサス州で起きていることが特に興味深い感じがしました。

同州で「無益な治療」法ができたのは1999年のこと。それはすなわち
ミラー裁判の上訴審と並行して「無益な治療」法制定の議論が行われていたことになるのでは?


ただQuelletteが引いている複雑な議論を
一読で正確に把握するのは私には無理なので
以下に言及されている学者の名前のみ。

引用されているのは George Annas, John Robertson,
William Winslade(Miller事件の担当倫理学者。後に事件の詳細を論文にまとめた)Loretta Kopelman,
Robert McCormick, Arthur Caplan, Cynthia Cohen,
(この3人はおおむね医師と親との間で個別に諸々を踏まえて判断すべき、との見解)
Hilde Lindrermann, Marian Verkerk,
(この2人はグローニンゲン・プロトコルを持ちだして家族の決定権を全面的に支持)

最後にQuelletteは
重症障害児は殺してもよいとするPeter Singerを“Practical Ethics”から引用し、
QOLについてどう考えるかが全くそれぞれの主観にゆだねられていると指摘している。


【Quellette“Bioethics and Disability”関連エントリー】
Alicia Quelletteの新刊「生命倫理と障害: 障害者に配慮ある生命倫理を目指して」(2011/6/22)
エリザベス・ブーヴィア事件: Quellette「生命倫理と障害」から(2011/8/9)

【Quelletteの論文関連エントリー】
09年のAshley事件批判論文については以下から4本。
「倫理委の検討は欠陥」とQuellette論文 1(2010/1/15)

子の身体改造をめぐる親の決定権批判論文については以下から4本。
Quellette論文(09)「子どもの身体に及ぶ親の権限を造り替える」 1: 概要


なお、Caplan、Lindermann、Singerについては、
当ブログでもいくつかエントリ―がありますが、
結構な数になるのでリンクは控えました。
2011.08.17 / Top↑
ずっと、ちゃんと知りたいと思いつつ、
そのままになっていたことが

「発達障害白書 2011年版」(日本発達障害福祉連盟編)の
法政大学の佐藤彰一氏の「『障害者権利条約』と日本の成年後見制度」という文章で
分かりやすく解説されていた。

日本の成年後見制度は、
国連障害者権利条約の中の法の下の平等を定めた第12条に抵触する。

第12条の主張とは、
障害のある人もない人も法律社会の中での能力や資格(法的能力)を
等しく与えられるべきだというもの。

それに対して、日本の成年後見制度は
本人の法的行為を取り消す取消権と
本人からの委任がなくても本人に代わって法律行為を行う代理権という
2つの仕組みで成り立っていて、

本人の法的能力を制限することによって、
契約社会から本人を排除して保護する仕組みになっている。

それは「保護に名を借りた権利侵害ではないのか」と
佐藤氏は疑問を呈する。

一方、ドイツの世話人法でも英国のMCAでも
本人の法的能力に制約を加えるのは極めて例外的な場合に限られているという。

ハンガリーなど東欧圏では、
国連障害者権利条約に合わせて法改正が行われた、とも。

08年の国際育成会のオピニオンペーパーは
条約批准国に対して能力制限撤廃の法改正を求め、
その代案として「支援つき意思決定 supported decision-making」モデルを提示している。

オピニオンペーパーは日本育成会によって翻訳されています。
http://www.ikuseikai-japan.jp/pdf/position-paper2.pdf

ポジションペーパーの原文はこちら

まだ、ざっと読んでみただけなのだけど、
これに沿ってAshley事件を考えてみるとどういうことになるのだろう。

佐藤氏の解説を読みながらAshley事件を頭に浮かべた限りでは

父親やDiekema、Fostらの主張するところは、
重症児は、その障害の重さゆえに、介護者たる親の決定で、ということなのだから、

もちろん、supported decision-makingのスキームでも障害が重すぎて対象外だと主張するのだろうし、
それは、すなわち、保護するために排除する、排除して保護する、という立場だし、
だからこそ人権擁護の立場から「保護や親の愛に名をかりた権利侵害だ」という批判が出ている。

