我々が自己選択・自己決定によって臓器を提供しようと考えるのは
死のラインが不動だという前提があってのことなのだけれど、
なんと医学においては、そのラインが動くのだよ、と
William SaletanはWashington Post に書いています。
死のラインが不動だという前提があってのことなのだけれど、
なんと医学においては、そのラインが動くのだよ、と
William SaletanはWashington Post に書いています。
なにしろNew England Journal of Medicineでの報告によると
Denver子ども病院では
心臓の機能不全による死を宣告された乳幼児から
停止して75秒後に心臓を摘出するのをプロトコルとしているのだ、と。
Denver子ども病院では
心臓の機能不全による死を宣告された乳幼児から
停止して75秒後に心臓を摘出するのをプロトコルとしているのだ、と。
しかも、機能不全とされた、その心臓は、
別の子どもの体内に移植すれば即、正常に動き始める心臓であるわけで……。
別の子どもの体内に移植すれば即、正常に動き始める心臓であるわけで……。
昨今、脳死を待たずに心臓死からの臓器摘出が行われるようになってきて、
心臓死の「死」は心臓が不可逆的に止まることだったはずなのに、
そしてまた、以前はともかく今日では2分以上、中には5分以上経っても
外部刺激で拍動が再開するケースだってあるというのに、
そしてまた、以前はともかく今日では2分以上、中には5分以上経っても
外部刺激で拍動が再開するケースだってあるというのに、
最後の拍動から5分待つ移植医もいれば
2分待つという医師もいる。
2分待つという医師もいる。
そしてDenver子ども病院は
60秒以上たつと心臓は自力では拍動を再開しないことが分かっているとして
75秒しか待たない、と。
60秒以上たつと心臓は自力では拍動を再開しないことが分かっているとして
75秒しか待たない、と。
Denver子ども病院チームを率いるDr. Boucekの言い分は
1.別の子どもの体内で動いたからといって、元の患者の体内で動いたとは限らない。
2.赤ん坊の両親が蘇生を許可しないと決めたのだから、その子の心臓は死んだのである。
1.別の子どもの体内で動いたからといって、元の患者の体内で動いたとは限らない。
2.赤ん坊の両親が蘇生を許可しないと決めたのだから、その子の心臓は死んだのである。
上記NEJM誌の報告の最後に倫理学者が提案しているのは
蘇生するかしないかだけでなく、どの時点で臓器をとってもいいかまで
それぞれの家族に決めさせればよいだろう、と。
蘇生するかしないかだけでなく、どの時点で臓器をとってもいいかまで
それぞれの家族に決めさせればよいだろう、と。
脳死にしますか?
心臓死?
それとも永続的植物状態でも?
あなたが死んだと決める時がその子の死になります、
お好みのままに──。
心臓死?
それとも永続的植物状態でも?
あなたが死んだと決める時がその子の死になります、
お好みのままに──。
Truogの言い分は
我々は既に生きた人間から臓器を摘出しているし、
それによって死なせているのだ、それを認めようではないか。
その患者が「壊滅的な神経の損傷」を負っていて
事前意思や代理決定者によってインフォームドコンセントを与えているのならば
倫理的になんら問題はない。
終末期医療の延命停止と同じことに過ぎない。
脳死からの摘出と同じセーフガードがあれば濫用は防げる。
世論調査によればドナーが死んでいようがいまいが世間だって気にしていないし。
それによって死なせているのだ、それを認めようではないか。
その患者が「壊滅的な神経の損傷」を負っていて
事前意思や代理決定者によってインフォームドコンセントを与えているのならば
倫理的になんら問題はない。
終末期医療の延命停止と同じことに過ぎない。
脳死からの摘出と同じセーフガードがあれば濫用は防げる。
世論調査によればドナーが死んでいようがいまいが世間だって気にしていないし。
しかし、「壊滅的な」損傷についても
Denverチームがドナーの選別に使っている「無益futility」という基準も
これもまた定義がいかようにでも動くのではないか、とSaletanは疑問を投げかけます。
Denverチームがドナーの選別に使っている「無益futility」という基準も
これもまた定義がいかようにでも動くのではないか、とSaletanは疑問を投げかけます。
人の生死にかかわる決定をそんなふうに移り変わる世論に基づいて行っていいのか、
臓器の不足を補いたいために基準が緩められていくことはないのか、
臓器の不足を補いたいために基準が緩められていくことはないのか、
死や心臓停止、個人による臓器の所有の概念が不動だからこそ
我々は自分の意思で臓器提供を決めるのではないのか、とも。
我々は自分の意思で臓器提供を決めるのではないのか、とも。
――――――
この記事を読んで、とても単純に疑問なのだけれど、
心停止から75秒で心臓を「摘出」するという
「摘出」とは具体的にどの段階の行為を指すのだろう。
心停止から75秒で心臓を「摘出」するという
「摘出」とは具体的にどの段階の行為を指すのだろう。
まさか血管や神経を切り離して心臓本体を取り出すまでが75秒なのか
それともその赤ん坊の胸にメスを入れるまでが75秒なのか、
それとも75秒待ってみてから臓器摘出の決断をするのか、
いったい75秒後の「摘出」というのはどういう行為を指しているのだろう。
それともその赤ん坊の胸にメスを入れるまでが75秒なのか、
それとも75秒待ってみてから臓器摘出の決断をするのか、
いったい75秒後の「摘出」というのはどういう行為を指しているのだろう。
私はつい
ドナーとなる赤ん坊もレシピアントとなる赤ん坊も既にそれぞれ手術室に運ばれて、
ドナーには臓器を保存するための薬剤の投与などの処置が既に行われ
いつでもメスが入れられる待機状態でスタッフが取り囲んで
(または既に胸を開いた状態で拍動する心臓をむき出しに)
心臓のモニターをみんなで固唾を呑んで見守りながら
止まるのは今か今かと待っている……という、恐ろしい図を頭に描いてしまった。
ドナーとなる赤ん坊もレシピアントとなる赤ん坊も既にそれぞれ手術室に運ばれて、
ドナーには臓器を保存するための薬剤の投与などの処置が既に行われ
いつでもメスが入れられる待機状態でスタッフが取り囲んで
(または既に胸を開いた状態で拍動する心臓をむき出しに)
心臓のモニターをみんなで固唾を呑んで見守りながら
止まるのは今か今かと待っている……という、恐ろしい図を頭に描いてしまった。
心停止の75秒後に起こることが上記のいずれであるにしても
両親の腕の中で亡くなるという形での家族とのお別れなど
「死」の瞬間にはできないことになりそうだから、
(それとも心停止後75秒間だけ抱いていさせてくれるというのか?)
前もってまだ心臓が動いている段階で
家族はお別れをすることになるのでしょうか。
両親の腕の中で亡くなるという形での家族とのお別れなど
「死」の瞬間にはできないことになりそうだから、
(それとも心停止後75秒間だけ抱いていさせてくれるというのか?)
前もってまだ心臓が動いている段階で
家族はお別れをすることになるのでしょうか。
――――――
2008.10.14 / Top↑
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