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カナダで84歳の男性への治療停止を病院が決めたことに対して
家族が宗教上の理由から治療停止に反対して訴訟を起こしているケースに関して
Peter Singerが論評しています。

まずタイトルですが、
「高齢者には病気なんか認めなくていい」という意味ではないか、と。

No diseases for old men
By Peter Singer
The Malta Independent Online, March 19, 2008

Ashleyケースで彼が書いた論評にも同様の感想を持ちましたが、
今回も非常に粗雑で乱暴な議論。

論旨を流れに沿ってざっとまとめてみると、

かつて高齢で弱ってくると楽に死ねる肺炎は「老人の友」であったのに、
最近ではすぐに抗生物質で助けてしまうので「友」でなくなってしまった。

頭も確かでなくなった高齢者に抗生物質を使って何の意味がある?

歩けない、しゃべれない、自分で食べられない、我が子も分からないようになってまで
生きていたい人がどれくらいいるだろうか。

本人の意思が確認できず
何が患者の最善の利益かを判断しにくい場合には
社会のコストを考えなければならない。
こうした高齢者への抗生物質投与には無駄に費用がかかる上に
抗生物質の多用によって耐性菌を作るという問題もある。

カナダのGolubchukケースのように本人の意思決定が無理な場合には
通常なら家族の希望が尊重されるが
その家族の希望にしても
本人の最善の利益に基づいて行動する医師らの倫理的責任を上回るものではない。

Golubchukの認知レベルが争点になっているが、
分かっているなら分かっているで生かされることは無意味な拷問であり、
やすらかに死なせることが彼の最善の利益だろう。

このケースでもう1つ重要なのは
死が本人の最善の利益だと医師が判断した患者に
家族が希望するというだけでコストをかけて治療を続けるかどうか、
一家族の宗教信条を支えるためにのみ
カナダの納税者にコストをかける用意があるかどうかという点である。

医師らの判断の方が勝っているのだから
裁判所は治療を継続させる命令を出すべきではない。

Singerは一体どういう手順を踏んで意思決定をするべきだと主張しているのか、
言っていることが段落によって違っていて、
結局はどんな場合でも社会のコストのみを基準とした結論が正しい、と読めます。

「本人の最善の利益によって行動する医師の倫理的責任」と
倫理的という言葉をSingerは1度だけ使っているのですが、
社会のコストを考慮の外に置いて「本人のみの最善の利益」を考える
患者に対する医師の「倫理的責任」を言っているのか、
それとも、
医師は社会のコストも考えた上で患者の「最善の利益」を考えるべきだとして
社会に対する医師の倫理的責任のことをいっているのか?
(じゃぁ、その場合の患者の最善の利益というのはどう導き出されるのか)

文脈からすれば後者を意味している以外にはないと思われ、
それなら結局「患者の最善の利益」など最初から存在せず、
「社会の最善の利益」しか存在しないことになるようでもあり。

また、以前にも指摘したことですが、
非常に問題を感じるのは重度の要介護状態というものを一括して最悪のイメージで描く乱暴。

自分で排泄のコントロールができなくなり、
自分で食べることができなくなり、
もはや歩けず、しゃべれず、
我が子も分からないほどに精神能力がもう後戻りできない状態で悪化してしまったら、
そんな状態で生きる時間を引き伸ばしたいと
どれほどの人が願うだろうか?

ここに描かれている身体の不自由は
必ず「我が子も分からない」ほどの知的な障害を伴うとは限らないし、

さらにまた必ずしも、
このような状態にある人が生きることを望まないと
決め付けられるものでもないはずなのですが、

「仮にGolubchuk氏の認知能力が残存しているとしても、
それは却って無意味な拷問ということになるのだから」
という部分に見られるように、

Singerは現実の障害像の多様さを無視し、
しかるべき意思決定の手順というあるべき議論も自己決定権もすっとぱして

ただ
「そんなになってまで生きてたくはないよね、みんな?」
と自分の主観的な価値観を安易に一般化しているに過ぎず、

「本人の意思が確認できないならば」という前提を煙幕として繰り返しつつ
彼が主張しているのは実は「本人の意思も家族の意思も問題ではない」ということのみ。

そしてGolubchuk氏の状態を引き合いに論じつつ、ちゃっかり更に飛躍して
タイトルで謳うのは「高齢者には病気などいらない」なのだから、

本文の趣旨とは本当は
「高齢になったら状態を問わず、本人家族の意思も問わず治療は無用」ということなのかも。


Ashley事件に際してSingerがNYTimesに発表した文章については以下に。

2008.03.24 / Top↑
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