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93年に重症障害のある娘を殺したカナダのRobert Latimerが先ごろ保釈されました。
いまだに有罪判決を覆そうとロビー活動を続けているとのこと。

彼の保釈を機に、
Toronto Star紙の障害当事者コラムニストHelen Hendersonが
彼の正当化の論理に反論しています。


Hendersonが冒頭でまず疑問を投げかけるのは、

事件から15年間、
父親と弁護氏らは娘のTracyの状態を悲惨と苦痛のみの生だったかのように描き、
世間もそういうイメージを抱いてしまっているが、
学校の教師はTracyを音楽の好きな少女だったと記憶している、
笑顔も覚えていると言っている、と。

殺すことが娘を悲惨な状態から救う唯一の選択肢だった
娘に身体的・知的能力が欠如しているのだから、
親には娘に代わって自殺を決定する法的権利がある
との父親の主張に対して、
教師らの記憶にあるTracy像は一致せず、
父親の主観に過ぎないというのです。

その他Hendersonが主張していることとして、

Robert Latimerは実刑を免れて然りだったとの世論は
彼ら一家が特異なケースだったように受け止めているが
Tracyのような脳性まひ児は世の中に沢山いて、
他者から見れば苦痛に見える生を精一杯生きている。
それでも刑法を曲げるというのか、
それよりも社会の医療と福祉の充実を考えるべきだろう、と。

さらに
脳性まひについて深刻な誤解がある、と。
脳性まひはターミナルな病気でもなければ進行性の病気でもない。
にもかかわらずLarimer事件では
裁判官が一貫して「病気」と表現し続ける有様だった。

もう1つ、
「娘の痛みを終わらせてやるには死しかなかった」と父親は主張するが、
多くの同じような子どもたちに安全な痛み止めが処方されている。

重症児の親には子に代わって自殺の代理決定をする権利がある――でしょうか?

         ―――――

それにしてもRobert Latimerの正当化の論理は
Ashley事件で使われた正当化と全く同じであることに驚きます。

今後Ashleyの障害も成長と共に重度化することが予想され、
また親にも歳をとると介護力の低下が予想されますが、

その時にLatimerのように
「あまりに悲惨。
Ashleyには判断能力も実行能力もないから
親が自殺を代理決定してやる権利がある」
などと言い出したら――?

「本人の最善の利益」という魔法の言葉さえ唱えれば
親はやりたい放題、殺したい放題ですね。



Ashley事件でのHenderson記事については以下のエントリーに。

2008.03.10 / Top↑
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