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「介護保険情報」に隔月で椋とんびさんが書く「とんびの目」という書評があって、
独特のしなやかな視点を楽しませてもらっている。

12月号の「とんびの目」で
もう私のことはわからないのだけど」という本が紹介されている。
著者は姫野カオルコさん。

家族を介護している人の、いわく言いがたい気持ちの陰影が
いろんな介護者の境遇やキャラクターに託して書かれている作品のように思えたので、
さっそく図書館に行ってゲットしてきた。

書かれているのは13人の介護者の独り語り。
すべてフィクション。

抜き差しならないところまで追い詰められている介護者というのではなく、
まぁ、なんとか多少は余裕を持って介護を続けていられる状況にある介護者たち。

そういう人たちが、短く、数行ごとに、ポツリ、ポツリと語る言葉が
ものすごく抑圧されたところから搾り出されて、並んでいる。

1行の言葉に涙が出そうになる。
その言葉を語っている人の目つきがありありと見えてくる。
1行の言葉にホラーのような寒気を覚える。

事情ってもんが各家庭にはあるんだってことを、何ひとつ想像してみようともせずに、無神経な単純さで「お母さんのこと、大切にしてあげて」「家族ってあたたかい絆よ」なんて言う偽善者たち。
(p.88)

大事に、大事に。
日本全国の人がそう言います。
みんなです。
みんな、みんな、言う。

みんなは、きついです。
押し寄せて来る。
みんなの波がきついです。
(p.37-8)

だってね、事情ってね、いっぱいあるからさ。
いろんな事情があるから。
地球上の人のぶん、ある。
ものすごい数の事情があるんだよ。
(p.12)

同窓会、するんだったら、教えて。
どこでするのか教えて。

…… (略) ……

欠席だけどね。
欠席するんだけどね。

…… (略) ……

同窓会、するんだったら、教えて。
なにかするんだったら、するんだよって言って。
誘って。
(P.2-6)


読んでいて、
たぶん、文学の言葉でしか表現できないものって、あるんだろうなぁ……と思った。

そして同時に、
科学とテクノの論理だけで、ものごとを、
ばっさばっさと簡単に片付けてしまう人たちが語る言葉に
決定的に欠落しているものって、あるんだろうなぁ……と、ぼんやりと思った。

(そういえば、トランスヒューマニストって、文学には一切触れないよね……)

で、その欠落している部分というのが、
実は人間の一番複雑で、微妙で、深遠で、一筋縄ではいかないところじゃないのかなぁ……。

ちょうど Norman Fostが代理母について語る
酷薄・粗雑なものの言い方に触れて

なんだか、とても肌理細かくなめらかな砂をすくうのに、
まるで3センチ四方の網の目のザルでもってすくってかかるみたいな粗雑さだなぁ……と
感じたばかりだったせいもあるかもしれないのだけど。


        ――――――――

私自身が言葉にして訴えたいと感じているものの大半は、きっと
こんなふうに小説・創作という形でしか表現できないものなのだろうと
前から感じているのですが、

小説を書く創作の才を持ち合わせていないことは、いかんともしがたく
それゆえ私は私の能力の範囲で、

理屈をこねてみたり、直接体験を自分なりに描いてみたり、
あれこれとやってみている。

例えば、以下のようなエントリーなどで。


2009.12.09 / Top↑
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