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私がAshley事件について初めて知ったのは2007年1月5日のことだったので、
一昨年、去年と、1月5日には、日々のニュースを追いかける手をちょっと止めて、
“Ashley事件”や、その1年を振り返ってみる記事を書いてきました。
(文末にリンク)

しかし2010年は
モンタナ最高裁の自殺幇助合法化という、
なんとも衝撃的なニュースとともに明けたもので、
衝撃のうちにその判決文を読んでみたりしていると
いつのまにやら1月5日は過ぎてしまっていました。

その後も、慈悲殺事件やら無益な治療訴訟、自殺幇助合法化法案など、
黙って見過ごせない重大ニュースが目まぐるしく飛び込んでくるので、
それらを追いかけるのにアップアップしているうちに
いつしか1月も終わりに近づいています。

もちろん、この間には、Ashley事件関連の動きもあり、エントリーも書きました。
こちらも、目まぐるしい動きが続いています。

今こうして振り返っただけでも、ほんの1カ月足らずの間に
これだけの大きな動きが相次いだというのは、
このブログを始めて以来、初めてのこと。
ほとんど信じがたいほどの慌ただしさです。

改めて、障害児・者への包囲網が、あちこちから、
どんどん加速度的に狭まってきている気がします。

そういうことを感じていたさなかだからこそ、
今朝、Ashley父の「一般化宣言」みたいな3周年記念アップデートを知ったことを機に
私もやっぱり、ここで個人的“Ashley事件”3周年を書いてみたくなりました。


「この事件にはウラがある。前例にしてはいけない」と必死で訴えつつ、
誰にも読んでもらえないブログをシコシコ書き続けた1年目――。
私の興味も、ほとんどAshley事件だけに集中していました。

やがて少しずつ読んでくださる方が増え、
私自身も、Ashley事件を通じて、もっと広く
科学とテクノの簡単解決文化や、尊厳死、無益な治療論、
功利主義の切り捨て医療正当化論やゲイツ財団の独善的な慈善資本主義、
それらすべてが絡まりあって再構成されていく世界……など、
さまざまな問題を発見し、それらがすべて繋がっていることを確信していきました。

Diekema医師が父親と一緒になって本気で一般化を狙っている危機感から、
英語ブログを立ち上げて、またも誰にも読んでもらえないブログで1から論証作業シコシコ。
今度は英語とあって、のろのろした進みに加えて、自分のやっていることが恐ろしく、
1つエントリーを書くたびに胃が痛くて泣きそうだった2年目――。

そして、3年目の2009年を振り返ってみたら、
いつのまにか、日本語と英語と2つのブログを通じて、とても多くの方々と知り合い、
情報や資料やご意見や刺激をいただくようになった1年間でした。

Ashley事件に心を痛め、憤り、一般化を阻止しようとしている人が
世界中に沢山いて、それぞれ自分に可能なやり方で批判を続けている。

年明け早々、Diekema&Fostの正当化論文に
ずらりと寄せられたコメンタリーのタイトルをSobsey氏のエントリーで見た時に、
なんだか、私は、じん……ときました。

ああ、これはレジスタンスだったのだな……と思ったのです。

組織があるわけでもなければ、
リーダーがいるわけでも指示系統があるわけでもない。
面としてつながるどころか、線として繋がっているわけでもない。

それぞれが独立した点として世界中のあちこちに散らばっていて、
その点のまま、ネット上や論文で自分なりの抵抗を試みることで、
直線として緻密につながらないまでも、ぼんやりした点線に繋がって、
その点線がレジスタンスの第一線を形成してきた。

それによってDiekema医師らの暴論が正当化として突っ走ることを
ここまで食い止めてきたのだ――。

そんな気がしたのです。

そして、私もまた小さな1つの点として、
その点線の端っこに加えてもらってきたことを
ちょっぴり誇らしく感じました。

この論争の中から純粋に倫理論争だけを取り出せば、
その論争は既に終わっている、と私は考えています。

説得力のある議論を出せなかったAshley父と、そのシンパ(走狗?)のDiekema、Fost両医師らは
論争においては、もう完全に敗北した、と思う。

もちろん、彼らは最初からウソとマヤカシだらけで誠実な議論などしていないし、
権力の側にいるのをいいことに、いろんな人に圧力をかけ、メディアを操り、
オイシイ餌で釣って批判者を自分の陣営に寝返らせ、
自分たちが望む結果を出せれば手段など問わないのでしょう。

彼らはこれからも、なりふり構わず、汚い手段をいっぱい使って
さらに一般化をゴリ押ししていくのだろうことは疑いもありません。

米国の小児科医療においては、既に水門が切られてしまったのかもしれない。

でも、いずれ、きちんと検証がされる時が来たならば、
世界中の点たちが張ったレジスタンスの防衛線は、
守るべきものを立派に守り抜いたはずだと私は確信しています。

それに、Ashley事件でレジスタンスに参加した点たちは、
当ブログが関心を寄せる多くの問題においても、やはり闘い続けています。

例えば、当ブログは数日前からカナダのIsaiah君の無益な治療訴訟について
エントリーをいくつか書いていますが、
私がこの事件を初めて取り上げた翌日に気付くと、
Sobsey氏もこの事件でエントリーを書いていました。

その後、このブログでは紹介しきれていませんが、
Wilson氏も取り上げているなと思ったら、
Bad Crippleさんも22日に書いていました。

私はAshley事件以外のことについてまで英語で書く能力もエネルギーもないので、
Isaiah事件について私が書くものを、この人たちに知ってもらえることはないけれど、
日本語記事を書いたあとで、ああ、やっぱり、この人もこの事件を憂慮している……と知ると、
会ったことも話したこともない人との間に、同じ闘いを闘っている者同士のような
そこはかとない連帯を感じて、励まされるのです。

それは、日本でも同じです。

それぞれに闘っている目の前の問題は具体的には違うけれども、
弱いものを、ただ弱いから付け入ることができるというだけで、
踏みつけ切り捨てていこうとする、強い者の力に対して、
多くの人が点として、それぞれにできるやり方で、抗い、闘い続けている。

そんな人たちが世の中には沢山いることを
私はこの3年間を通して知りました。

私の個人的な“Ashley事件”3周年に一番大きく感じられるのは
そのことを発見した、しみじみした喜びです。

そして、4年目に入った今年、
さっそくAshley父が「もう12人に行われたぞ」と誇らしげに声を張りました。
無益な治療論も自殺幇助合法化議論も、どんどん包囲網が狭まってきそうです。

NH州の自殺幇助合法化法案否決のニュースを受けて
Wesley Smithは書きました。

闘いは続くぞ。みんな――。

私も、日本の田舎の片隅で、
日本のメディアが報道しようとしない諸々の事実を
自分にできる範囲で拾い、伝え、自分なりに考えていくことによって

SmithやWilson、Sobseyといった大きくて立派な点たちが闘い、守ろうとする
防衛線を成す点線の、小さな1つの点でありたい、と思う。



2010.01.25 / Top↑
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