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Quelletteが事件の概要をまとめた後で展開する、
親の決定権をめぐる現在の法律の考え方の整理はおおむね以下の通り。

子どもの医療に関する親の決定権は
合衆国憲法修正第14条のDue Process(しかるべきプロセス)条項で保護されており、
一部の例外を除き、親には子どものために最善の決定をする能力があることを前提に
国家の介入を受けない家族のプライベートな領域とされる。

そのような親の決定権を制約する例外には3つのモデルがあり、

1.子どもの選択(子どもがmature minor "成熟した未成年"とみなされる場合)
2.法的に禁止された医療介入(女性器切除)
3.虐待・親子の利害の相克がありうる医療介入
   a.不妊手術を受けさせる、または人体実験に参加させる決定
   b.兄弟への臓器提供をさせる決定

3のカテゴリーの介入に対する規制は州ごとに細かい点では違っているものの
基本事項は共通していて、

1.介入実施前に、親の決定について第三者が検討すること
(特に未成年への不妊手術についてはWA州を含む多くの州が裁判所の介入を求める。)

2.その第三者が親の決定に同意する条件が決められていること

このような第三者の検討が必要な例外は
優生政策、障害児・者に行われた非倫理的な研究など過去の出来事の反省に基づくもの。

次に著者は、こうした法規制をAshleyケースにあてはめてみます。

そして、
3つのモデルの最初の2つはAshleyケースには当てはまらない、
3つ目のモデルでも、子宮摘出では第三者の検討が必要かもしれないものの
成長抑制、乳房摘出、盲腸摘出は不妊手術でも実験でも臓器提供でもないから
当てはまらない、というのです。

私は、この点、
そういう医療技術の応用に前例がないから法律が対応していないだけでは? と思うし、

実際、WPASや、ワシントン大学のICマニュアルまでも
障害児・者への侵襲度が高く、体の統合性を損なうような医療介入は
不妊手術に準ずるとの解釈をしているのに……と不満を覚えるのですが、

著者は、子宮摘出についても、
親の弁護士の解釈に触れて、目的が不妊そのものでない場合にまで
裁判所の命令が必要なのかどうかは、まだ議論の余地がある、と言います。

ただ、この論理展開は、どうやら
今後でてくる可能性のあるケースへの懸念を
リアルに示すために著者が敢えて仕組んだワザのようでもあり、

すなわち、現状では、このような解釈が可能である以上、
今後「うちの子にも」と手を挙げる親に対して
子ども病院と同じように親の決定権モデルが適用される危険性があることを
著者はこうして提示して見せた……というわけでしょう。

では、そうした状況を踏まえ、
Ashleyのような重症児の“治療”は家族のプライバシーだとする主張には
どのような問題があるのか。

著者は以下の3点を挙げています。

1.Ashleyに行われた介入セットを州が法律で規制することは可能か。
2.Ashley事件の記録から、規制が必要だと考えられるか。
3.もし必要だとすれば、どのような規制が妥当なのか。


次のエントリーに続く)
2010.01.15 / Top↑
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