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Ashley事件、2008年の動き。

昨年1月5日に個人的“Ashley事件”一周年のエントリーで書いたように、
私がAshleyケースについて初めて知ったのは
正月休みが明けた2007年1月5日のことでした。

それで今年もやはり「正月休みも終わりだな」と思うと同時に
「ああ、Ashley事件から、もう2年も経ったんだ……」と、頭はそこに巡ります。

日本ではもともと2年前の論争そのものを知らない方が多く、
当初は興味を持っていた人のほとんども「もう終わったこと」になってしまっているし
他の国々でも、もはや忘れ去られようとしている事件なのだろうと感じるのですが、
いえいえ、この事件、まだまだ終わってなどいないのです。

そこで、Ashley事件を巡る2008年の動きをまとめてみました。

1月 
Diekema医師がCalvin大学にてAshleyケースについて講演。その前後にメディアで大いにしゃべる。「Ashley療法は水面下で行われている」、「論争時にオプラ・ウィンフリーが一家を番組に招待したが、自分たちが何者かが世間に知れると大変なことになると両親は判断して断った」とも。(詳細は「Diekema講演(08年1月)」の書庫に)

3月
CNNがAshleyの両親にeメールでインタビュー。父親は翌日にブログでAmy Burkholderのインタビューに関する記事を批判。またブログで“Ashley療法”を多くの重症児に広めていくための活動方針を具体的に語っています。(詳細は「両親インタビュー(08年3月)の書庫に」

8月
Diekema医師、またもAshleyケースについて講演。今回は米国科学協会とカナダ科学キリスト教協会のジョイント学会にて。(詳細はこちら

9月
NYのStony Brook 大学で認知障害に関する大きなカンファレンスが開かれ、その中でPeter SingerがAshleyケースに言及。(講演の当該箇所をビデオで聴いてみた印象では、Ashleyケースを親の決定権で擁護したというよりも、むしろAshleyケース自体を「障害児については親の選択に任せよ」という自分の主張の根拠にしたという文脈のような・・・・・・。)

12月
9月の認知障害カンファの内容を考察するシリーズが、各国の研究者ら数人が共同で運営するブログでスタート。今のところ上記Singerの「障害児には道徳的地位はないのだから、生死も含め親の選択権に」という主張などを、カナダのAlberta大学の教授2人が批判しています。(今のところ「Ashley関連(09年)」の書庫に入れていますが、近く独立した書庫を作るかもしれません。)

1年を通じて
Diekema医師は生命倫理の専門家として大活躍されました。まるで米国小児科関連の生命倫理のご意見番のごとく、あれこれのニュースや論文に発言を求められ活躍されるようになりました。Ashley事件で名前を売ったから、というだけでしょうか。

そして、今月23日には
シアトル子ども病院がまたもや成長抑制についてシンポを行います。
詳細はこちら

このシンポ、
Ashleyケースそのものの事実関係が全く解明されてもおらず、
また部分的には違法性が明らかになったにもかかわらず、
またも当事者である病院があたかも利害関係のない第三者のような立場を装って
問題を一般化し、翻って自分たちのやったことを正当化し
それによってAshley事件の特異性を糊塗してしまおうとしているように
私には見えます。

しかし、もしもAshleyの父親がこの人物でなかったとしても
病院は同じ決断をしていたのかどうか、私は疑問だと考えています。

そもそも、事件が論争になって2年も経ち、
世の中が事件を既に忘れ去っているかのように見える今になってもなお、
このように執拗に周到にことを仕組み、
自分たちがやったことを正当化しなければいられない病院の行動こそ
罪悪感と真実を暴かれることに対する不安心理がやらせることなのではないでしょうか。

彼らの思惑に乗せられて
一般論としての成長抑制が議論されていくことは大変危険なことなのでは?

まずはAshleyに行われた医療処置の背景、
特に倫理委員会の議論の内容が明らかにされ
利益関係のない第三者によって十分に検証されるべきであり、
この特異な個別事例が解明されるまでは
Ashleyに行われた医療措置のいずれの部分も一般化されて議論されてはならないのでは?

もしも当ブログが検証してきたように、
本来は水面下で密かに行われて表ざたになるはずがなかったAshley事件が
さまざまな事態の推移の中で公表されてしまったために、
いまや病院や医師らが自分たちの名誉を守るために
成長抑制を一般化・正当化することに躍起になっているのだとしたら、

Diekema医師を始めシアトル子ども病院の医師たちに問いたい。

あなたたちは自己保身のために、
「重症児の尊厳や身体の全体性については健常児とは話が別」という価値基準を医療の中に作り、
それによって多くの重症児が生身の身体に手を加えられる可能性を生じさせようとしている。

そのことに、あなたたちの医師としての良心は痛まないのか──?
2009.01.05 / Top↑
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