「乳房芽」という言葉は、この件を巡って、まるで誰でも知っていて日常的に使われている言葉でもあるかのように使われていますが、本当のところ、どの程度広く認知された言葉なのでしょうか?
私は知りませんでした。この事件のニュースに触れるまで、見たことも聞いたこともない。名前はもちろん、乳房に「ここをとったら胸が大きくならない」という組織が存在するなんてこと自体、私はこの件が報道されるまで一度も聞いたことがありませんでした。
ステッドマンを引いてもbreast bud という項目はないし、breast という項目にある乳房の組織図の中にもそれらしきものはありません。
身近な医師(発達小児科医2人と内科医1人)に聞いてみたのですが、3人とも「聞いたことがない」との答え。その中の一人に詳しく調べてもらうよう頼んだところ、「mammary bud 乳腺芽という組織があるので、これのことではないか。乳房の発達は器官形成期に始まり、乳腺芽と乳管の原基が分化してできるらしい。理論的にはこの原基を取れば、乳房の発達や発ガンを抑えられるのかもしれないが、現実にそういう治療や予防がされているかどうかは分からない」という返事でした。
この件で広く流布している「乳房芽」という言葉は厳密に言えば「乳腺芽」の方が正確なようです。が、名前の違いはともかく、実際のところ、乳腺芽切除の前例についての文献や、乳腺芽を切除すれば乳房が大きくならない効果についてのデータ、それによってガン予防になるとのデータは、どのくらいあるものなのでしょうか。
たとえば医師がシンポで「こんなのはconventionalな医療なんだから」と一括して述べた際など、彼らが言うconventionalとは、ホルモンを投与するという処置そのもの、子宮摘出手術そのものが、医療行為としては通常いくらでも行われているものだと主張しているのでしょう。ここで問題になっているのは医療行為そのものではなく、その適用であるのに、彼らはまたも都合よく問題を摩り替えているわけです。
前に「まだある論文の”不思議“ オマケ」で指摘した、論文執筆者のホンネが語るに堕ちた箇所のリーズニングを、もしも極力親切に読み解いてあげるとしたら、「conventional な医療行為を、このようなunconventional で novelな用い方をしたのだから、これはcontroversial になるだろう」と考えて倫理委にかけた、ということだったのではないでしょうか。
一方、その論文執筆者ですらホッカムリした乳房芽の切除。こちらは逆に、その用い方を云々する以前の問題として、乳腺芽を切除するという医療行為そのものが、医療においてどの程度conventionalなのか。
乳房芽の切除とは、医療において一体どの程度認知された処置なのでしょうか。
追記: その後、このエントリーの内容については、新たな発見がありました。「医師らはやっぱり”乳房芽”なんか認めていなかった」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/8281753.html を参照してください。