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Diekema講演当日の模様を報じるニュース記事が出ていました。
会場は満員で車椅子の人も相当数詰め掛けたようです。

Group debates ethics of disabled child’s care
mlive.com (Chronicle News Service) January 19, 2008

しかし、正直、この記事はショックでした。

読んで真っ先に感じたのは、
「もう流れは作られてしまったのではないか」という強い危機感。

そして、この流れを意図的に作ろうとしている人たちがいるとしたら、
彼らの持っている力の強大さと巧妙さ、したたかさ。その不気味。

実際に障害のある人たちが会場で何を言ったのかについては
次のエントリーでまとめますが
ここでは、危機感のアンテナに引っかかった部分について。


会場に車椅子の人たちが多数つめかけたことが、
むしろDiekemaサイドには思う壺だったのではないか
と私には感じられてならないのです。

車椅子だというだけでも
相手によっては奇異な目を向けられることのある人たちです。
何人も集まると、異様な集団のように見てしまう人も少なくないでしょう。

加えて、この問題では
既に彼らには「子を愛する親の前に立ちはだかる存在」というラベルが貼られてしまっています。

障害のある人たちが不自由を押して出かけていけば行くだけ、
彼らは会場からは浮き上がって
「抗議行動のために大挙して押しかけてきた異様な集団」
「攻撃的・敵対的な雰囲気を持ち込んできた」という目で見られてしまう。

抗議の声を上げれば上げるだけ、
その内容や思いではなく、
声の大きさばかりが響いてしまう。

彼らを待っていたのは、
そういう舞台だったのではないでしょうか。

そういえば講演前にDiekema医師は
同窓会誌で長いインタビューを受けたり
地元メディアの取材を受けたりするなかで、
「抗議の声を上げたのは障害者だけ」
障害者団体からの嫌がらせがひどいので」などと、
さりげなく予見の種を蒔いてもいましたね。
きっと当日の会場の様子を想定していたのでしょうね。

(さらに、そういえば、
 インタビューの数週間前にAshley父とランチを食べたとも言っていましたね。
 あれだけ大きな会社でモノを売る世界規模の戦略を立ててきた人だということを
 つい今まで忘れていましたが。)
 


        ――――

そして予め仕組まれていたと思われる講演後の討議での1コマ。

モデレーターの小児科医Ronald Hofmanが
23歳の重症障害のある娘を持つ母親に尋ねるのです。

「もしも15年前に
Rachelを小さなままにしておくことができると医師から聞いたとしたら、
あなたはなんと答えていましたか?」

Rachelの母親はそれに答えて
「ありがとう、と」


Diekema講演はもしかしたら、
「親の愛」対「過激で自分勝手な障害者たち」
という対立の構図を浮き彫りにする場として、
実は機能してしまったのかもしれません。

ちょうど英国でDaily MailとTelegraphの報道が
とても複雑な問題をみんな話の外に追いやって
分かりやすい単純な対立の構図の中に全てを落とし込み、
障害者たたきを誘発したのと同じように。

       ―――――

もう1つ、
当日講演を聴きに行った人のブログ
BETHANY’S BLOGに寄せられたコメントにも
当日の雰囲気を伝える目撃エピソードがあります。
(このブログに書かれた講演の感想については、また改めて。)

講演の日に大学内の歩道橋で
1人の女性がDiekema医師批判のビラを配っていたところ
大学職員がやってきて「許可は取っているのか」と。
女性が「表現の自由だ」と答えると
職員は、「それでもここは私道だから」と大学セキュリティに連絡。
車が来て止まると、女性はぷりぷりしながら立ち去った、と。

どうも、嫌な雰囲気になってきました。

この感じ……。

イラクでボランティアやバックパッカーの人たちが誘拐された際に
手をこまねいている政府への批判が噴き出す寸前に、
「自己責任」という一言が流れを変え、
あっという間に世論をバッシングに傾斜させていった時のような。
2008.01.22 / Top↑
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