昨日の補遺で簡単に拾ったカナダの「無益な治療」訴訟。
(Londonというので英国だとばかり思い込んでいて、
niniさんのご指摘でカナダだと気付き、補遺も訂正しました)
なにより大事なこととして、
今の段階でJoseph君はまだ生きている(!)のではないかと思えます。
ほっとしました。
とはいえ、事態は深刻で、
いくつかの記事から事実関係を取りまとめてみると、
重症の神経障害としか書かれていないので具体的な病名は不明ですが、
(姉が同じ病気で亡くなっているので遺伝性の神経疾患かも?)
カナダ、オンタリオ州在住のJoseph Maraachi君(1歳)は、
昨年10月にVictoria 病院(London Health Science Center? ちょっとここ混乱)に入院、
その後、脳機能が低下して自力呼吸ができなり、人工呼吸器を装着。
医師らは、Joseph君は回復の見込みのない永続的植物状態にあるとして
人工呼吸器の取り外しを求めたが、
自分たちが声をかけたり触れると反応があると主張する両親が同意しなかったため、
病院はOntario州のthe Consent and Capacity Board (同意・同意能力委員会?)に提訴。
同委員会はthe Health Care Consent Act (医療同意法)を根拠法とする独立機関。
1月26日に同委員会は医師らの判断を支持し、
これを不服とする両親がオンタリオ高等裁判所に上訴していた。
両親は同時に、
それなら家に連れて帰って死なせてやりたいので気管切開をしてほしいと要望したが、
医師らは「リスクが大きすぎる」と却下。
先週、判事が涙ながらに病院の訴えを認める判決を下し、
21日月曜日の午前10時を期限に呼吸器の取り外しが決められた。
病院は21日に取り外しのための手続きに入ったものの、
オンタリオ州の Public Guardian と Trustee の同意をとる事務手続きに日数がかかるため、
(彼らは判決に応じて行動するので決定が覆ることはなく、あくまで事務手続きのようです)
両親と支持者らは、その間に希望をつなぎ、
Joseph君が去年治療を受けた米国ミシガン州デトロイトの病院や
Windsor市内の病院に転院を打診。
両親の求めでLHSCからも医療情報がデトロイトに送られたが
LHSCを通じてのデトロイトの病院の回答は、転院要望をしないように、というものだった。
報道でカナダ中の注目を集めているため、病院はNICUの警備を強化し
両親がそれに神経をとがらせて感情的な対立が激化している様子。
7歳の兄にも精神的に影響が大きく、
登校できず、食慾も低下して、食べても嘔吐している、とも。
Euthanasia Prevention CoalitonのShadenberg氏が家族を支援しており、
「これは安楽死ではなく、終末期の意思決定権が誰にあるかという問題」と
病院の権限が大きくなることに警告を発している。
Windsor couple’s appeal dismissed to bring baby home
Euthanasia Prevention Coalition, February 17, 2011/02/24
Windsor parents’ appeal to bring dying baby home from London hospital dismissed
The Windsor Star, February 18,, 2011
Baby Joseph’s fate in doubt
The Toronto Sun, February 21, 2011/02/24
Father of dying baby says hospital treating him like a criminal
Leader-Post, February 22, 2011
No Detroit transfer for Baby Joseph
Ifpress, February 23, 2011
当ブログが拾った09年10月段階の「無益な治療」事件一覧はこちら。
その後、Isaia事件、Baby RB事件、Betancourt事件。
もちろん私は学者でも研究者でもないので、断言はできませんが、
これまでの「無益な治療」訴訟では裁判所は時間をかけて審理する慎重姿勢で、
その間の当面は治療続行を命じるということが続いていたので、
(また、その間に亡くなるケースが多いという印象)
両サイドの弁護士の弁論を聞いて1時間後に
病院側の主張を認める判決というのに、ショック……。
この事件は、一つの転換点になるのかなぁ……。
それにしても、
Ashley事件での医師らの正当化でも、いつも思うのですが、
呼吸器をつけていれば生きていられる子どもを死なせようとしている医師らが
気管切開は「リスクが大きすぎる」と拒否する、ダブル・スタンダード――。
どうせ生後数カ月の赤ちゃんと同じ重症児のAshleyには
自分が尊厳のない扱いを受けていることなど分からないのだから
やってもいい、と身体の侵襲を正当化する医師らが
子宮摘出の正当化となると、
血を見て怯えた経験のあるAshleyに生理は精神的なトラウマになる、と
平然と主張する、ダブル・スタンダード――。
それとも、気管切開が「リスクが大きすぎる」というのは、
連れて帰ると親が自己選択したのだから、
その後のケアについては自分たちは知らないぞ、だから
医療職の支援なしに切開した子どもを連れて帰ることには
医療職のいる病院で呼吸器を外して死なせるよりも
はるかに大きなリスクがあるぞ……という意味なんだろうか。
その場合、その「知らないぞ」のニュアンスは、
一体どういうものなんだろう……?
