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銃を所持している患者が重症の精神疾患を発症し、
本人や他者への危険があると判断した際には、
本人の同意をとることなく、患者への守秘義務を侵して警察に連絡することを
英国のGPが申し合わせた。

カルテに目印をつけることで銃を所持している患者を判別する。

公共の安全という利益が患者に対する守秘義務よりも優先するとの判断は
英国医師会の倫理委員会によって承認された、とのこと。

英国医師会は
「ただし、銃を所持している患者個々が自分や他人を傷つけるリスクを監督せよと
 警察が医師に求めるなら、医師会としては、それは警察長官の責任だと考える」

2008年8月にChristopher Fosterが妻と娘を銃殺し、
自宅に火を放って自殺した事件で、FosterがGPに自殺したいと話していたことから、
その事件の後、警察が医師会に検討を求めていたもの。

医師の中から出ていた懸念の声としては
そんなことをすると銃を持っている患者が健康を害しても受診しなくなるという点と、
患者に対する守秘は不可侵の義務であるとの点。

また、患者の乱射事件で被害者が出た時に医師が責められるのではないか、とか
適切なアセスメントの時間も研修もない、とか。

さらに警察からは
医師らのカルテの管理がどこまで厳重に行われるのか、
それによっては、カルテに印をつけることで
銃の所有者情報が犯罪者に流れやすくなるとの問題の指摘や、

銃所有ライセンスを取り消す権限が医師に移行するわけではなく、
あくまでもその権限は警察にあると確認する声も。

しかし、英国では今月初め、
英国カンブリア州で銃乱射 12人死亡 25人負傷という事件があり、
カルテに印をつけるという検討中の案が俄かにクローズアップされることとなったもの。

しかしカンブリア事件の詳細は、これからの捜査によって明らかにされるところで
自殺した犯人のBird容疑者に精神障害があったとの事実は確認されていない、と
The British Association for Shooting and Conservationは
今回の決定に一定のメリットは認めつつも、
事件の詳細を待つべきだ、と主張。

同協会のSimon Clarke氏は
「治療の必要があるのにライセンス取り消しを恐れて
受診しなくなる会員が出ては困るが、

メンタル・ヘルスに問題があるというだけで取り消しというのが
デフォルトになってしまうと、そういうことが起こる」。

現在、銃器ライセンスの担当部局 the Acpo と、英国医師会、内務省その他の関連部署が
協力体制づくりを進めている。

The Acpoの責任者は
「情報の共有について大筋の合意はできて、
現在テクニカルな詳細の詰めが進んでいるところ。
今の段階でこれ以上のことを話すのは時期尚早であり、
その他の変更も含め、英国の銃器ランセンスのあり方について今後議論されるだろう」と。

英国の銃所有許可の有効期間は5年。
申請者はライセンスに関わる健康問題を申告し、
健康問題について警察が医師に問い合わせることに同意しなければならない。

GPs agree to waive privacy of mentally ill gun owners
The Guardian, June 14, 2010


不思議なことに、記事のどこにも
「誰のカルテに印をつけるかの情報はどのようにGPに提供されるのか」については
書かれていませんが、大筋合意された「情報の共有」がそれに当たるのでしょう。

ざっと、頭に浮かんだ疑問は

① 精神科医ではなくGPが
どれほど正確に患者のメンタルヘルスと公安リスクを判断できるのか。

② GPから警察に通報されたら患者はどうなるのか。
警察によって監視されるのか。
それは本人に知らされるのか。
ライセンスを取り消されるのか。

③ こういう合意をした以上、事件が起きた時には
結果論でGPの判断ミスが責められるのは必定。
そうすれば、GPの意識としては自分が責任を問われないために
リスクを高く見積もり、早めに警察に連絡することになっていくのでは?
そして、目の前の患者の治療よりも、社会のリスク管理機能へと、
GPの診察行為の意味が少しずつ変わっていくのでは?

④ 警察や英国医師会の判断では、
「公共の安全」vs 「患者に対する医師の守秘義務」という構図で
問題が提示されているけど、実際には、これは
患者に対する医師の守秘義務とは無関係な、
「英国の銃規制のあり方の問題」ではないのか。

⑤ 「公益が医師の患者に対する義務よりも優先」という論理が
まかり通っていくなら、今後こういう動向は他にも広がって行くのでは?

    ――――

実は、英国政府は去年、狂牛病感染者数を把握するために、
法医学者らに解剖の際に調べてくれるように要望し、断られています。

その時の記事を拾った去年8月19日の補遺で
私は以下のように書きました。

これ、地味な記事だけど、昨今どんどんビッグ・ブラザー社会化している英国では、
とても今日的に本質的で重要な問題を含んでいると思う。

狂牛病が ひそかに蔓延して、実は多くの人が知らず知らずにかかっている恐れがあるため、
どれくらいの人が目立った症状がないまま感染しているかを調べる唯一の方法 として、
英国政府は法医学者らが解剖の際に調べてくれることを望んでいるのだけれど、

解剖は死因の特定のために行うものであり、
その際に研究への協力を遺族に求めることになると、
本来の法医学者の立場の中立性が失われ、仕事への信頼を失う、と法医学者らは反発。

その反発にエールを。

でも、 “科学とテクノで何でも予防、なんでも簡単解決万歳”の文化からは
「法医学の中立性と信頼という利益と、
狂牛病蔓延の実態が把握できないままに放置される害やリスクを検討すれば、
法医学の中立性がなんぼのもんじゃい」的な反論が出てきたって、もう、たぶん驚かない。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8207034.stm



今回は、まさに、この時の私の予測通りの論理が登場してきたぞ……という話。
その論理には確かにもう驚かないけど、

英国医師会がそれに易々と追随してしまったということには、ちょっと驚く。


Ashley事件しかり。
貧困層や障害者に対する強制不妊しかり。
医師による自殺幇助合法化しかり。
ゲイツ財団などがやっている途上国でのワクチンと避妊による貧困対策しかり。

社会の問題を社会の問題として、その原因に対処して解決を図るのではなく、
社会の原因を放置したまま、個々に表れてくる結果のところだけで
医療によって簡単に解決して済ませてしまおうという動きが
強まってきているような気がする。

それは、科学とテクノによってできることが増えて、
それだけ科学とテクノによる簡単解決文化がはびこってきたということなのだろうけど、

原因よりも結果のところで簡単解決を図ることのポテンシャルを
統治する権力の側が科学とテクノに期待することと
我々統治される側の一般人までが一緒になって
科学とテクノによる簡単解決万歳文化に浮かれ騒ぐこととは
まるで質の違う話だということが、もっと意識されるべきなんじゃないだろうか。

科学とテクノの分野の人たちにも、
ビッグ・ブラザー管理に組みし、権力による統治の手先となることに対して
もうちょっと敏感であってほしい気がする。

英語圏における生命倫理の絡んだ議論で、
医師が患者の側から、患者を差別・疎外・排除する社会の側へと
どんどん立ち位置を移しつつあると思われることに、
医師自身がもっと問題意識を持つべきじゃないだろうか。

もちろん、Ashley事件でも自殺幇助議論でも、
ヒポクラテスのDo not harm. を言う医師はいるのだけれど、

……あ、でも……もしかして、

そういう簡単解決を実現するポテンシャルを持っている自分たちこそが
権力の“手先”ではなく、権力そのものなのだ……と勘違いしているのが
Bill Gatesやthe Singularity Univ. を作ったトランスヒューマニストたちなのか……?



なお、ビッグ・ブラザー社会化する英国の実態については
こちらのエントリーなどに。
2010.06.17 / Top↑
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