2月14日のエントリー84歳患者巡る無益な治療論争、裁判へ(カナダ)で紹介したケースで、
この患者 Sam Golubchuk氏の娘さんが
裁判費用を援助するカンパを呼びかける手紙を
3月17日にインターネットに公表しています。
裁判費用を援助するカンパを呼びかける手紙を
3月17日にインターネットに公表しています。
この手紙によると、
障害があり介護施設で暮らしていたGolubchuk氏(84歳)は去年の秋に肺炎で入院。
肺炎は治ったものの高齢で弱っていたために
そのまま基本的なケア(栄養・水分の補給と呼吸器による呼吸補助)を受けることに。
障害があり介護施設で暮らしていたGolubchuk氏(84歳)は去年の秋に肺炎で入院。
肺炎は治ったものの高齢で弱っていたために
そのまま基本的なケア(栄養・水分の補給と呼吸器による呼吸補助)を受けることに。
病院側は去年11月に基本的なケアを停止しようとしたため、
家族が裁判所から緊急の差し止め命令をとったもの。
家族が裁判所から緊急の差し止め命令をとったもの。
娘さんは
Golubchuk氏が植物状態でもなければ末期的な病気でもなく苦痛も感じていないのに
病院は氏が高齢、虚弱な障害者だから治療費を使いたくないのだ、
そのくせ裁判では戦う姿勢を見せ、
その費用には税金を投入しようとしていると批判しています。
Golubchuk氏が植物状態でもなければ末期的な病気でもなく苦痛も感じていないのに
病院は氏が高齢、虚弱な障害者だから治療費を使いたくないのだ、
そのくせ裁判では戦う姿勢を見せ、
その費用には税金を投入しようとしていると批判しています。
ちょっと考え込んでしまったのは、
最後のところで、従軍経験を始め現役の間に氏がいかに社会に貢献してきたかを語り、
だから晩年に尊厳をもって扱ってもらう権利がある、と述べてある下り。
最後のところで、従軍経験を始め現役の間に氏がいかに社会に貢献してきたかを語り、
だから晩年に尊厳をもって扱ってもらう権利がある、と述べてある下り。
日本でも重症児への福祉を訴える際に、
この子達から世の中の人が教えられることは沢山あるのだ、
懸命に生きる姿によって彼らは世の中に貴重なメッセージを送っているのだと、
いわば重症児の「存在価値」を訴える言説に出くわすことがあり、
そのたびに私は考え込んでしまうのですが、
この子達から世の中の人が教えられることは沢山あるのだ、
懸命に生きる姿によって彼らは世の中に貴重なメッセージを送っているのだと、
いわば重症児の「存在価値」を訴える言説に出くわすことがあり、
そのたびに私は考え込んでしまうのですが、
「世の中に貢献しているのだから助けてもらう資格や権利がある」という論法には
どこかとても危ういものがありはしないでしょうか。
どこかとても危ういものがありはしないでしょうか。
2008.03.24 / Top↑
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