それとも、「つれて帰るのだったら、もちろん支援はするけど、
それでもリスクが大きすぎる」という意味なんだろうか。
でも、それなら、最初から呼吸器取り外しの話が出てくる前に
そういう話が両親に対してあるはずだろうし……。
―――――――
カナダに関して、私がずっと気になっているのは、
09年のKaylee事件で、「無益な治療」論が「臓器提供」と簡単に結びついたこと。
表に出たのはKaylee事件よりも後ですが、
実際の事件としては2005年に起きていたAnnie Farlow事件では、
親の知らないうちに病院側が勝手にDNR(蘇生拒否)指定にしていました。
これも病院側の独断専行的「無益な治療」決定でしょう。
この2つの事件が起きたのは同じ子ども病院なので、
もしかしたら、この病院特有の文化のような側面もあるのかもしれないと
私はどこかで留保していたところもあるのですが、
(遺伝子診断でも臓器移植でも弱者切り捨てでも人体改造でも、もしかして
「子ども病院」というのは規定路線の旗振り役が使命なんでしょうか……?)
今回のニュースを見ると、そういう問題ではなく、
カナダの医療そのものがそういう方向に動いているということのようにも思えます。
医療同意法がどういうものなのか、
特に家族と病院の意見の対立があった場合の手続きについてどうなっているのか、
日本でも子どもの終末期の議論が進行しているだけに、気になります。
(下の方のブログを読むと行間から妄想が膨らみます。妄想ならいいのですが)
重篤な疾患を持つ子どもの治療方針決定のあり方の公開フォーラム(2月26日)
NICUサポートプロジェクト, 2011/2/23
別に治療を止めろと強制しているわけじゃないんだよ
こどものおいしゃさん日記、2011/2/23
こうした動向に「ポストヒポクラテスの医療」と
うまい名付け方をした人が去年あり ↓
「ポスト・ヒポクラテス医療」の「無益な治療」論ではDNR指定まで病院に?(2010/6/19)
この記事でも「北米の病院では担当医の判断でDNRにされている」との指摘で、
カナダと米国を指しています。
米国の無益な治療法については、最近知ったことをこちらに ↓
生命維持の中止まで免罪する「無益な治療法」はTXのみ(2011/1/21)
(Londonというので英国だとばかり思い込んでいて、
niniさんのご指摘でカナダだと気付き、補遺も訂正しました)
なにより大事なこととして、
今の段階でJoseph君はまだ生きている(!)のではないかと思えます。
ほっとしました。
とはいえ、事態は深刻で、
いくつかの記事から事実関係を取りまとめてみると、
重症の神経障害としか書かれていないので具体的な病名は不明ですが、
(姉が同じ病気で亡くなっているので遺伝性の神経疾患かも?)
カナダ、オンタリオ州在住のJoseph Maraachi君(1歳)は、
昨年10月にVictoria 病院(London Health Science Center? ちょっとここ混乱)に入院、
その後、脳機能が低下して自力呼吸ができなり、人工呼吸器を装着。
医師らは、Joseph君は回復の見込みのない永続的植物状態にあるとして
人工呼吸器の取り外しを求めたが、
自分たちが声をかけたり触れると反応があると主張する両親が同意しなかったため、
病院はOntario州のthe Consent and Capacity Board (同意・同意能力委員会?)に提訴。
同委員会はthe Health Care Consent Act (医療同意法)を根拠法とする独立機関。
1月26日に同委員会は医師らの判断を支持し、
これを不服とする両親がオンタリオ高等裁判所に上訴していた。
両親は同時に、
それなら家に連れて帰って死なせてやりたいので気管切開をしてほしいと要望したが、
医師らは「リスクが大きすぎる」と却下。
先週、判事が涙ながらに病院の訴えを認める判決を下し、
21日月曜日の午前10時を期限に呼吸器の取り外しが決められた。
病院は21日に取り外しのための手続きに入ったものの、
オンタリオ州の Public Guardian と Trustee の同意をとる事務手続きに日数がかかるため、
(彼らは判決に応じて行動するので決定が覆ることはなく、あくまで事務手続きのようです)
両親と支持者らは、その間に希望をつなぎ、
Joseph君が去年治療を受けた米国ミシガン州デトロイトの病院や
Windsor市内の病院に転院を打診。
両親の求めでLHSCからも医療情報がデトロイトに送られたが
LHSCを通じてのデトロイトの病院の回答は、転院要望をしないように、というものだった。
報道でカナダ中の注目を集めているため、病院はNICUの警備を強化し
両親がそれに神経をとがらせて感情的な対立が激化している様子。
7歳の兄にも精神的に影響が大きく、
登校できず、食慾も低下して、食べても嘔吐している、とも。
Euthanasia Prevention CoalitonのShadenberg氏が家族を支援しており、
「これは安楽死ではなく、終末期の意思決定権が誰にあるかという問題」と
病院の権限が大きくなることに警告を発している。
