2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
Boston Globeの以下の記事冒頭で

「脳死」概念は実は一般に考えられているほど明確でも確立したものでもなく、
臓器は患者が死亡してから摘出するというルールはしょっちゅう破られている、
こんなルールは廃止するべきだ……

……というRobert Truog医師(Harvard Medical School)の主張を読み、

それに続いて
当ブログでも取り上げたNavarro事件が触れられて、

(救命治療よりも臓器保全を優先し、
知的障害のある患者の死を早めたとして現在裁判で予備審理中。)

脳死だけではなく心臓死だって臓器提供のために操作は可能で
実際に臓器摘出のために操作されているのが現実である、
との指摘があり、

そして日本の脳死議論でも頻繁に言われた
「生と死の境はくっきりと線引きできるものではなく、死はプロセスである」
との主張がそれに続くのを読むと、

さて、これに続く部分に、あなたはどういう展開を予測しますか?




「移植医療の先走りを懸念して
もう一度臓器摘出の条件見直しを行い、
提供者の救命治療が保障されるようにという声?」
と予測してしまったのは、
これだけ当ブログで英米の命の切捨てについて読んできたのに、
やはり私がアホだったのでした。

上記の指摘や主張に続いて出てくるのは
どうせ脳死も心臓死も操作されていて
実際には死んでいない人から臓器は摘出されているのだし
その一方で臓器を待ちつつ死んでいく米国人はまだ沢山いるのだから
本人の希望さえあれば死ぬ前に摘出してもいいことにしよう
という声なのでした。

そして、この記事に登場してその説を能弁に唱えるのが
またしても、Ashley事件で大活躍したあのNorman Fost医師

直接の言葉と本文に要約された主張でFost医師の発言を抜いてみると
脳死患者の多くは脳幹部の機能が残っているという研究結果がある。

「そういう患者から我々は何千という臓器を摘出しているわけですが、彼らは脳死ではありません」

「心臓死からの摘出という方法でも摘出時に患者は死んでいることになっていますが、死んでいません」

(しかし、彼は心臓死での摘出に反対しているわけではなく、主張していることは)
臓器提供に同意する人には、ターミナルな病状である限りにおいて自分が死ぬ前に臓器を提供してもいいと明示することを可能にするべきである。それでこそ自分の医療について個人の自己決定権を尊重することになる。それで死にそうになる前に膵臓を摘出してくれという希望があれば、そうすればいいだけのこと。そういうことを考える人だっている。

2004年にCase Western Reserve Universityの倫理学者Stuart YoungnerらがOhioで1300人の大人に調査したところ、回答者の半数近くが、生きているが付可逆的な昏睡状態にある人からの臓器摘出を支持したとの結果もある。

この記事でRobert TruogとNorman Fostと同じく
「死亡提供者ルールなど撤廃してしまえ」と言っているのは
Robert Veatch(Georgetown University)で、
彼が提言しているのは
永続的植物状態になった場合には死亡宣告してもらうか
脳の機能を部分的に残したまま意識がない状態を延々と続けるか
選べるようにしよう、と。

(死亡宣告してもらえば)
失うものは何もないが得るものは多いですよ。
 個人としての判断に尊敬を得ることができますからね。


San Francisco ChronicleのWesley Smithのエッセイ(2006/10/22)によると、
Robert Veatchは植物状態の人について、
本当は埋葬したっていい状態の「息をする死体」に過ぎないと述べています。
2008.03.11 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://spitzibara.blog.2nt.com/tb.php/1484-f95f6b6e