これで日本でもAshley事件について広く知ってもらえると思うと本当に嬉しい。
ずっと待っていました。立岩先生、堀田さん、ありがとうございます。
ずっと待っていました。立岩先生、堀田さん、ありがとうございます。
これまで拙ブログでもリンク集という形で
時系列のテーマごとに資料をまとめる作業をぼつぼつと続けてきており、
次は手元の論文資料のリストを作ろうと考えていたところでした。
時系列のテーマごとに資料をまとめる作業をぼつぼつと続けてきており、
次は手元の論文資料のリストを作ろうと考えていたところでした。
堀田さんが今の段階でもかなりの数の論文を拾ってくださっているので、
私もこのページを拙ブログのリンク集の中に挙げさせてもらい、便乗させてもらいました。
私もこのページを拙ブログのリンク集の中に挙げさせてもらい、便乗させてもらいました。
拙ブログのリンク集一覧はこちら。
arsviのAshley事件ページの論文を見ても、
探したり頂いたりして拙ブログで読んできた論文を振り返っても、
Ashley事件に関連して実に多くの論文が書かれていることに改めて驚きます。
探したり頂いたりして拙ブログで読んできた論文を振り返っても、
Ashley事件に関連して実に多くの論文が書かれていることに改めて驚きます。
それだけ大きな論争だし、いまだに続いてもいるわけですが、
こうした数々の論文で“Ashley療法”の是非や倫理性について考えようとされる方々に
ひとつだけ、知っておいてもらいたいことがあります。
こうした数々の論文で“Ashley療法”の是非や倫理性について考えようとされる方々に
ひとつだけ、知っておいてもらいたいことがあります。
それは、
この事件の本質は、本当は、この療法の倫理問題にはない、ということ。
この事件の本質は、本当は、この療法の倫理問題にはない、ということ。
当ブログで詳細に検証してきたように、
担当医らが嘘やマヤカシを重ねて巧妙な隠蔽工作をしてきたことそのものが
“Ashley療法”の倫理性について我々と彼らの認識が実は同じであることを物語っています。
担当医らが嘘やマヤカシを重ねて巧妙な隠蔽工作をしてきたことそのものが
“Ashley療法”の倫理性について我々と彼らの認識が実は同じであることを物語っています。
当初は担当医への懲罰も視野に調査に入ると言っていた州当局や
明らかにAshleyの父親が何者であるかを最初から知っていたメディアや
どう考えても真実を知りながら取引してしまったとしか思えないWPASが
本来の社会の“番犬”としての仕事をまっとうしていれば、
明らかにAshleyの父親が何者であるかを最初から知っていたメディアや
どう考えても真実を知りながら取引してしまったとしか思えないWPASが
本来の社会の“番犬”としての仕事をまっとうしていれば、
この事件は、非常に特殊な状況下で起こった単なる「例外」に過ぎず、
こんなにも不幸な「前例」にはならずに済んだはずなのに、
こんなにも不幸な「前例」にはならずに済んだはずなのに、
事態がそう推移しなかったために、
隠蔽工作でしかない医師らの議論に引きずり込まれて
療法の倫理性を議論せざるを得ない状況が延々と続いている。
隠蔽工作でしかない医師らの議論に引きずり込まれて
療法の倫理性を議論せざるを得ない状況が延々と続いている。
そこには実にタチの悪いジレンマがあります。
倫理問題があることを承知でやった担当医らの正当化の茶番に付き合わされて
この「例外」ケースを「前例」として扱わざるを得ない現状は
議論されればされるだけ「特殊な例外」を一般化してしまい、
このケースを実際に「前例」として強固に塗り固めてしまうからです。
この「例外」ケースを「前例」として扱わざるを得ない現状は
議論されればされるだけ「特殊な例外」を一般化してしまい、
このケースを実際に「前例」として強固に塗り固めてしまうからです。
議論されればされるほど、
医療関係者や一般の人たちが「重症児の成長抑制」という考えになじみ、
抵抗感・違和感を薄れさせていくからです。
医療関係者や一般の人たちが「重症児の成長抑制」という考えになじみ、
抵抗感・違和感を薄れさせていくからです。
それによって、さらに批判する必要が生じて、
またも議論が長引く……という悪循環もあります。
またも議論が長引く……という悪循環もあります。
でも本当は、この事件の一番恐ろしい本質とは、
行政も、メディアも、障害者の人権擁護団体ですらが
強大な権力の前にしかるべく機能できなかった事実なのではないでしょうか?
行政も、メディアも、障害者の人権擁護団体ですらが
強大な権力の前にしかるべく機能できなかった事実なのではないでしょうか?
障害者の側に立って研究してきた人や活動してきた人たちまでが
この事件の真実に気づくや、口を閉ざし、いつのまにか論争から脱落していきます。
この事件の真実に気づくや、口を閉ざし、いつのまにか論争から脱落していきます。
その強大な権力が
科学とテクノの簡単解決文化・功利主義の切捨て医療の価値観と結びついている今の世に、
Ashley事件を通して見えてくる最も恐ろしい真実というのは、そっちの方だと
私は当初の論争当時から、ずっと思うのです。
科学とテクノの簡単解決文化・功利主義の切捨て医療の価値観と結びついている今の世に、
Ashley事件を通して見えてくる最も恐ろしい真実というのは、そっちの方だと
私は当初の論争当時から、ずっと思うのです。
あ、もちろん、これらはすべて、当ブログの「仮説」が当たっていたら……の話ですけど。
2010.01.07 / Top↑
| Home |