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代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳
大野和基 集英社新書 2009年

米国の代理出産の実態をルポしたもの。著者は冒頭、
2007年に厚労省が行った意識調査で国民の約半数が代理出産を認めてもいいと答えたことに触れて、
どれほどの知識や情報を持ち、その実態をどれほど知ってのことなのか、と疑問を呈している。

おそらくは、脳死・臓器移植の議論でも、着床前遺伝子診断の議論でも、
終末期医療の法制化問題でも、それから”Ashley療法”論争でもパーソン論でも、
みんな同じことが言えるんじゃないだろうか。

特に日本では、海外で起こっていることの実態が報道されにくい特殊な事情の中で、
私たちは自分が立っているところから見える範囲で安易な「感想」を抱いて終わりにするのではなく、
事実をきちんと知る努力をしながら、じっくり、しっかり考えてみる必要がある、と改めて思った。

この本から私が知った米国の代理母に関する事実関係などを以下に。

ベビーM事件(1986)
米国の代理出産関連事件で最も有名。人工授精で代理出産した母親が赤ちゃんを渡さず法廷闘争になった。
代理母契約の内容の差別性は言語道断。代理母はメアリー・ベス・ホワイトヘッド。

この事件の事実関係をまとめたものとしては、
立岩先生のところのサイトに詳しいので、そちらを。

障害児が生まれ、依頼者と代理母のどちらもが引取りを拒否(1982)
ミシガン州で生まれた子どもが矮小脳症だったため、依頼者夫婦だけでなく代理母までが親権を拒否。

パティ・ノワコウスキー事件(1988)
代理母のノワコウスキーさんが双子を妊娠。
出産1週間前に依頼者夫婦が「欲しいのは女の子だけなので
男の子は養護施設に入れるか養子にしてくれる人を探してくれ」と要求。
既に3人の母親だったノワコウスキーさんは、強い憤りを感じて
2人とも自分で育てる決心をして、裁判で養育権を勝ち取った。
NY州の代理出産規正法審議の公聴会でも証言。

人助けの気持ちもありましたが、もし報酬がなかったら、代理母をやりませんでした
多くの罪もない子どもが代理出産で犠牲になっている。子どもの権利を真っ先に考えるべきだ

NY州では代理出産を巡って論争が繰り返された後の1992年7月、
有償代理出産を赤ちゃんの売買に当たるとして禁止する法律ができた。

著者は
子どもが欲しい、という不妊カップルの希求にだけ目を向けると、生まれてくる子供のことを忘れがちになる。大人の都合で振り回され、ときにたらいまわしにされたあげく、引き取り拒否という悲運を背負わされるのは子どもたちなのだ。(p.59)

赤ちゃんブローカー「代理出産の父」ノエル・キーン
ベビーM事件、ノワコウスキー事件を始め多くの代理出産契約に関わっていたのが弁護士のノエル・キーン。
97年に58歳で死去。70年代、80年代に200人以上の代理出産に関与したと言われる。
著者が息子から聞いたところでは世界中で600人とも。

著者が直接インタビューした際のキーンの発言として
必要なのは、いい子宮だけだ(All we need is a good womb.)

ロリ・ルコア事件(1986年)
子どもが4人いる妹が、子どものできない姉に頼まれて代理出産したものの
姉妹間に溝が出来て、子どもの親権が裁判で争われた事件。

代理母が死亡したケース(1987)
デニス・マウンスさんが妊娠8ヶ月で死亡。死因は肥大型心筋症。
斡旋業者がマウンスさんの健康状態に十分な注意を払わなかったことが疑われるケース。

マウンスさんの母親は
犠牲になったのは娘です。依頼した夫妻にとっては娘は単なる赤ちゃん製造機だったのです。失敗すれば、また次の製造機を探せばいいのですから。

マンハッタンのパークアベニューに住んでいる裕福な女性が、どれほど利他的な気持ちを持っていても、赤の他人のために代理母をやることはありません。(P.118)

……代理母をやる女性は、平均収入以下の人です。表面的に見ると、善意の美しい行為に見えますが、代理出産を依頼するということは、人に命を危険にさらしてくださいというのと同じですから、それはもっとも厚かましい行為なのです。超えてはいけない一線を既に越えています。(p.119)

