生きるに値しない生命──。
目にするだけでも、こちらの体を一瞬ひるませてしまう酷薄な文字列というものがあって、
これもそんなインパクトの強いフレーズですが、
これもそんなインパクトの強いフレーズですが、
さらにそこに「抹殺」という強烈な単語までくっついて「生きるに値しない生命の抹殺」というのは
実はそう新しくもないけど最近読んだ本の副題で、タイトルの方は
実はそう新しくもないけど最近読んだ本の副題で、タイトルの方は
「第三帝国と安楽死」 (エルンスト・クレー 批評社)。
自ら尊厳のある死を選ぶという文脈の「安楽死」とは別物であることを明確にする意図で
このような副題がつけられたもののようです。
本文では精神障害者の安楽死(殺害)と括弧をつけて差別化しています。
このような副題がつけられたもののようです。
本文では精神障害者の安楽死(殺害)と括弧をつけて差別化しています。
小松美彦氏が自己決定権について書いているものを読んでいたら
ナチスによる精神障害者の安楽死だって法律では自己決定権を謳っていたのだ
という話が繰り返し出てきて、それも意外な話だったのですが、それ以前に、
そういえばナチスの障害者抹殺について私は何も知らない……と思ったので、
「とりあえず」で手にとってみたのがこの本。
ナチスによる精神障害者の安楽死だって法律では自己決定権を謳っていたのだ
という話が繰り返し出てきて、それも意外な話だったのですが、それ以前に、
そういえばナチスの障害者抹殺について私は何も知らない……と思ったので、
「とりあえず」で手にとってみたのがこの本。
どちらかというと
精神障害者らの抹殺がいかに極秘裏に、しかも大掛かりに行われたか、
「生きるに値しない生命」という抽象的な概念が
障害者、病者、アル中、労働忌避者や反ナチ分子などへと
いかに恣意的に拡大されていったか、といった辺りを焦点に
膨大な第1次資料を検証する内容になっているので、
精神障害者らの抹殺がいかに極秘裏に、しかも大掛かりに行われたか、
「生きるに値しない生命」という抽象的な概念が
障害者、病者、アル中、労働忌避者や反ナチ分子などへと
いかに恣意的に拡大されていったか、といった辺りを焦点に
膨大な第1次資料を検証する内容になっているので、
自己決定権については、よく分からなかったし、
もともと最初から、これ1冊を読んで分かるという話でもないのですが、
関係者の証言や手紙、文書の記述が時間軸に沿って非常に丹念に拾われているので、
とにかく生々しかった。
証言からリアルに思い描いた場面が
そのまま脳裏に焼き付いてしまうほどに生々しかった。
もともと最初から、これ1冊を読んで分かるという話でもないのですが、
関係者の証言や手紙、文書の記述が時間軸に沿って非常に丹念に拾われているので、
とにかく生々しかった。
証言からリアルに思い描いた場面が
そのまま脳裏に焼き付いてしまうほどに生々しかった。
資料が膨大すぎ、検証が詳細すぎてとても読みづらい本を、
その生々しさに引きずられて、ほとんど拾い読みで進んでいると
お腹の底がうそ寒くなってくるような不気味さを覚えたのは、
その生々しさに引きずられて、ほとんど拾い読みで進んでいると
お腹の底がうそ寒くなってくるような不気味さを覚えたのは、
21世紀の今、「無益な治療」やロングフル・ライフを巡って我々が耳にし始めている言葉が、
ナチス当時の「生きるに値しない生命」を巡る関係者の発言と重なって聞こえてくるから。
ナチス当時の「生きるに値しない生命」を巡る関係者の発言と重なって聞こえてくるから。
例えば、
前の戦争では「精神病者が病院で大量に餓死したり、結核のために死んだ。」彼らのために「他の治癒可能な患者や看護人まで」伝染病に罹り、共に死んだ。不治の患者は穏やかな死によって救ってやるほうが人間的である。
「何千という健康な若者に国家のために命を犠牲にすることを要求するのであるから、同様の犠牲を不治の病人に要求してもかまわない」。
「これらの人間は、もしまだわずかでも精神活動をもつなら、自らの生命と苦悩に終止符を打つ欲求を感ずるはずだ。もはや用をなさず苦しむだけの家畜には、情けの死を与えようではないか」。
(以上P.107)
「何千という健康な若者に国家のために命を犠牲にすることを要求するのであるから、同様の犠牲を不治の病人に要求してもかまわない」。
「これらの人間は、もしまだわずかでも精神活動をもつなら、自らの生命と苦悩に終止符を打つ欲求を感ずるはずだ。もはや用をなさず苦しむだけの家畜には、情けの死を与えようではないか」。
(以上P.107)
