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ちょっと前の本ですが、

”Choosing Naia: A FAMILY’S JOUENEY” (Mitchell Zuckoff, Beacon Press 2002)


ノンフィクションです。

お腹の子どもがダウン症だと知りながら
「選ばないことを選ぶ」という選択をした米国コネチカット州のFairchild夫妻は、
夫が黒人、妻が白人で共に専門職。
夫婦が待望の妊娠を知る喜びの場面から、
お腹の子どもが重症の心臓病を伴うダウン症児だと分かり、
selective abortionが可能なのは24週までという州法のタイムリミットが迫る中、
様々に揺れながら最終的には「選ばないことを選ぶ」という選択をする。
Naiaと名づけられた娘が生後まもなく心臓の大手術を経て、
無事に2歳の誕生日を迎えるまでの物語。

the Boston Globe紙が98年に長期連載したシリーズを一冊の本にまとめたもの。
Greg とTierney夫婦はもちろん、
彼らの決断の周辺にいた専門職や友人、親戚など多くの人に綿密な取材を行い、
資料から歴史的な背景やダウン症を巡る医学の現状も考察した
骨太のドキュメンタリーになっています。

彼らが決断に至るまでには、
人種の違いという問題をはらんだ非常に複雑な感情の葛藤があるのですが、
2人は冷静な情報収集と検討、丁寧な議論を重ねることで
夫婦共に納得できる決断に至ろうと懸命の努力をします。
小児心臓外科医に会い、
遺伝学の専門家に会い、
遺伝カウンセラーから送られてきた資料を読み、
双方の親族と話し合い……
最終的に心を決めようとして、何に迷っているのだと夫に迫られた時、
妻のTierneyは言います。

“I want to talk to people who’ve been through this,” she said. “I want to talk to people who have children with Down syndrome.”

「これと同じ体験をした人と話してみたい」と彼女は言った。「ダウン症の子どもがいる人と話をしたいのよ」

そして2人は、ダウン症の娘のいる一家に会いに行きます。そこには成人して、穏やかな日々を送るダウン症の女性がいました。

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この本で私が最も心を打たれたのは、
この夫婦が
「ダウン症」をスティグマに満ちた“イメージ”にしたまま
「産むか産まないか」を考えるのではなく
できる限りダウン症の実像をリアルに知ろうと努力をしたこと

それはむしろ、
黒人と白人の夫婦であり、そのことが生む葛藤を常に乗り越える必要のあった夫婦だからこそ、
できたことなのかもしれません。
お腹の子どもがダウン症児だと知って、
実際のダウン症の人に会いに行こう、その人の現実の生活に触れてみようとする人が
どれほどいるでしょう。

もう1つ印象的だったのは、遺伝カウンセラーの存在と役割。
カウンセラーはまず最初に情報パッケージを送ってくれます。
その子どもの心臓病についての情報とダウン症についての情報。
ダウン症の家族会が作ったビデオもその中に入っています。
カウンセラーの姿勢が
「決断はあなたたちのもの。
必要な情報を提供し、そのプロセスを支えるけれど、いずれかに誘導はしない。
しかし、あなたたちの決断がいかなるものであっても、自分は徹底的に支え抜く」
というものであったことも、強く記憶に残っています。

決断そのものの是非も大事でしょうが、
既に既成事実がどんどん作られて「ダウン症児の堕胎は当たり前」になりつつある現在、
その決断に至るプロセスももっと議論されるべきでは、と考えさせられます。

(”アシュリー療法”論争で「重症児」への過激な医療の是非を云々している人たちの中にも、
子宮摘出や成長抑制の是非を云々する際に、
自分の中にある「重症児」像が実はスティグマに満ちたイメージに過ぎないのでは、
と自問してみる人は、一体どれほどいるのでしょうか?)
2007.11.04 / Top↑
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