それに対して、
イリノイのK.E.J.判決や、米国小児科学会の方針、産婦人科学会の方針、
A事件の論争でいえばWPASの見解やQuellette論文その他が検証しているように、
障害児・者の子宮摘出や同様に侵襲撃度の高い医療については親や後見人の決定権の例外として、
意思決定に至る然るべきプロセスの、緩やかながら一定のスタンダードのようなものが英語圏にはあり、

それは、ポジションペーパーに見られる理念に、
少なくともDiekemaらのスタンスよりは、はるかに近い。

一方、人権条約もポジションペーパーも、
本人の最善の利益を重視しているスタンスにおいて、
どこかにA療法の論理に道を開く隙間があるのでは……という不気味さも
私には何となく感じられていて、

こういう理念や仕組みと
パーソン論で障害のある新生児や重症障害児・者には道徳的地位を否定するSingerの議論や
Fostらの「無益な治療」の切り捨て論が許容されていきつつある英語圏の生命倫理の実情、
一部の終末期医療において本人の明示的な意思表示なしに安楽死が行われ始めていること
米国小児科学会が水分と栄養の停止に関する指針で児童虐待防止法を否定していること、などとは
一体どういう関係にあるのか、ということも何やら気がかりでもあって、

それやこれやを念頭に、もう一度ペーパーを読んでみようと思う。


財産管理とか生活運営などと、医療における意思決定とは同じ路線で考えられているのか、
それとも別個のものとして考えられているのか、別としたら、その距離はどうなのか
……といったことが、私の頭の中では、イマイチ整理されていないことも、
あれやこれやを考えてみるのに、しっくりしない原因なんだろうと思うのだけど、
知らないことが多すぎて、どうにもならない。

(日本では成年後見人に医療行為への同意権はなく、
法的裏付けもないまま家族同意で行われているという話もある)

医療介入については、以下などでもずいぶん言及されていると前に人から教えてもらったのだけど、
まだ、ちゃんと読み切れていない。

拷問等禁止条約(拷問および他の残虐な、非人道的なまたは品位を傷つける取り扱い又は、刑罰に関する条約
(外務省)

上記、取り扱いまたは刑罰に関する08年人権理事会特別報道官報告
国連第63回総会に報告されたもの。
長野英子さんのHPに翻訳紹介された、障害者関連の第三章。


多くの人の長い時間をかけた運動の積み重ねの先に、このような理念があり、そのおかげで
米国小児科学会や産婦人科学会の、侵襲度の高い医療に関する慎重な態度といった一定のスタンダードが
これまで培われてきたのだろうと思う。

問題は、やっぱり、たぶん、
科学とテクノロジーの進歩と、それに伴う社会構造や人々の意識の変化の中から、
そういう人権意識が多くの人の努力によって培われてきた歴史性のようなものを
一気に突き崩そうとする動きが出てきていること――。



【関連エントリー】
「一身専属事項の臓器提供に成年後見人は権限なし」から疑問あれこれ(2009/9/2)
意思決定ができにくい患者の意思決定について、もうちょっと(2009/9/3)

後者のエントリーで、認知症医療に詳しい三宅貴夫氏が
法的裏付けのない家族同意よりは成年後見人の権限を広げるよう提言していて、
私も、そうだなぁ……と、去年それを読んだ時には思ったのだけど、

やっぱり誰の権限で代理決定するというよりも、
プロセスがどれだけ本人主体になっているかという問題のような気がする。

「本人の最善の利益」という、どうにでもなるアリバイみたいなものではなくて、

その最善の利益を見つけるに至るまでに、
どういう立場の人たちが、どういう姿勢とプロセスで
その人の人となりと人生の一回性を尊重し、意思決定に至ったか、ということ――。

