6月7日のケアラー(家族など無償の介護者)連盟の発足集会で読み上げられたもの。
わたくしたちの社会には、暮らしていくのに介護が必要な人がいます。障害を持つ人や病気やけがで療養中の人、支えが必要な高齢者などです。
そして、身体的・精神的・経済的な不安を抱え、将来の見通しを持てないまま、その人たちの介護をしている人がいます。
介護をしている人のなかには子どもや若者もいます。家庭や仕事に責任のある世代の人もいます。ゆとりある時間が持てるはずのない高齢者や、自分の身の回りを保つことで精いっぱいの超高齢者もいます。中には介護のためにやむなく仕事を辞めたり、学業をあきらめる介護者もいます。
介護者が自身の現在の生活や将来の人生を犠牲にしなければならないいような介護が、ほんとうによい介護なのでしょうか? 介護を必要としている人は、自分のために、介護者が人生を犠牲にしてくれることを望んでいるでしょうか。
だれもが「尊厳ある個人」として、その生き方を自己決定する「権利」を持っています。身体的・精神的。経済的な負担のすべてを介護者自身に背負わせてきた社会を変えなければなりません。
病気や障害ごとの縦割り介護を横につないで、介護をしている人、介護者を心配し何か役に立ちたいと考えている友人や隣人、介護者の抱える問題を社会的に解決しようという志をもつ市民、専門家が「ケアラー」として手をつなぐことは、現在の介護者の支援だけでなく、将来、介護者になるかもしれないすべての人々の未来に希望をもたらすはずです。
介護を必要としている人も介護者も、共に自分の人生の主人公になれる強制の社会をつくることを目指して、「ケアラー(家族など無償の介護者)連盟」をここに宣言します。
2010年6月7日
ケアラー連盟設立よびかけ人一同