Robert Truog や Robert Veatch の説く「社会に貢献するために自ら選ぶ尊厳死」や
「無益な治療」概念を巡ってPeter Singerが主張していること、
「もっと能力のある患者が治療を受けられるはずのベッドをふさいでいる」として
障害新生児の安楽死を説く英国の産婦人科学会の言い分は、
これらの言葉と何が違うのだろう。
「無益な治療」概念を巡ってPeter Singerが主張していること、
「もっと能力のある患者が治療を受けられるはずのベッドをふさいでいる」として
障害新生児の安楽死を説く英国の産婦人科学会の言い分は、
これらの言葉と何が違うのだろう。
また、私には
断種法を「新しい時代を新しい人間で満たすための責任ある試み(p.42)」と捉えるナチスの声は、
夢のテクノロジーが実現するバラ色の未来に人間は超人類やヴァージョン3.0になっていると語る
トランスヒューマニストたちの言葉と重なって聞こえるし、
知能を偏重する彼らの価値観が内包している知的障害者・精神障害者への偏見と蔑視は
精神障害者をガス室に送った人間が吐いた「劣等な人間」という言葉と重なる。
断種法を「新しい時代を新しい人間で満たすための責任ある試み(p.42)」と捉えるナチスの声は、
夢のテクノロジーが実現するバラ色の未来に人間は超人類やヴァージョン3.0になっていると語る
トランスヒューマニストたちの言葉と重なって聞こえるし、
知能を偏重する彼らの価値観が内包している知的障害者・精神障害者への偏見と蔑視は
精神障害者をガス室に送った人間が吐いた「劣等な人間」という言葉と重なる。
さらに、
かつては殺されていた障害児は生命倫理によって助けられてきたが、
家族のことや社会のコストも考えなければならないと
障害新生児への「無益な治療」概念適用の正当化を説くNorman Fostの言葉は
以下のナチス関係者の発言と一体どこが違うのか。
かつては殺されていた障害児は生命倫理によって助けられてきたが、
家族のことや社会のコストも考えなければならないと
障害新生児への「無益な治療」概念適用の正当化を説くNorman Fostの言葉は
以下のナチス関係者の発言と一体どこが違うのか。
こうした不具の子どもたちが多くの人の手を煩わせてやっと一人前にされ、生涯両親や民族共同体の犠牲の元で養われるのではなく、彼らが既に初期の段階で専門医の厳密な判断に従ってできる限り速やかに再び永遠の眠りにつかせられるならば、正しいことだと我々は考えています。それにより、こうした子どもの両親から心の重荷が取り除かれることは疑いないことです。
(P.288)
(P.288)
後書きの分析によれば、障害者の大規模な抹殺を許した社会背景の一つに
第一次大戦の敗戦によるドイツの経済不況が上げられています。
不況の中で、社会的に役に立たない精神障害者のために国家の乏しい予算をさくのはおかしい、
という論調がすでに社会には蔓延し、それが
ナチスの暴挙に無言の承認を与えていたのだというのです。
第一次大戦の敗戦によるドイツの経済不況が上げられています。
不況の中で、社会的に役に立たない精神障害者のために国家の乏しい予算をさくのはおかしい、
という論調がすでに社会には蔓延し、それが
ナチスの暴挙に無言の承認を与えていたのだというのです。
過酷な弱肉強食であるグローバル経済がどんどんコントロール不能状態となる中、
リベラルな生命倫理がもっともらしく説く
「限られた資源を最大多数の最大幸福のために」というスローガンが
そのまま「社会の役に立たないものには資源をまわす必要はない」という意識となって
世界に蔓延していくかのように思える今の世の中をどうしても考えてしまう。
リベラルな生命倫理がもっともらしく説く
「限られた資源を最大多数の最大幸福のために」というスローガンが
そのまま「社会の役に立たないものには資源をまわす必要はない」という意識となって
世界に蔓延していくかのように思える今の世の中をどうしても考えてしまう。
そこへ、
将来の希望を先取りして煽り立てる科学とテクノロジーが
さらに人間の欲望を肥大化させていくという悪循環が付け加えられている分、
今のほうが余計に救いのない状況なのかもしれないし……。
将来の希望を先取りして煽り立てる科学とテクノロジーが
さらに人間の欲望を肥大化させていくという悪循環が付け加えられている分、
今のほうが余計に救いのない状況なのかもしれないし……。
2008.05.12 / Top↑
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