去年、この人がSavulescuと書いた「臓器提供安楽死」論文については、↓
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
この人が先月、Savulescuと一緒に発表した「ICUでの無益な治療は一方的に停止」論文については、↓
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
この人とは、
Savu と同じくオックスフォード大学ウエヒロ実践倫理センター所属の Dominic Wilkinson。
彼は先月、単独でもAmerican Journal of Bioethics誌に
トンデモな論文を発表していました。
障害のある新生児の場合は
「無益な治療」でなくても、将来のQOLがさほど低くなくて、たとえ「生きるに値する命」だとしても、
医師と親とで死なせる決断をしても許される場合がある、と主張。
アブストラクトは
When is it permissible to allow a newborn infant to die on the basis of their future quality of life? The prevailing official view is that treatment may be withdrawn only if the burdens in an infant's future life outweigh the benefits. In this paper I outline and defend an alternative view. On the Threshold View, treatment may be withdrawn from infants if their future well-being is below a threshold that is close to, but above the zero-point of well-being. I present four arguments in favor of the Threshold View, and identify and respond to several counterarguments. I conclude that it is justifiable in some circumstances for parents and doctors to decide to allow an infant to die even though the infant's life would be worth living. The Threshold View provides a justification for treatment decisions that is more consistent, more robust, and potentially more practical than the standard view.
彼が提唱しているのは、the Threshold View という理論で、
threshold というのは「出入り口付近」のこと。
ここを超えたら治療の差し控えと中止を認めましょうというラインがあるとして、
Wilkinsonは、そのラインだけじゃなくて、その「ラインのあたり」というふうに
対象児を「その“辺り”になんとなく広げていきましょう」と言っているわけですね。
アブストラクトには書かれていませんが、
タイトルに A life worth giving? (与えるに値する命?)という文言があるので、
去年から Wilkinson が Savu と連発している論文の流れから考えても、
「正当化できる場合がある」とは「臓器を与えるなら、それは与えるに値する命」ということでは?
もしかしたら、「死なせて”与えるに値する命”にしてあげよう」なのかも?
A life worth giving? The threshold for permissible withdrawal of life support from disabled newborn infants
Dominic J. Wilkinson
Am J Bioeth. 2011 Feb;11(2):20-32
この論文にヒットした時に、
「無益な治療」関連で気になる論文をいくつか見つけたので、
次のエントリーにメモとしてリンクまとめてみました。
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
この人が先月、Savulescuと一緒に発表した「ICUでの無益な治療は一方的に停止」論文については、↓
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
この人とは、
Savu と同じくオックスフォード大学ウエヒロ実践倫理センター所属の Dominic Wilkinson。
彼は先月、単独でもAmerican Journal of Bioethics誌に
トンデモな論文を発表していました。
障害のある新生児の場合は
「無益な治療」でなくても、将来のQOLがさほど低くなくて、たとえ「生きるに値する命」だとしても、
医師と親とで死なせる決断をしても許される場合がある、と主張。
アブストラクトは
When is it permissible to allow a newborn infant to die on the basis of their future quality of life? The prevailing official view is that treatment may be withdrawn only if the burdens in an infant's future life outweigh the benefits. In this paper I outline and defend an alternative view. On the Threshold View, treatment may be withdrawn from infants if their future well-being is below a threshold that is close to, but above the zero-point of well-being. I present four arguments in favor of the Threshold View, and identify and respond to several counterarguments. I conclude that it is justifiable in some circumstances for parents and doctors to decide to allow an infant to die even though the infant's life would be worth living. The Threshold View provides a justification for treatment decisions that is more consistent, more robust, and potentially more practical than the standard view.
彼が提唱しているのは、the Threshold View という理論で、
threshold というのは「出入り口付近」のこと。
ここを超えたら治療の差し控えと中止を認めましょうというラインがあるとして、
Wilkinsonは、そのラインだけじゃなくて、その「ラインのあたり」というふうに
対象児を「その“辺り”になんとなく広げていきましょう」と言っているわけですね。
アブストラクトには書かれていませんが、
タイトルに A life worth giving? (与えるに値する命?)という文言があるので、
去年から Wilkinson が Savu と連発している論文の流れから考えても、
「正当化できる場合がある」とは「臓器を与えるなら、それは与えるに値する命」ということでは?
もしかしたら、「死なせて”与えるに値する命”にしてあげよう」なのかも?
A life worth giving? The threshold for permissible withdrawal of life support from disabled newborn infants
Dominic J. Wilkinson
Am J Bioeth. 2011 Feb;11(2):20-32
この論文にヒットした時に、
「無益な治療」関連で気になる論文をいくつか見つけたので、
次のエントリーにメモとしてリンクまとめてみました。
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