ブザンカ事件(1997)
ドナーの生殖子で体外受精、代理母が出産する前に依頼者夫婦が離婚。
生まれてきた女児は裁判所によって「法律上の親がいない」ことになった。

代理母がエイズに感染していたケース(1986)
姉のために妹が代理母になったが、
薬物濫用でエイズに感染していたことが妊娠中に判明、
生まれてきた子どもの引取りを姉妹双方が拒否した。

著者は
どんな些細なことであれ、代理母と依頼者夫婦の間で揉め事が起こると、犠牲になるのは、あきらかに生まれてくる子どもである。実際、障害のある子どもや病気の子どもが生まれて、依頼者にも代理母にも引取りを拒否されたケースは多々あるのだ。そうなれば業者はさっさと子どもを児童養護施設に送ってしまう。

斡旋業者ノエル・キーンに関するものだけみても、代理出産によって生まれた子どもを児童養護施設に送った数は、少なくとも5件あるという。

彼らは本当に「いらない子ども」「価値のない子ども」なのか。そんな生い立ちを背負った子どもたちは、どう生きていけばいいのか。(P.148-149)

3人の子どもすべて代理母に生んでもらったマーケル家
NYの銀行頭取とその妻は、3人の子どもをすべて代理母に産んでもらった夫婦。
斡旋業者は上記のノエル・キーン。

第1子は1986年に人工授精で生まれた。
(4日後に米国初の体外受精による赤ちゃんが生まれている。英国では78年)
次は体外受精。代理母は4つ子を妊娠したので、減胎手術で双子にした。
かかった費用は5万5000ドル。そのうち代理母の報酬は1万ドル。

著者はこの家庭で夫婦それぞれと、3人の子どもたちにインタビューを行っている。
特に子どもたちに、自分の生い立ちへのこだわりが影を落としていることが印象的。

著者がこの本の中で何度も繰り返しているのは
生まれてくる子どもには自己決定権もなく、権利を主張することも出来ないということだ。

         ――――――

その他、個人的に印象的だったこととして、

・ワシントンDCに全米代理出産反対連合(NCAS)という団体があって
ベビーM事件を受けて1987年にこれを立ち上げたのがジェレミー・リフキン。

リフキンは私にとっては忘れがたい人物で、
世の中で起こっていることの恐ろしさに決定的に目を覚ましてくれたのは彼の「バイテク・センチュリー」だった。
あの本を読んだ10年近く前の衝撃は、今でも忘れられない。

・一方、英国で82年に体外受精に関する委員会を提唱したのはメアリー・ウォーノック。
去年の「認知症患者には死ぬ義務がある」発言の、あの人だ。

84年に「ウォーノック報告書」が出され、
それを受けて85年に「代理出産取り決め法」
90年に「人間の受精および肺の研究に関する法律(HFE法)」が成立。
(後者は当ブログで「ヒト受精・胚法」と称してきたものと思われます)

・ヨーロッパでは全体に規制が厳しく、代理出産は禁止されているが、
フランスでは解禁に向けた働きかけも見える。
また、インドを中心にアジアで生殖ツーリズムが広がって、
欧米の需要の受け皿として巨大ビジネスを形成している。

著者いわく
グローバリゼーションのつけは必ず弱者が払う仕組みになっているのだ。途上国を巻き込んで膨張する代理出産ビジネスの行く末を考えると、暗澹たる気持ちになる。(p.172)

著者は触れていないけれど、ここにあるのも
親子の間の権利の不均衡と同じ構図で、

依頼者の「親になる権利」「幸福を追求する権利」が言われても、
代理出産を請け負う側の人権がそれによって侵される事実が言われることはあまりない。

本当は、それ以前に、
そうでもしなければ生きていけない境遇に追いやられてしまっている彼らの状況が
グローバリゼーションそのものによる権利の侵害であるという
2重の差別構造があることも、見えないところに隠しこまれたままだ。

それから、ついでに
日本で代理出産を実践している根津八紘医師への取材で
ちょっと思いがけない事実が指摘されている。

かつては姉妹間の代理出産を手がけていた同医師は以下のように言っている。

妊娠・出産が命がけの行為であることは、医療の発達した現在でも変わりません。妊娠中何が起こるかわかりません。ですからいま現在は、娘のために死んでもいい、という実母だけに限っています。実際に代理母をするにはそれくらいの覚悟が必要です。(p.185)

2009.12.03 / Top↑
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