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今からちょうど10年前に書いた
「海のいる風景 障害のある子と親の座標」という本があります。

この春に絶版が決まったものですが、
「アシュリー事件」の版元の生活書院さんから
このたび新版として復刊してもらえることになりました。

副題も
「重症心身障害のある子どもの親であるということ」と改題しました。

新たに、
この10年間の出来事について
「十年の後――新版刊行によせて」
「ケアラー連盟(現・日本ケアラー連盟)設立1周年記念フォーラムにて」
の2つを書き加えています。

また、既にゲラ段階になってから、
とんでもない出来事が起こってしまったために、

「新版のためのあとがき」も「あとがき」というよりも、
ほとんど追加の小さな1章のようなものになりました。


生活書院のHPの「近刊案内」に書いていただいた案内文はこちら ↓

 ある日突然に、なんの予備知識も心構えもなくそういう親となり、困惑や自責や不安や傷つきを抱えてオタオタとさまよいながら、「重い障害のある子どもの親である」ということと少しずつ向き合い、それをわが身に引き受けていく過程と、その中でのヒリヒリと痛い葛藤や危ういクライシス――自身の離職、娘を施設に入れる決断、その施設で上層部を相手に一人で挑んだバトル――を描き切った珠玉の一冊。
 誰よりも優秀な娘の代弁者だと信じ疑うことがなかった一方、施設に入れていることの罪悪感を未だに引きずってきた著者が、アシュリー事件と出会うことによって突きつけられた「子の権利と親の権利の相克」を、自分の中の痛みのありかと向き合いながら真摯に論じた「十年の後――新版刊行によせて」を冒頭に加えた、待望の新版刊行。


その他の詳細は ↓
http://www.seikatsushoin.com/bk/097%20uminoirufukei.html


9月中旬に刊行になります。

よかったら読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
2012.08.28 / Top↑
娘がお世話になっている療育園は今年で創設20周年を迎え、
今日、記念式典があった。

関係者のあいさつや祝辞があり、その後、
子どもたちの20年間をたどるスライドがあって、

(みんな小さくて可愛くて笑顔がキラキラしていて、スタッフもまだまだ若くて……。
一枚ごとにどよめき笑いながら、通り過ぎた年月を振り返って、それぞれ感慨に浸りました)

最後に、初代園長である前園長が「20年の歩み」を話すために登壇。

一小児科医としてリハセンターに赴任し、やがて重心施設が開設されると、
重心施設の経験もないまま初代園長となり、慣れぬことに苦労しながらも模索と勉強を重ねつつ、
医師としては医療を第一に考えてやっていった……などなどが語られている頃、

私の隣では、非日常的な雰囲気にテンションが上がり気味だったミュウが
遠くに座っているイケメンのドクターに手を振り上げて大声で呼びかけたりし始めたので、
私は彼女をなだめたり、ペンと紙を持たせてみたり、つい話から注意が逸れてしまった。

そこへ、ふと耳に飛び込んできたのは
「保護者の不満が噴出した」「私は針のむしろに座っている気分だった」という話の断片。

え……? 

もしかして……あの時の、こと……?

10年以上も前に(今日の前園長の話では平成11年)、私は療育園で
「師長&園長」vs「保護者一人」という激しいバトルを闘ったことがある。

そのことは、以下のエントリーに少し書いているし、
所長室の灰皿(2011/4/20)

ちょうど10年前に書いた『海のいる風景』という本にも
その時のことを書いた「闘い」という章がある。


でも、それは、こんな祝典の場で持ち出すような話ではないはずで……?

しかし、どうやら前園長は、この晴れの日に式典の演台から、
本当に「あの時」のことを詳細に語ろうとしているらしい。

その事件で前園長を「針のむしろ」に座らせた当の「保護者」としては、
にわかに落ち着かない気分となり、

この話、いったいどこへ向かって行くんだろう……。

ちょっと不安になりつつ聞いていると、
その後の前園長の話はおおむね以下のように続いていった。

それまで私は一小児科医として医療のことには尽力してきたけれど
現場のことは看護科と育成課に任せきりにしていた。

保護者から厳しいお叱りを受けて、
私も気が短いから「逆ギレする園長だ」と言われたこともあったけれど、

保護者と話し合い、保護者が望んでいることを理解し、保護者から学ぼうと努めながら、
自分なりに療育委員会その他各種委員会の設置、個人懇談や連絡ノートの創設、
職員研修を保護者にも開放して一緒に学ぶ場を作る、
その研修で年に一度保護者に話してもらい
保護者の言葉から直接職員が学ぶ機会とするなど、
様々な改革を実行した。

十分だったとは思わないが、
保護者から一定のご理解を得ることができたと思っている。

そうして、あの時に自分は一小児科医から園長になれたのだと思う。

療育園の現在の理念も、その時に私が作ったもの。

我が療育園の理念には「保護者とともに療育の向上に努めます」という言葉が入っている。
これは日本の多くの重心施設の中でも珍しいのではないかと思うが、
私は理念の中で、ここの「保護者とともに」の部分が一番大切な個所だと考えている。

