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Norman Fostのことを知ったのはAshley事件がきっかけだった。
たぶん、日本ではほとんどノーマークの倫理学者なんじゃないかと思うのだけど、

私は2007年の2~3月頃から
Norman FostこそがAshley事件の筋書きを裏で書いた人物ではないかと睨んでいるので、
それ以来ずっとFostのメディアでの発言は目に付く限り追いかけている。


そして今では、Norman Fostについては、
Ashley事件で現在も果たしている大きな役割に留まらず、
科学とテクノのイデオロギー装置としての生命倫理を先導する
危険極まりない人物だと考えている。

多くの人がPeter Singerの過激な発言に目を奪われているけれど、
実は米国の医療倫理界、FDAの委員会内部で直接的に影響力を及ぼしているFostの方が
もっと危険な存在なのではないのか、とも思っている。

そのNorman Fostが今度は代理出産について語っている。

まず、この記事でNorman Fostは、
倫理学者によって指摘されている代理出産を巡る懸念は以下の3つだと解説します。

・代理母には医療的な(つまり健康上の)また心理的なリスク
・子どもには「商品化される」可能性
・依頼者(彼はrequesting parentsと称します)には
「有り金をはたいても望みどおりに子どもが得られなかったり、
子どもが生まれた後で親権を失う可能性」

そして、小児科医として、彼は
代理出産だからといって子どもにネガティブな心理的な影響があるという
説得力のあるエビデンスは知らない、と語ります。

「ちゃんとしたデザインの長期の研究はないと思いますが、
現在あるデータと、私が知っているエピソードなどからすると、
子どもが幸福になるか、健康になるかということに代理出産は影響しません」

子どもの幸福と健康で最も重要なのは、他の家族の場合と同じく、
子どもが育つ環境であり、安定した家庭で愛されて育つことだ、というのです。

また、代理母になる女性への搾取だという批判に対しては

It’s paternalistic to tell a competent woman how she can use her body, whether it’s to work in a coal mine or as a surrogate mother.

意思決定能力のある女性に、自分の身体の使い方についてどうこう口を出すのはパターナリズムでしょう。炭鉱で働こうと、代理母になろうと(自分の体の使い方は自由だ)。

「子どもは消費される商品じゃない。iPodみたいに売買すべきじゃない」という批判には

It’s not clear why that would even be of any great consequence to the child if he or she is raised in a loving home.

愛のある家庭で育てられさえすれば、子どもにとって
商品として売買されることが重大な影響を与えるかどうかは不明である。

代理出産についてFostに懸念があるとしたら1つだけで、
それは米国やその他の国々の夫婦が代理母を求めてインドに出かけていくこと。

代理母の健康状態にせよ代理母が受ける医療にせよ法律的な問題にせよ、
インドではコトが起きる可能性が高い、というのだけが彼の懸念。

もっとも海外にも、ちゃんとしたプログラムがないわけじゃない……とも言って終わり。

(それに、ほら、何が起きたって、
それもこれも意思決定能力のある人がやることだから自己責任だしね)

Debating the ethics of surrogacy
ISTHMUS, The Paper, December 3, 2009


これまでも、Fostの発言はあまりにもぶっ飛んでいるので、
読むなり、絶句してしまうことが多かったのですが、

今回も、まずは、あまりの不快感で「なっ……ばっ……」状態。
とりあえず論理的に批判する言葉が出てきません。

1つだけ、言葉として頭に浮かんだのは、
なるほど、「炭鉱で働く」ことを代理母と並べたか……。



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2009.12.08 / Top↑
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