Windsor couple’s appeal dismissed to bring baby home
Euthanasia Prevention Coalition, February 17, 2011/02/24
Windsor parents’ appeal to bring dying baby home from London hospital dismissed
The Windsor Star, February 18,, 2011
Baby Joseph’s fate in doubt
The Toronto Sun, February 21, 2011/02/24
Father of dying baby says hospital treating him like a criminal
Leader-Post, February 22, 2011
No Detroit transfer for Baby Joseph
Ifpress, February 23, 2011
当ブログが拾った09年10月段階の「無益な治療」事件一覧はこちら。
その後、Isaia事件、Baby RB事件、Betancourt事件。
もちろん私は学者でも研究者でもないので、断言はできませんが、
これまでの「無益な治療」訴訟では裁判所は時間をかけて審理する慎重姿勢で、
その間の当面は治療続行を命じるということが続いていたので、
(また、その間に亡くなるケースが多いという印象)
両サイドの弁護士の弁論を聞いて1時間後に
病院側の主張を認める判決というのに、ショック……。
この事件は、一つの転換点になるのかなぁ……。
それにしても、
Ashley事件での医師らの正当化でも、いつも思うのですが、
呼吸器をつけていれば生きていられる子どもを死なせようとしている医師らが
気管切開は「リスクが大きすぎる」と拒否する、ダブル・スタンダード――。
どうせ生後数カ月の赤ちゃんと同じ重症児のAshleyには
自分が尊厳のない扱いを受けていることなど分からないのだから
やってもいい、と身体の侵襲を正当化する医師らが
子宮摘出の正当化となると、
血を見て怯えた経験のあるAshleyに生理は精神的なトラウマになる、と
平然と主張する、ダブル・スタンダード――。
それとも、気管切開が「リスクが大きすぎる」というのは、
連れて帰ると親が自己選択したのだから、
その後のケアについては自分たちは知らないぞ、だから
医療職の支援なしに切開した子どもを連れて帰ることには
医療職のいる病院で呼吸器を外して死なせるよりも
はるかに大きなリスクがあるぞ……という意味なんだろうか。
その場合、その「知らないぞ」のニュアンスは、
一体どういうものなんだろう……?
それとも、「つれて帰るのだったら、もちろん支援はするけど、
それでもリスクが大きすぎる」という意味なんだろうか。
でも、それなら、最初から呼吸器取り外しの話が出てくる前に
そういう話が両親に対してあるはずだろうし……。
―――――――
カナダに関して、私がずっと気になっているのは、
09年のKaylee事件で、「無益な治療」論が「臓器提供」と簡単に結びついたこと。
表に出たのはKaylee事件よりも後ですが、
実際の事件としては2005年に起きていたAnnie Farlow事件では、
親の知らないうちに病院側が勝手にDNR(蘇生拒否)指定にしていました。
これも病院側の独断専行的「無益な治療」決定でしょう。
この2つの事件が起きたのは同じ子ども病院なので、
もしかしたら、この病院特有の文化のような側面もあるのかもしれないと
私はどこかで留保していたところもあるのですが、
(遺伝子診断でも臓器移植でも弱者切り捨てでも人体改造でも、もしかして
「子ども病院」というのは規定路線の旗振り役が使命なんでしょうか……?)
今回のニュースを見ると、そういう問題ではなく、
カナダの医療そのものがそういう方向に動いているということのようにも思えます。
医療同意法がどういうものなのか、
特に家族と病院の意見の対立があった場合の手続きについてどうなっているのか、
日本でも子どもの終末期の議論が進行しているだけに、気になります。
(下の方のブログを読むと行間から妄想が膨らみます。妄想ならいいのですが)
重篤な疾患を持つ子どもの治療方針決定のあり方の公開フォーラム(2月26日)
NICUサポートプロジェクト, 2011/2/23
別に治療を止めろと強制しているわけじゃないんだよ
こどものおいしゃさん日記、2011/2/23
こうした動向に「ポストヒポクラテスの医療」と
うまい名付け方をした人が去年あり ↓
「ポスト・ヒポクラテス医療」の「無益な治療」論ではDNR指定まで病院に?(2010/6/19)
この記事でも「北米の病院では担当医の判断でDNRにされている」との指摘で、
カナダと米国を指しています。
米国の無益な治療法については、最近知ったことをこちらに ↓
生命維持の中止まで免罪する「無益な治療法」はTXのみ(2011/1/21)
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