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さて、このような障害像をもつアシュリーに対して、具体的には何が行われたのかを確認してみましょう。

一番単純明快に分かりやすいのは、両親のブログに箇条書きにされた部分でしょう。「以下の3つのゴールを達成することにより、大人になったアシュリーのQOLを大きく向上させることができることは明らか」と書かれている3つのゴールとは、

大量エストロゲン投与療法により最終身長を制限すること。
子宮摘出術により、生理と生理痛を取り除くこと。
初期の乳房芽の切除により、乳房の生育を制限すること。

 このゴールに従って、太字部分の医療処置が行われました(太字はspitzibara。) また、一般に5%の確率で炎症が起きるが盲腸炎になってもアシュリーは苦痛を訴える術がないとの理由で、手術の際に外科医が盲腸も切除しています。

まず①の最終身長を制限する目的で行われた大量エストロゲン投与療法とは、どういうものでしょうか。論文には次のように書かれています。

エストロゲンの大量投与によって成長を抑止し、それと同時に比較的短期間の治療で骨端線の成熟を促進して、それにより体の大きさを永続的に抑制することが可能となる

骨端線というのは骨の先端の一部分で、我々の背が伸びるのはこの骨端線が延びることによるのですが、骨端線は一定のところまで成熟するとそれ以上は伸びなくなるようです。我々の身長の伸びがある年齢で止まるのは、このようなメカニズムによるもの。したがって、論文のこの箇所に書かれていることは、人間の背が伸びるメカニズムの進行をホルモンの大量投与でいわば“早送り”し、アシュリーの身長の伸びを早々と“あがり”に至らせることで抑制しようという話です。

ただし実際に行われた処置の順番は、外科手術が先でした。(「医師らの論文にはマヤカシがある その3」 を参照してください。)2004年の7月にまず4日間の入院で子宮と乳房芽が摘出され、アシュリーは1ヶ月で回復。手術からの回復を待ってホルモン療法が始まり、ブログが立ち上げられた2007年新年当時、2年半の治療が終わったばかりのところだったといいます。

論文と両親のブログから具体的な内容を拾ってみると、

投与されたエストロゲンは1日400マイクログラム。3日ごとに交換するパッチで経皮的に投与。その間は3ヶ月ごとに身長と体重、骨年齢、インシュリン様成長ファクターⅠ、エストロゲンとプロラクチンのレベルと血栓症ファクターをチェック。ホルモン療法は順調に行われ、副作用は見られなかった。これによりホルモンを投与しなかった場合に比べて身長を20%、体重を40%減じることができると期待される。現在は4フィート5インチ(約135センチ)であり、9歳半の女児の平均身長に近い。骨年齢は15歳。身長の伸びは既にほぼ99%達成されたことになる。

両親は、「もっと早くにこの療法を開始していたら、アシュリーへのメリットはもっと大きかっただろう」と、ちょっと残念そうに書いています。

この「成長抑制」の内容については、センセーショナリズムに傾きがちなマスメディアの報道の中にも、それに続く論争の中にも誤解がありました。たとえば、1月4日のガーディアン紙のニュース・タイトル「時の中にフリーズされて」というのは、比喩としてはあり得るとしても、やはり正確な表現とは言えないでしょう。同記事の副題「生涯子どものままに」も同様。

Diekema医師は1月11日のCNNのインタビューと翌12日の「ラリー・キング・ライブ」で次のように述べています。

アシュリーはクラスメイトと同じレベルで成熟はしますよ。顔を見れば、年齢相応に年をとっていきますよ。別に外見を変えるためにやったことじゃないんです。本来なら伸びたであろう最終的な背よりも低くしただけです

「永遠に子どものままにしたわけじゃありません。15歳の時には15歳の外見、33歳になれば33歳の外見でしょう。生理がなくて胸が大きくならない。それ以外は(他の人と)同じように発達しますよ

このDiekema医師の発言に驚いた人もあるかもしれません。実は私も「あら?」と思った1人です。それまでは、私も「成長抑制」という言葉に引きずられて、成長そのものが止められてしまったようなイメージが先行していたので、ちょっと意表を突かれました。が、改めて処置の内容を冷静に振り返ってみると、確かにその通りなのです。背の伸びはストップしたけれど、アシュリーは年齢相応に成熟を続けるのです。ホルモン大量投与を通じて行われたのは、厳密に言えば、「成長抑制」というよりも、むしろ上記「3つのゴール」で両親が書いているように「最終身長の抑制」と呼ぶべきものです。

(「成長抑制」という表現には、医師らの論文でもともと定義されていないことなどの問題もあります。それについては「医師らの論文にはマヤカシがある その1」に。)

「何が行われたか」については、もう一つ、論争の中でよく見られた誤解がありました。摘出されたのは子宮だけで、卵巣は残されています。アシュリーには卵巣はあるので、普通の女性と同じようにホルモンは生成されます。そういう意味では、先のDiekema医師の言う「成熟」には女性としての成熟も含まれるのかもしれません。彼が「成熟」という言葉を使っているのは私の手元の資料ではここだけなので、ちょっと目を引かれるところです。

なお、乳房芽の摘出は何度も指摘したように論文の中では触れられていないので、詳細については両親のブログの説明しかありません。それによると、切除されたのはアーモンド大の皮下組織。その中には乳腺が含まれますが、乳輪と乳首はそのまま残されています。

以上が、当事者発言から私が確認した「アシュリーに行われたこと」の実際です。

このように行われたことの全体を把握し改めて冒頭に引いた両親の「ゴール」を見た場合に、科学的な正確さを別にすれば、ガーディアンの「生涯子どものままに」や「時の中にフリーズされて」という表現も、両親の動機という点では、本質をついた極めて鋭い比喩なのかもしれません。その点は、今後のエントリーでとりあげていく「なぜ」に繋がっていきます。
2007.06.11 / Top↑
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