でも、それを制度化することが、難しいのだろうなぁ……。
2010.09.02 / Top↑
前のエントリー「幼児化する親、幼児化していく社会」の続きとして――。

近所のマンションの2階が塾になっていて、
その辺りを通りかかると、時に小学生くらいの子どもたちが
マンションの出入り口からわらわらと吐き出されてきて
居並んだ車列の中から親の車を見つけては乗り込んで帰っていくのを目撃する。

いつも、なんということもなく見ている光景なのだけれど、
この前たまたま夜の10時過ぎに通りかかると、
出てきたばかりの子どもたちがマンション前で雑踏状態を作っていた。

その中を通り抜ける間のどこかの瞬間に、
わけもなく、突然ふっと想像してしまった。

朝起きて学校へ行って一日授業を受けて、
家に帰って塾へ行って夜の10時くらいまで勉強する生活というものを。

世の中の子どもという子どもがみんな(と思ってしまうほど、その時は沢山いたので)
朝から晩まで勉強してるって、改めて考えたら、それってどうよ???? 

そういえば、この前、知り合いが
夏休みに入って、受験生の息子(小学6年生)は毎日朝から夜遅くまで塾で過ごすので
朝、弁当を2つもって家を出る、その弁当を作るのが大変だ、と言って
私を心底たまげさせた。

そんな生活を毎日毎日毎日続けていることが
小学生にとって苦痛でないわけは、ないだろう、と思う。

自分がやれと言われたら、大人だって嫌なんじゃないだろうか。
どう考えても私には耐えられないし、誰かにやれと言われても、そんなのイヤだ。

子どもたちは、なんで反発・反逆しないんだろう?
なんだって「嫌だ」と言わないんだろう?

あんなに沢山の子どもたちが揃いもそろって
こんなの嫌だとモンクを言うこともなく
朝から晩まで勉強する生活を毎日毎日続けているという事実は
改めて考えてみると、ものすごく不気味な異常なことのように思えた。

こんなことを言うと、友人・知人は口をそろえて言う。
「だってそういう時代なんだもの」。

でも、時代が変われば、子どもが子どもでなくなるはずはないと思う。
時代が変わったら、子どもが大人になるということもないし、
時代が変わったら、勉強なんかしたくない子どもがいなくわけはないと思う。

時代が変わったんじゃなくて、
大人が変わり、親が変わったのでは?

親が変わったから、
子どもは変わったフリをさせられているだけなのでは?

親がそれを疑ってみることをしないために、
「時代が変わったんだ」というのを言い訳に思考停止しているだけなのでは?

本屋に行けば、
「子どもに○○させる方法」
「子どもを○○にする方法」
みたいな本がやたらと目につくけど、
子どもは親の目的を達成するための素材じゃないし、、

科学者たちまでが
何が成績を上げて、何が下げるかを研究してあげつらって見せるけど、
そういう研究をマジでやる学者がいることも異様だし、

そんな研究結果をマジに自分の子育てに取り入れて、
子どもにああしろこうしろという親がいるとしたら
そんなのは異常だとしか思えないし、

親が子どもを産み育てるということそのものが、
どこかで根本的に取り違えられ、いびつにゆがめられていく感じがしてならない。


              ――――――


角田光代さんが、妊娠した女性の心の揺れを細やかに描いて見事な作品
「予定日はジミー・ペイジ」(白水社 2007)の中に、
産婦人科医から母親学級を教えてもらい、
行かなければならないのか、と聞く場面がある。