保護者との信頼関係なくして、よい療育はあり得ない。

あの時のことは、私の長い療育園人生の中で
どうしても忘れることのできない、最も大きな出来事。

そのおかげで今の療育園がある。
感謝している。

このことは、今日ここにいる若い職員にも
聞いておいてほしい。


途中から、
ありえないことが目の前で起こっている……という思いで聞いた。

園長を退かれる時に挨拶のメールを入れたら、
「あの時は苦しんだけれど、あの時に自分は一小児科医から園長になれた。
あなたのことは恩人だと思っている」と返事をもらったことはある。

だけど、それは前園長と私の間でのこと。
こんな場所で、こんなふうに公言されることとは、ぜんぜん違う。

なんという人なのだ……と、ほとんど呆然とした。

私はなんと稀有な出会いに恵まれたことだろう、
私はなんと幸せな人なのだろう……と、

10年以上前の所長の言葉を今にして知らされた去年4月と同じことを
繰り返し、繰り返し、思った。


式典が終わると、
あのバトルの時に影に日向に私と共闘してくれた当時のミュウの主治医が来てくれた。

まだ心を揺さぶられていたので、よく覚えていないけど、
「前園長はよくあそこまで言われた。あの時のおかあさんのエネルギーがここまで実った」
という意味のことを言ってくださったような記憶がある。

当時のことを知っている保護者も数人、
「すごい話だった。感動して涙が出た」
「あれだけの立場のある人が、あんなに率直に。前園長、すごい」
「spitzibaraさん、本当に頑張ったよね」などと口々に言ってくれた。


でも、そんな思いでみんなが傷つきながら年月をかけて築き上げてきたものも、
失われるのはあっという間だったりする。

そんな中で、改めて信頼関係を築こうとする新体制への働きかけには、
当時のことを何も知らない保護者から、最近は非難を浴びせられていたりもする。

余計なことをするな、園にはただ感謝していろ、
世話になっているのに批判がましいことを言うな、
スタッフは大変なのに分かっているのか、などなど。

今の療育園だって、何もしないでできたわけじゃない――。

それに、裏で不平を鳴らし散々な批判をしながら、
面と向かってはただ「ありがとうございます」「お世話になります」と頭を下げたり
我が子だけを守り、我が子だけはよくしてもらおうと立ちまわったりすることは、
園と保護者の間に、決して本当の信頼関係など作らない――。

非難を受けるたび、そう言いたい思いがこみ上げるけれど、
10年以上も前からの複雑な事情をかみ砕いて説明することの不可能と、
自分のしてきたことを自分で語ることへの抵抗感と
そして何よりも、同じ立場の人の無理解からの傷つきで、
何も言えず、聞き流してきた。

黙って、私なりに新体制に働きかけながら、
また時間をかけてスタッフからも保護者からも理解を得ていくしかない、と考えてきた。

それでも、時に
もともと私が間違っているのだろうか、私は無用に人を傷つけているだけではないのか、と
もの思いにとらわれて苦しむことだって、ないわけではない。

前園長は現在は副所長なので、
私が療育園の新体制に対してそんな小さな働きかけを続けていることは知っているし、
そこで私が訴えていること、やろうとしていることも理解してもらっているけれど、
「あの時」のことがあるからこそ、今度は副所長として上から介入することは自分はしない、
そういうことなのだろうと、私なりに前園長の姿勢を理解してきた。

まさか
リハセンターにお世話になってきた24年間で私が一番手ひどく傷つけたに違いない、その人が、

「ここにいる若い職員」に向けて、今の療育園は何もなくしてできたわけじゃないのだと、
保護者の声を聞き、保護者から学べと、こんな形でメッセージを送ってくれるなんて……。

こんなことが本当に人生に起こって、いいのだろうか……。

それほど、「ありえない」ことが起こった日だった。
私にとって、生涯忘れられない日になった。


そして1日経った今日、
このブログは訪問者カウントが30万を超えました。

みなさん、本当にありがとう。
2012.08.17 / Top↑
療育園との連絡ノートより

先日、ミュウさんとゆっくりお散歩へ行く時間があり、
売店へ行きました。

そこで雑誌をいろいろ見ながらお話しし、

余暇時間等を利用して、
ミュウさんの気に入ったものや興味あるものを雑誌などから選び、切り抜き、
ノートに貼るような遊びをしてみようかということになりました。

ミュウさんもその際はノリ気で、
「やる!!」と言わんばかりに口をあけたり手を挙げたりされていたので、

ノートと1冊雑誌を買いました。

まだそこまでですが、手箱へ置いて、
これから時々チャレンジしてみたいと思います。


すご~~~ぃ! ミュウに新しい趣味?

ありがとうございますっ!!

