ずっと前にインターネットで見つけて「お気に入り」に入れておいたのに
この記事を読んだ時に迂闊にも思い出さなかった……という文書にやっと気がつき、
改めて読んでみたところ、とても単純な疑問を抱いたのです。
この記事を読んだ時に迂闊にも思い出さなかった……という文書にやっと気がつき、
改めて読んでみたところ、とても単純な疑問を抱いたのです。
大人にしてはならないことが、なぜ子どもに対しては許されているのだろう――?
私が「お気に入り」に入れっぱなしで忘れていた文書というのは
重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン
厚生労働省成育医療研究委託事業
「重症障害新生児医療のガイドライン及びハイリスク新生児の診断システムに関する総合的研究」班によって
2004年にまとめられた医療職向けのガイドラインです。
重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン
厚生労働省成育医療研究委託事業
「重症障害新生児医療のガイドライン及びハイリスク新生児の診断システムに関する総合的研究」班によって
2004年にまとめられた医療職向けのガイドラインです。
前書きを読み、特に
主任研究者の埼玉医科大学総合医療センター小児科の田村正徳氏による後書きを読むと、
医師がNICUなどの閉鎖的な空間で独善的に治療を停止するリスクを憂慮して
多職種とのチーム医療の中で親への情報提供と支援を充実させることを目的に
作成されたガイドラインのように思えます。
主任研究者の埼玉医科大学総合医療センター小児科の田村正徳氏による後書きを読むと、
医師がNICUなどの閉鎖的な空間で独善的に治療を停止するリスクを憂慮して
多職種とのチーム医療の中で親への情報提供と支援を充実させることを目的に
作成されたガイドラインのように思えます。
作成に関わった様々な立場の人たちが子どもの最善の利益を守るために
それぞれの立場で心を砕かれたことは充分に伝わってくるし、
障害のある子どもを社会で受け止めていくための今後の課題にも言及されて、
このガイドラインに込められた関係者の思いの深さは感動的ですらあります。
それぞれの立場で心を砕かれたことは充分に伝わってくるし、
障害のある子どもを社会で受け止めていくための今後の課題にも言及されて、
このガイドラインに込められた関係者の思いの深さは感動的ですらあります。
私自身、我が子がもうダメかもしれないと覚悟を決めかけた場面で、
「もうラクにしてやってほしい」と痛切に願ったことが何度かあるし、
重症児・者の終末期に緩和ケアの視点を欠いた医療が行われて
本人も親も苦しまなければならないことについては耳にしてもいて、
そのたびに歯噛みする思いで、変わってほしいと念じてきました。
「もうラクにしてやってほしい」と痛切に願ったことが何度かあるし、
重症児・者の終末期に緩和ケアの視点を欠いた医療が行われて
本人も親も苦しまなければならないことについては耳にしてもいて、
そのたびに歯噛みする思いで、変わってほしいと念じてきました。
(では、どう変わってほしいのかということを考えると
「過剰な医療から子どもを守る」ということと
「親のエゴから子どもを守る」ということとの間で葛藤してしまいます。
だからこそAshley事件が象徴的に提示する倫理問題や
その背景に見え隠れする社会の動向が気になってならないのだろうと自己分析しているのですが……。)
「過剰な医療から子どもを守る」ということと
「親のエゴから子どもを守る」ということとの間で葛藤してしまいます。
だからこそAshley事件が象徴的に提示する倫理問題や
その背景に見え隠れする社会の動向が気になってならないのだろうと自己分析しているのですが……。)
だから、このガイドラインに込められた思いそのものはありがたいし、
やっと医療が家族を尊重してくれようとしているのは嬉しい。
やっと医療が家族を尊重してくれようとしているのは嬉しい。
ただ、それでもなお、
とても単純な疑問として頭に浮かぶのは、
これが意思決定についてのガイドラインであるということは、
このガイドラインができることによって自動的に
「重篤な疾患を持つ新生児」の治療中止や差し止めそのものが
前提として是認されてしまっているのではないか、という点。
とても単純な疑問として頭に浮かぶのは、
これが意思決定についてのガイドラインであるということは、
このガイドラインができることによって自動的に
「重篤な疾患を持つ新生児」の治療中止や差し止めそのものが
前提として是認されてしまっているのではないか、という点。
もちろん文言として直接治療中止が認められているわけではなく
あくまでも「話し合いのガイドライン」であるところが微妙なのですが、
あくまでも「話し合いのガイドライン」であるところが微妙なのですが、
逆に言えば、何を対象とした「話し合い」なのかが明確でないまま
本人の「最善の利益」のために、という言葉がこれまた定義も基準もなしに使われていて、
これでは「親の愛情」と「本人の最善の利益」にすべてを肩代わりさせることだって
解釈次第で可能なのでは……? といった危うさも……。
本人の「最善の利益」のために、という言葉がこれまた定義も基準もなしに使われていて、
これでは「親の愛情」と「本人の最善の利益」にすべてを肩代わりさせることだって
解釈次第で可能なのでは……? といった危うさも……。
もっとも関係者がこのガイドラインについて書いている各種文書からは
これが延命治療中止や差し控えを前提にした「話し合い」のガイドラインであることは明らかで
これが延命治療中止や差し控えを前提にした「話し合い」のガイドラインであることは明らかで
そもそも、このガイドラインを作ったのが
重症障害新生児医療におけるインフォームドコンセントや家族支援の研究班というならともかく、
「重症障害新生児医療のガイドライン」と「ハイリスク新生児の診断システム」の研究班。
これは、改めて考えてみれば妙な話で、
重症障害新生児医療におけるインフォームドコンセントや家族支援の研究班というならともかく、
「重症障害新生児医療のガイドライン」と「ハイリスク新生児の診断システム」の研究班。
これは、改めて考えてみれば妙な話で、
厚生労働省はこのガイドラインによって
重症障害新生児の延命治療停止の倫理問題を正面から論じることなしに
なし崩し的に事実上の是認にもっていってしまったのでは?
重症障害新生児の延命治療停止の倫理問題を正面から論じることなしに
なし崩し的に事実上の是認にもっていってしまったのでは?
2004年の早くから?
だって、ものすごく変じゃないかと思うのは、
大人に関する終末期のガイドラインについては、
この2年くらいの間に厚労省や日本救急医学会などから案が立て続けに出されていますが、
まだ尊厳死が法制化されていない現在、
終末期の患者家族が「苦しむ姿をもう見ていられないから呼吸器を外してやってください」と頼み
医師が実際にはずしたら、それは殺人にもなるわけですね。
この2年くらいの間に厚労省や日本救急医学会などから案が立て続けに出されていますが、
まだ尊厳死が法制化されていない現在、
終末期の患者家族が「苦しむ姿をもう見ていられないから呼吸器を外してやってください」と頼み
医師が実際にはずしたら、それは殺人にもなるわけですね。
しかし大人の患者で外したら殺人になる人工呼吸器を
新生児や子どもだったら、外しても殺人にならない……?
新生児や子どもだったら、外しても殺人にならない……?
大人の患者で外したら大騒ぎの大事件になるというのに、
実際に外されていることを多くの人が知っているのに、
子どもだったら事件にはならない……?
実際に外されていることを多くの人が知っているのに、
子どもだったら事件にはならない……?
それは、子どもだからですか?
それとも、重い病気や障害があるからですか?
それとも、重い病気や障害を持っていて、さらに物言えぬ子どもだからですか?
それとも、重い病気や障害があるからですか?
それとも、重い病気や障害を持っていて、さらに物言えぬ子どもだからですか?
その線引きは、いつ、どこで、だれが――?
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2008.05.02 / Top↑
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