「いかなくてはいけないものなのですか」と訊くと、例の、ほほほほほ、と聞こえる笑い方をして、
「おもしろいことを言うのね、あなた」と突然女言葉になる。「いきたかったらいったらいいし、いきたくなかったらいかなかったらいいのよ」
はぁ。とうなずいて、パンフレットをもらって病院を出る。
 なんだか私、「それはしなくてはいけないのか、しなくてもいいのか」と、ずっと言っているような気がする。したいからする、とか、したくないからしない、とか、そういう方向にあんまり考えられないんだな。いつからだろう、と考えて、大学生のころからだと気がついた。このオリエンテーションとやらは出なくてはらないのか、出なくともいいのか。この授業は受けなくてはらないのか、受けなくともいいのか。
 これは管理教育の弊害ではなかろうかと、突然思いつく。私たちは高校生まで、「してはいけないこと」「しなくてはいけないこと」に囲まれて育って、それで高校を出たら突然、したいからする式発想なんかできるわけがない。
 私たちの子どもには、そのことを教えなけりゃいかん。したいからする、したくないからしないという行動原理を、である。
 でもそんな教育方針で、ぐれてしまったらどうしよう。やれと言われた宿題なんにもやらないで、受けなけりゃいけない試験全部受けないで、鼻くそほじって、「うっせーばばあ」と言うようになったらどうしよう。
(p.132-133)



それから、夫婦で名前を考えている場面。字画のいい名前を名前辞典から書き出してみて、


「みなみとか、ちさとか、ゆうきとか、響きはいいんだけど、なんか漢字がさぁ、盗ってつけたような気がしない?」
「まぁなぁ、なんか当て字っぽいんだよなぁ、自然じゃないというか」
「もっとシンプルな漢字がいいよね」
「でもシンプルな人生になるかも……」
「シンプルな人生ってどんな?」
「なんの委員にもならずに、なんのクラブ活動もせずに、スポーツにもアニメにも音楽にものめり込まずに、公務員になって、お見合いして、結婚して、趣味もなく年老いて、定年して、趣味がないから家にいて、妻に邪魔に思われて、散歩とかして、眠るように死ぬ」
「しあわせのような気もするけど」
「まあね」
 私たちは紙と本の散らかったダイニングテーブルで、いっとき顔を見合わせる。おたがいが何を考えているかわかった。私たちはたぶん、順当にいけば、今おなかにいる赤ん坊が老いて死ぬところを見られないのだ。定年して妻に邪魔にされていても、助けてあげることができないし、眠るように死ぬときも、手を握っていてあげることもできない。
(p.185-186)



既に3歳の子どもがいる友人が言う言葉。

「子どもができるとね、時間が過ぎることが心底実感できるんだよね。それで、過ぎたものは過ぎたもので、もう二度と帰ってこないって思うわけ。今日のこの子の笑顔とか、それはもう今日だけのもので、明日にはそれは失われているわけね。永遠に戻ってこないの。もちろん別の笑顔が見られるわけなんだけど、今日の笑顔はもうおしまい。
(p.192)

……(中略)……

 子どもを産むということは、時間を手に入れることかもしれない、と私はふと思い、思ったままを言ってみた。
「そうね、そうだ、ほんと」
 Kはまじめな顔をして幾度もうなずく。「時間ってのはいつもいつも流れているんだけど、子ども産んだとたん、それが目に見えるようになる」
(p.193-194)



みんなで「そういう時代なのだから」といって、社会が
子どもをコントロールし虐待する人格の未成熟な親そのもののような場所になってしまわないために、

大人が思いださなければいけない大切なことを、
角田さんはこの作品によって書いてくれているような気がする。



ちなみに、角田氏が音羽幼児殺害事件をモデルに書いた
「森に眠る魚」(双葉社 2008)では、

それぞれの理由や事情で自己肯定感の低い母親たちが
「お受験」の周辺文化に翻弄され狂気へと追い詰められていく。
誰もが犯人であってもおかしくない狂気へ。

エピローグで、いずれかの母親が「この子に与えようとしているつもりだったのに、
いったい、私はどれほどのものをこの子から奪ってしまったのか」と自問する場面が
とても印象的だった。
2010.08.28 / Top↑