(その雑誌って、例の
ジャニーズのイケメン写真が満載のやつ……?)
2012.08.02 / Top↑
先週のミュウ
(園との連絡ノートより)

入浴後、テレビ中継でカープの試合を見ました。
始めはあまりノリ気ではなかったようで、
「誰かビデオにしてくれないかな~」と、
周囲をきょろきょろ。

でも、すぐに選手たちの動きに「くぎづけ」になってました。

ホームランを打った時など、それはスゴイ喜びようでした。



今週のミュウ
(園との連絡ノートより)

熱が出ました。

39.2度まで上昇し、
アンヒバ座薬を使用しました。

徐々に下がって、それ以後は
36.5~37.2℃でずっと過ごしています。

TV, DVD, CDを一人占めして
楽しそうに過ごされています。

アデノウィルスやヨウレン菌はマイナスでした。


めでたく元気になったミュウは
目の前の道路が見えなくなるほどの豪雨の中を
「おかあさんといっしょ」のCDを聞きながら帰ってきて、

(まるでホラー映画のクライマックスみたいな豪雨とカミナリで
CDの音なんかほとんど聞こえないのに、それでもなぜか、
ちゃんと盛り上がるべきところで盛り上がるから不思議)

「ぴったんこカンカン」を大騒ぎしながら見た後、
現在、我が家で眠りこけております。


明日は2日遅れの父親の誕生祝--。

先週、「来週はお父さんのお誕生日祝いだから
ミュウとお母さんとでケーキを買ってあげよっか?」と持ちかけたら、

「私もお金、出すのぉ……?」みたいな釈然としない顔で、ちょっと考えたのち、

いつもの3分の1くらいの口の開け方で、
「はー」と、ちょいと力の足りぬ返事をしたミュウでした。
2012.07.12 / Top↑
ミュウはもう何度か書いてきたように
「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」が3度のメシよりも好きなヤツで、
家にいる限り、午前1回、午後1回のコンサートDVDが決して欠かせぬ日課となる。

その時には親が「○○(タイトル)にする?」と聞くのに対して
「ハ(Yes)」または首振り(NO)で答えて選んだり、

時には、ほぼ全巻を取りそろえてある棚のあたりを指さして、
「他のものを出してこい」と要求することもある。

そして、ずらっと目の前に並べられたケースの中から
「あれにしようかな、あ、でもこれもいいし……きゃ~、ど~しよ~」みたいに
実に楽しそうに目移りしつつ、しかし十分に悩ましげに、時間をかけて選んでいく。

面倒くさくなった親が適当なのを勝手にかけてしまったりすると、
オープニングの音楽がチャラッチャラ~と流れ始めたところで、
「これは違うっ!」と頑強な「ダメ出し」を食らう。

ケースからも最初の曲の出だしからも分かるほど、
ミュウはそれぞれをちゃんと判別しており、その時々の「選好」というものがあるんである。

そういえば、DVDを見ている間は
そのケースをずっと手に持っているのが子どもの頃からの彼女のルールだった。

手が大変不器用なので
1時間ちょっとの視聴の間には
何度かケースがずれて上手に持てなくなる時があるのだけれど、

そういう時、ミュウはいったん別の手に持ち替えたり、または
手にしたケースを自分のお腹に押しあて、腹でケースを支えつつ握り直す……という芸当を見せる。

それは、子どもの頃からずっとケースを持ったままDVDを楽しんできて、
その過程で、ケースをとり落としそうになるたびに「試行錯誤」する中から
少しずつ見つけ出してきた修正方法なんだなぁ……ということを、

この週末に、いつものように
なんてことなく、お腹を使ってケースを持ち替えている娘を見て、改めて考えた。

一般に「ものを考える」能力があるどころか、
「何も分からない」と思われているらしい重症のウチの娘が

「手にしているものを持ちにくくなってきたら、
お腹に押し当てて支えておけば、落とさずに握り直すことができる」と
試行錯誤を重ねながら、その方法を獲得した……ということは、
彼女が「思考している」ということなんでは……?


そういえば、数年前までミュウのおもちゃの一つに
親が使い終わった携帯電話が含まれていて、
片手で握ったまま、その親指だけでキーを押しては
画面が変わるのを楽しんでいたのだけれど、

半年ばかりそうやって遊んでいるうちに、ミュウはいつのまにか
親指の指先だけではなく、外に反らせた時の関節の内側や、
親指の付け根の出っ張りでも、握りこんだ携帯のキーを押すことができるようになっていた。

広範なキーを押すために
これもまた試行錯誤で獲得した彼女なりの「工夫」であり「わざ」のようだった。

時々、いつのまにか握る場所まで変わっていることがあるので、

注意して見ていると、
いったん別の手に持ち替えてから握り直すやり方のほかに、
時々ほんの一瞬だけ、携帯電話を握りこんでいる手をぱっと離すことがある。

その一瞬に、ほんの僅かに上または下に携帯を移動させて
次に握る場所を微妙に調節していることが判明した。

こいつは、本当はかなり頭がいいんではないか……。

私としては、つい、そう思ってしまうのは、
やっぱり、ただの親バカなんだろうか。

実際のところ、
この子たちの頭の中でどれほどの「思考」が行われているか
本当は誰にもわからないではないか……と、私は思うのだけれど。
2012.06.26 / Top↑