1994年から医師による自殺幇助が合法化されているOregon州に続き、
Washington州でも医師による積極的安楽死の法制化が検討されており、
その住民投票が11月の選挙に合わせて行われることに。
Washington州でも医師による積極的安楽死の法制化が検討されており、
その住民投票が11月の選挙に合わせて行われることに。
自殺を治療と位置づけて
ただ単にウツ状態だというだけでも医師に致死量の薬物の処方を認めるもの。
ただ単にウツ状態だというだけでも医師に致死量の薬物の処方を認めるもの。
OregonにWashington州が続くと、それによって
安楽死合法化のドミノ現象が起こり一気に全米に広がることを期待する人たちが多いようです。
安楽死合法化のドミノ現象が起こり一気に全米に広がることを期待する人たちが多いようです。
そうした豊かな資金を背景に、
合法化容認を説くメッセージがTVコマーシャルで流されて、
多くの人々を洗脳しているとして、
合法化容認を説くメッセージがTVコマーシャルで流されて、
多くの人々を洗脳しているとして、
俳優で左翼的活動家のMartin Sheenが対抗策のラジオCMを作ったとのこと。
Sheenは、
自殺幇助が合法化されれば
保険者には自殺という格安な選択肢が与えられることになり、
貧しい人や障害のある人たちに質の高い医療を提供しようとの努力に水を指すことになる、と。
自殺幇助が合法化されれば
保険者には自殺という格安な選択肢が与えられることになり、
貧しい人や障害のある人たちに質の高い医療を提供しようとの努力に水を指すことになる、と。
医療費削減が大きな課題となっているなか
ターミナルな患者は医療全体のトリアージでは一番最初に切り捨てられて
治療は「無益」とされ、その代わりに自殺は合法ですよ、という話になるだろうし、
現にOregonでは一部高額な抗がん剤をメディケアが認めず、
その代わりのように自殺幇助なら認めますよ、という通知を受け取る患者が出てきている。
ターミナルな患者は医療全体のトリアージでは一番最初に切り捨てられて
治療は「無益」とされ、その代わりに自殺は合法ですよ、という話になるだろうし、
現にOregonでは一部高額な抗がん剤をメディケアが認めず、
その代わりのように自殺幇助なら認めますよ、という通知を受け取る患者が出てきている。
Martin Sheen Stars in Ad Opposing Assisted Suicide in Washington State
The Life Site News, September 30, 2008
The Life Site News, September 30, 2008
ここ暫くの間に目に付いた記事を追いかけるだけでも、
少なくとも米国では、
少なくとも米国では、
治らない重病になったり、重い障害を負った人には
「無益」だとして治療のみならず栄養と水分まで引き上げるのが当たり前となりつつあり、
表に出てくるのは、医療サイドと患者の家族との間で争議が起こった場合のみ。
その他の患者さんたちは家族と医師の相談によって
粛々と死なされているのではないでしょうか。
「無益」だとして治療のみならず栄養と水分まで引き上げるのが当たり前となりつつあり、
表に出てくるのは、医療サイドと患者の家族との間で争議が起こった場合のみ。
その他の患者さんたちは家族と医師の相談によって
粛々と死なされているのではないでしょうか。
そこへ「死の自己決定権」という概念が登場して
自らの死に方と死に時を自己選択するのは個人の権利である、と主張する。
自らの死に方と死に時を自己選択するのは個人の権利である、と主張する。
しかし、今、急速に作られていこうとしている社会では
その「自己選択」「自己決定」とは「それでも生きる」という選択が許されない、
つまり「死ぬ」という方向でのみ認められる「自己決定」に過ぎないのでは?
その「自己選択」「自己決定」とは「それでも生きる」という選択が許されない、
つまり「死ぬ」という方向でのみ認められる「自己決定」に過ぎないのでは?
「それでも生きる」と患者自身が望んだところで、
病院が「その治療は無益」と判断すれば治療も栄養の供給すら受けられないし、
高額な治療は確実に治癒できる人や自分で支払う富裕な人だけのものになっていく。
自分で支払えなくてもメディケアで自殺は可能ですよ、と耳元でささやかれるのだから、
重い障害を負い、生きるために常に医療や福祉を必要とする身となった瞬間から、
「それでも生きる」という選択肢は現実問題としてどんどん難しいものとなっていく。
病院が「その治療は無益」と判断すれば治療も栄養の供給すら受けられないし、
高額な治療は確実に治癒できる人や自分で支払う富裕な人だけのものになっていく。
自分で支払えなくてもメディケアで自殺は可能ですよ、と耳元でささやかれるのだから、
重い障害を負い、生きるために常に医療や福祉を必要とする身となった瞬間から、
「それでも生きる」という選択肢は現実問題としてどんどん難しいものとなっていく。
「それでも生きる」を選択肢として許さない状況で着実に包囲しながら
「死の自己決定権」をいうのはやっぱり欺瞞だと思うし、
「死の自己決定権」をいうのはやっぱり欺瞞だと思うし、
あたかも個人の自己選択の尊重であるかのように喧伝されていくことも
欺瞞だと思う。
欺瞞だと思う。
2008.10.07 / Top↑
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