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CNNの医療担当レポーターのSajay Gupta氏は
Dr. Deathこと Dr. Jack Kevorkianと同窓なんだとか。

それで、Michigan Medical SchoolのあるAnn Arborで会い、
一緒に母校を訪問して、キャンパスでインタビューを行った、と。

驚くのは、彼らが母校のキャンパスを歩いていると、
K医師に気付いた人々の中に、声をかけてくるのはともかく、
サインをもらいに来る人までいたこと。

(アンタら、有名人なら、誰でもええのんか……いや、
それとも医大には彼を尊敬したりヒーロー視する人がいるものなのか……)

インタビューでは弁護士がGupta氏の真後ろに立ち、
Guptaの正面に座ったK医師は、しばしば弁護士の方を見ながら答えている。

そして、Guptaの質問の大半を、
ただ聞き流したり、はぐらかしている。

6月28日にもHBOのドキュメンタリーが放送されるとのこと。
K医師自身はこのテレビ映画で一銭ももらっていないそうなのだけれど、
このインタビュー、やっぱりプロモの意味もあるのかもしれない。

Guptaが聞きたいことは何も語っていないのだけど、
必要以上にドラマチックに書かれている記事の描写から受けるのは、
Kevorkianという人は、なんてビターな人なんだろう……という印象。

この人、たぶん、人間が嫌いなんだな……
心の奥底に、何かに対する根深い憎しみを抱えている……?
なんか、そんな、ビターな感じ。

最初に投げかけられた質問をはぐらかして、K医師がいきなり問うのは
「私の人生の最悪の瞬間というやつが、分かるかね」
そして、その答えは「私が生まれた瞬間」。

大学で、かつてのクラスメートらの写真を眺めながら
「死んだ。死んだ。こいつも、こいつも、もう死んだ。
こいつは、私なんか監獄にぶち込まれてしまえと考えていたヤツだ」
「そんなことがあったんですか」
「いや、きっとそうだったに違いない、と、な」

医学部受験の際の面接で、医師になりたい理由については何と答えたかと聞かれると、
「相手が望む通りを答えてやったさ。人を癒したい、とか
医学をやりたいのは全ての職業の中で最も……そうだな、
ノーブルな(崇高な?)ものだから、とか言ったんだったな」
「医療はノーブルな職業ですか?」
「いいや。ちがう」

130人の自殺を幇助したというK医師は
それを安楽死とは呼ばず、patholysis と呼ぶ。

PatholysisとはK医師の造語で、
path  は、病気または苦しみ。lysis は、破壊。
したがって、patholysis とは「苦しみの破壊」。

彼は自分の裁判を通じて憲法修正9条について明確にしようとしたのだけれど、
最高裁が上訴を棄却したことをいまだに不満に思っている。

その辺りのことについて、
直接的に言葉を引用できないわけでもあったのか、
それとも実はさほどの内容がなかったのか、
Guptaが自分の理解を自分の言葉でまとめている。

I realized this was what he had building up to for some time. This wasn't just about assisted suicide; this was about upholding the ability for people to do whatever they wanted to do, without interference from doctors, the states or the federal government.

That the rights of the masses should not impede on the rights of a few. Someone once told me that was the "gist" of the Ninth Amendment, and it is something that has helped inform Dr. Jack Kevorkian's thinking and his life.



要するに、医師にも州や連邦政府にも、集団の権利にも侵されない
個人の自由、少数者の権利というものがあって、
それを保障しているのが修正9条だ、という主張であり、
自殺幇助の議論とは、K医師にとってはそういう権利の問題なのだ、という解釈。

私はKevorkian医師の裁判については、ほとんど知らないので、
この解釈の妥当性については、何とも言えない。

ただ、尊厳死の議論で「自然」を盾にとって安楽死を支持するのと同じ人たちが、
例えばAshley事件で「自然に反する」という批判に
「自然なんて意味のない概念だ」と突っぱねている人たちと
実は同じ人たちなんじゃないかと私は密かに疑っているのと同じ意味で、

「個人の自由」とか「自己選択権」「自己決定権」についても
同じ人が問題によって都合よく信奉したり、あるいは否定したり、と
ダブルスタンダードで使い分けているんじゃないかと
ここでも、なんとなく眉に唾をつけたくなってしまう。

Kevorkian: ‘I have no regrets’
Dr. Sanjay Gupt, CNN, June 14, 2010


このインタビュー、できればGupta以外の人にやってほしかった。

前から、あまり好きではなかったけど、
2007年1月の“Ashley療法”論争の際に
CNNのサイト内の自分のブログ Paging Dr. Guptaの1月5日のエントリーで
次のように問いかけて終わっているのを見た瞬間に「ダメだ、こいつは……」と、
思わず、つぶやいて以来、個人的に評価がものすごく低い。

「皆さんはどう思いますか?
Ashleyがあなたの娘だったら、あなたはどうしますか?」

医療職ではないメディア人が問うならまだしも、
仮にも医師なら、これが医療倫理のまっとうな問いの立て方かどうか、
これは、そういう問題ではないことくらい分かるはず。

もちろん、メディアやゼニに魂や良心を売っぱらった医師は
Guptaだけじゃないし、米国だけの話でもないけど、

このKevorkian医師のインタビュー記事の書き方にも、
「Ashleyがあなたの娘だったら、あなたはどうしますか?」と同じ、
紋切り型で皮相的なところが鼻につく。



【追記】
一旦アップした後で、以下の関連エントリーを追加していて気付いたのですが、
K医師は4月には「PASは医療の問題。法律は関係ない」と語っています。

ここでは「医師にも政府にも口出しできない個人の法的権利」と言っているのだとしたら、
その整合性は……?

それとも、やっぱり文脈と場面によるご都合主義の使い分け?


【関連エントリー】
自殺幇助のKevorkian医師、下院出馬の意向(2008/3/14)
アル・パチーノ主演でKevorkian医師の伝記映画作成か(2009/5/27)
Dr. Deathをヒーローに祭り上げ、シャイボさんをヘイトスピーチで笑い物にするハリウッド(2010/3/25)
FENが「Kevorkian医師の半生記映画見て“死ぬ権利”考えよう」(2010/4/22)
Kevorkian医師「PASは医療の問題。政治も法律も関係ない」(2010/4/26)
2010.06.17 / Top↑
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