某メーリング・リストに投稿された情報が
ちょっと聞き捨てならないものだったので。
3月10日刊行の日本移植学会雑誌「移植」46巻第1号に
自治医科大学客員研究員の ぬで島次郎氏の「シリーズ移植倫理
WHO移植指針 2010年 改訂と日本の課題」という文章が掲載されていて、
ここで問題になっている
「まだ脳死状態に至らない末期の段階で、
生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、
心停止にいたらしめて、臓器を摘出する方式」とは、
森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒涼」のエントリーで簡単に書いた
「ピッツバーグ方式」、人為的(人工的)心臓死後提供(DCD)のこと。
これは、いよいよWHOが
ピッツバーグ方式による臓器移植を検討しようと公言した、ということですね。
しかし、DCDのすぐそばに「無益な治療」論が控えていることは
「無益な治療」の書庫に拾っている数々の事件や訴訟が物語っている、と私は思うし、
さらに言えば、それらの事件では、
生命維持を停止される患者は必ずしも「末期」ですらない。
当ブログではかなり前から、以下のエントリー他で、
DCDは無益な治療論と繋がるのでは、との懸念を書いてきました。
心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)
移植臓器が、誰かから善意によって「いただく」贈り物なのであれば
最初から移植用の臓器は不足しているのが当たり前であって、
“臓器不足”が“解消すべき”問題となる……なんてことはありえないはずでは?
それが、いつから移植臓器は「不足してはいけない」もの
「ほしい人に行きわたらせなければならない」ものに
すり替わってしまったのだろう……?
これまで拙ブログで拾った、
重症障害ゆえの“無益な治療”論が救命や治療よりも臓器を優先させた事件2つを以下に。
【Navarro事件 関連エントリー】
臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった父、呼吸器を外しても生きる我が子に困惑(再掲)(2009/6/19)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
「Kaylee事件」と「当事者性」それから「Peter Singer」(2010/11/3)
【死亡提供者ルール廃止の主張に関連するエントリー】
脳死の次は植物状態死?(2007/9/10)
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
【ベルギーの安楽死後臓器提供関連エントリー】
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
【Savulescu「臓器提供安楽死」関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
ちょっと聞き捨てならないものだったので。
3月10日刊行の日本移植学会雑誌「移植」46巻第1号に
自治医科大学客員研究員の ぬで島次郎氏の「シリーズ移植倫理
WHO移植指針 2010年 改訂と日本の課題」という文章が掲載されていて、
WHO改訂指針は、臓器不足に対処するため、死者からの提供を促進させる取り組みを求めているが、事務局報告書は、脳死者からの提供には限界があり、新しい提供源の開拓も必要だとしている。具体的に挙げられているのは、心停止後の提供である。通常の心肺停止後の提供だけでなく、まだ脳死状態に至らない末期の段階で、生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、心停止に至らしめて、臓器を摘出する方式が検討対象として挙げられている(報告書13)。この方法に対しては、家族の同意だけで提供者の死期が早められる恐れが大きくなるので、強い抵抗が予想される。特に日本では、脳死を人の死とみなすことに対し、以前異論が絶えないことが、2009年の法改正の議論でも改めて示された。心停止ドナーの提唱は、脳死よりさらに前の早い段階での治療中止を想定しているので、激しい論議を引き起こすだろう。
ここで問題になっている
「まだ脳死状態に至らない末期の段階で、
生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、
心停止にいたらしめて、臓器を摘出する方式」とは、
森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒涼」のエントリーで簡単に書いた
「ピッツバーグ方式」、人為的(人工的)心臓死後提供(DCD)のこと。
これは、いよいよWHOが
ピッツバーグ方式による臓器移植を検討しようと公言した、ということですね。
しかし、DCDのすぐそばに「無益な治療」論が控えていることは
「無益な治療」の書庫に拾っている数々の事件や訴訟が物語っている、と私は思うし、
さらに言えば、それらの事件では、
生命維持を停止される患者は必ずしも「末期」ですらない。
当ブログではかなり前から、以下のエントリー他で、
DCDは無益な治療論と繋がるのでは、との懸念を書いてきました。
心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)
移植臓器が、誰かから善意によって「いただく」贈り物なのであれば
最初から移植用の臓器は不足しているのが当たり前であって、
“臓器不足”が“解消すべき”問題となる……なんてことはありえないはずでは?
それが、いつから移植臓器は「不足してはいけない」もの
「ほしい人に行きわたらせなければならない」ものに
すり替わってしまったのだろう……?
これまで拙ブログで拾った、
重症障害ゆえの“無益な治療”論が救命や治療よりも臓器を優先させた事件2つを以下に。
【Navarro事件 関連エントリー】
臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった父、呼吸器を外しても生きる我が子に困惑(再掲)(2009/6/19)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
「Kaylee事件」と「当事者性」それから「Peter Singer」(2010/11/3)
【死亡提供者ルール廃止の主張に関連するエントリー】
脳死の次は植物状態死?(2007/9/10)
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
【ベルギーの安楽死後臓器提供関連エントリー】
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
【Savulescu「臓器提供安楽死」関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
2011.07.19 / Top↑
| Home |