Quelletteの“BIOETHICS AND DISABILITY Toward a Disability-Conscious Bioethics”に
生命倫理の界隈でよく耳にする Elizabeth Bouvia事件が取り上げられていたので、
その個所のみ、とりあえずのメモとして。(Quelletteについては文末にリンク)
非常に興味深いのは、まず、この事件が紹介されている文脈。
Quelletteはここで
生命倫理という学問のこれまでの概要を解説しており、
直前でとりまとめていることとして、
ある段階で生命倫理には以下のような、
いくつかのコンセンサスができていた、と。
・意思決定能力のある成人は治療を拒否する権利を有する。
・患者は自分の治療に関する決定権を有する。
・また、こうした決定にまつわる入手可能なすべての情報を提供される権利を有する。
・医学的に提供される栄養と水分は治療の一形態である。
これらすべてが関わっている事件として紹介されているのがBouvia事件。
Elizabeth Bouviaさんは脳性まひと関節炎があり(つまりターミナルではなかった)
28歳の時にカリフォルニア州の裁判所に対して、
鼻から通した管による経管栄養を医師に中止させる命令を求めて訴訟を起こした。
医師は中止に反対。
栄養と水分の引き上げは一種の自殺行為だと反論したが、
裁判所は、Bouviaさんの意思決定能力を確認したうえで、
栄養と水分が医療である以上、その拒否権はBouviaさんの自己決定権の範囲だと判決した。
1986年。
Elizabeth Bouvia’s decision to forego medical treatment or life-support through a mechanical means belongs to her. It is not a medical decision for her physicians to make. neither is it a legal question whose soundness is to be resolved by lawyers or judges. It is not a conditional right subject to approval by ethics committees or courts of law. It is a moral and philosophical decision that, being a competent adult, is hers alone.
意思決定能力が明らかである以上、
機械的な方法での生命維持または治療の中止の決定は、
医師による医学的な決定でもなければ
その精神の健全性を巡る法的問題でもない。
倫理委員会や裁判所の承認が必要な条件つきの権利でもない。
意思決定能力のある成人として、
それは本人のみが有する道徳的哲学的決定権である。
(p.55に引用)
以来、Bouvia判決は、生命倫理の界隈では
ターミナルでなくとも生命維持を拒否することができるとした
自己決定権の画期的な勝利として称揚されていく。
問題となる治療が救命または延命するものであるとしても
患者には拒否権がある、と認められたのだ。
もちろん、この判決のキモはブーヴィアさんの自己決定能力にあり、
この判断をそのまま自己決定能力の低い患者に当てはめることはできない。
そこで、自己決定能力が低いまたはないとみなされる患者のケースで
自己決定に極力近い形での医療判断を保障するための工夫として
生命倫理学は事前指示書と代理決定を検討していく。
で、それを踏まえて生命倫理学の一般的な共通認識として、
・代理決定者には基本的にどのような決定も行う権限があり、そこには治療の拒否や中止の決定も含まれる。
・代理決定者は、可能な限り、本人がかつて有していた自己決定能力に基づいて決定したであろう通りの決定を行うべきである。
・本人が行ったであろう自己決定を見極めることが困難な場合には、代理決定者は本人の最善の利益にかなった決定を行うべきである。
ちなみに、この論理のステップは、
まさにイリノイ州の知的障害女性の強制不妊手術を巡るK.E.J.判決で
用いられたものと全く同じ。(詳細は文末にリンク)
この3つが合流した先に
生命維持治療の中止や差し控えが当人の最善の利益であるという
代理決定もありうる、との生命倫理学の考え方がある、とQuellette。
なるほど~。
しかし、時は流れ、今では病院や医師の側が
本人や家族、代理決定者の意思を無視して、中止させろと裁判所に訴え出る時代。
これほど絶対的であったはずの自己決定権は、今はいったいどこへ――?
【ブーヴィア事件に関する日本語情報】
ブーヴィア事件の解説を含む研究者の方のサイトは以下に ↓
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/ihs/soc/ethics/takahashi/tyousa/2syou.html
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060327
香川知晶「死ぬ権利 ――カレンクインラン事件と生命倫理の転回」での
ブーヴィア事件に関する記述は以下の中ほどに ↓
http://www.arsvi.com/d/et-usa.htm
【イリノイのK.E.J.ケースに関するエントリー】
イリノイの上訴裁判所 知的障害助成の不妊術認めず(2008/4/19)
IL不妊手術却下の上訴裁判所意見書(2008/5/1)
ILの裁判からAshley事件を振り返る(2008/5/1)
ILの裁判から後見制度とお金の素朴な疑問(2008/5/1)
IL州、障害者への不妊手術で裁判所の命令を必須に(2009/5/29)
【その他、障害者の医療における代理決定原則に関するエントリー】
知的障害者不妊手術に関するD医師の公式見解
女性の不妊手術に関する意見書(米国産婦人科学会)
不妊手術に関する小児科学会指針
末期でも植物状態でもない知的障害者の医療拒否、後見人に「並々ならぬ証明責任」
Syracuse大学から「障害のある人の延命ケアと治療に関する一般原則声明
英医師会の後見法ガイダンス
【Quellette関連エントリー】
今回の新刊
Alicia Quelletteの新刊「生命倫理と障害: 障害者に配慮ある生命倫理を目指して」(2011/6/22)
09年のAshley事件批判論文
「倫理委の検討は欠陥」とQuellette論文 1(2010/1/15)
子の身体改造をめぐる親の決定権批判論文
Quellette論文(09)「子どもの身体に及ぶ親の権限を造り替える」 1: 概要
(論文については、それぞれ、ここから4つエントリーのシリーズで)