いよいよ、なりふり構わずハゲタカの本性を剥き出しにしてきたな、という感じの
UNOS(全米臓器配分機関)の動き――。
Changes in controversial organ donation method stir fears
The WP, September 20, 2011
米国でUNOSが
2007年のDCDのガイドラインの大幅緩和を画策している。
1年間かけて臓器獲得組織委員会(委員22名)での協議を重ね
改めて死を定義することから始まる16ページの提案書を作成し、
3ヶ月間の意見募集を行った。これは6月に既に終了。
11月にアトランタの会議で最終案を作成するというのだけど、
このWPの記事、
わざとUNOSの提案内容を分かりにくくしているのかと勘ぐってしまいたいほど、
な~んか、もわ~っと妙な書き方の記事なのですが、
記事のあちこちから拾って整理してみると、
UNOSが狙っている改正点とは
① DCD(心停止後臓器提供)で現在おおむね心停止から5分~2分とされている
摘出までの待ち時間の基準をなくして、それぞれの病院ごとの判断に任せる。
これについて
ワシントン大学のGail Van Normanから
「まだ死んでいない人から臓器が摘出されてしまう可能性に
目をつぶろうと言うに等しいのでは」など大きな懸念の声が上がっているが、
UNOS側は
どのくらい待つのが適当かを判断するのは、
それぞれの病院とその救急医療の専門家が最もふさわしい、と。
あと、記事がウダウダ書いているのは
これまでDCDについて当ブログでもいくつかのエントリーで書いてきたことが大半ですが、
(詳細は文末にリンク)
気になる情報として、
「脳死ではないものの事故や脳卒中などで重症の脳損傷を負って
ICUに入っている患者にDCDはじわじわと忍び寄って」おり、
ピッツバーグのあるプログラムでは
患者が救急救命室にいる段階からDCDで臓器が取れないかと試行しているし、
NY市には臓器獲得に特化した救急車が走っているとして調査が進行している。
ピッツバーグのERでのDCD試験的解禁についてはこちらに ↓
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
② DCDを donation after circulatory death(循環死後臓器提供)と呼び替える。
脳死は実際には血流の停止によって引き起こされるのだから
死を宣告するためには必ずしも心臓が止まっている必要はない、という論法。
しかし、それは、死とは何かという倫理的な大問題から
目をそらせようとしているだけなのでは、との批判がある。
Georgetown 大学の生命倫理学者で
UNOS倫理委の委員でもあるRobert M. Veatchは
「一連のプロセスを新しい呼び方に改めることで問題解決を図ろうというのは
うまくないし、意図的な虚偽ともなりうる」と。
Veatchによれば、先週シカゴで開かれた委員会では
DCDの患者の死は、血流や心臓死と同じ意味で、本当に不可逆であり永遠なのか、
という問題について、激しい議論が交わされたという。
心臓を圧迫するなどすれば血流が戻ることがあり、
デンバーではDCDの患者の心臓が移植された後に拍動を開始したケースも。
一方、ペンシルバニア大学の Art L. Caplanは名称変更に賛成。
DCDという呼称には、心臓以外は生きているのに心臓を取るイメージがあるから。
③ 「当該患者がドナーになりうるかどうかの評価を行うのは
病院のプライマリー・ケア・チームと法的近親者が呼吸器を含む生命維持治療の中止を
決定した後でなければならない」との文言をガイドラインから削除。
これにはCaplanを始め、多くの倫理学者が反対。
しかしUNOSは
ドナーにはなれないと早くに分かれば家族は難しい選択を迫られないで済むし、
逆にドナーになれると分かれば生命維持の停止の判断が容易になるのだから、
「とても辛い入院を経験した揚句に、さらに治療の継続が本当に患者の意に沿うのかどうか
難しい決断に直面してしまった家族の苦しみを無用に長引かせないであげたいのです。
死を悼む家族のための削除なのです」と。
④ 脊損、筋ジス、ALSなど一定の疾患の患者をドナー候補として特定すること。
そんなことをしたら
治療をあきらめろとプレッシャーがかかるという懸念の声が上がる一方、
提供意思のある人が見逃されないための策に過ぎない、という正当化論も。
UNOSを監督する連邦政府のHealth and Resources and Services Administration関係者は
「個々の患者をターゲットにしようという話ではないでしょう」
今回の一連の提案について、UNOSの直前プレジデントは
「最終的な目標はドナー希望の患者さんの死に際の望みをかなえ、
臓器を必要とする112000人を超える患者さんたちの命を救うこと」
が、ドナーになれる可能性のある患者が病人として捉えられて
まだ生きられるよう治療を受けたり、穏やかに死ねるようにケアされるよりも
むしろ臓器や組織庫とみなされるようになる、との批判も当たり前だけどあって、
Boston大学のMichael A. Grodin教授(法、生命倫理、人権)は
「より多くの臓器を求めて、とことん狙い続けようという考えへの第一歩。
結局UNOSは臓器提供を増やすためなら何だってやりたいということ」
私は特に④には、本気で胸がムカムカした。
安楽死後臓器提供が既に4例行われたことを報告したベルギーの医師らが
こうした患者さんたちの臓器は「高品質」であり、
そのような安楽死者は臓器不足解消に役立つ「臓器プール」だと
ぬけぬけと論文に書いていたことを思い出す ↓
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
【DCD関連エントリー】
心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒廃」(2009/6/27)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)
WHOが「人為的DCDによる臓器提供を検討しよう」と(2011/7/19)
UNOS(全米臓器配分機関)の動き――。
Changes in controversial organ donation method stir fears
The WP, September 20, 2011
米国でUNOSが
2007年のDCDのガイドラインの大幅緩和を画策している。
1年間かけて臓器獲得組織委員会(委員22名)での協議を重ね
改めて死を定義することから始まる16ページの提案書を作成し、
3ヶ月間の意見募集を行った。これは6月に既に終了。
11月にアトランタの会議で最終案を作成するというのだけど、
このWPの記事、
わざとUNOSの提案内容を分かりにくくしているのかと勘ぐってしまいたいほど、
な~んか、もわ~っと妙な書き方の記事なのですが、
記事のあちこちから拾って整理してみると、
UNOSが狙っている改正点とは
① DCD(心停止後臓器提供)で現在おおむね心停止から5分~2分とされている
摘出までの待ち時間の基準をなくして、それぞれの病院ごとの判断に任せる。
これについて
ワシントン大学のGail Van Normanから
「まだ死んでいない人から臓器が摘出されてしまう可能性に
目をつぶろうと言うに等しいのでは」など大きな懸念の声が上がっているが、
UNOS側は
どのくらい待つのが適当かを判断するのは、
それぞれの病院とその救急医療の専門家が最もふさわしい、と。
あと、記事がウダウダ書いているのは
これまでDCDについて当ブログでもいくつかのエントリーで書いてきたことが大半ですが、
(詳細は文末にリンク)
気になる情報として、
「脳死ではないものの事故や脳卒中などで重症の脳損傷を負って
ICUに入っている患者にDCDはじわじわと忍び寄って」おり、
ピッツバーグのあるプログラムでは
患者が救急救命室にいる段階からDCDで臓器が取れないかと試行しているし、
NY市には臓器獲得に特化した救急車が走っているとして調査が進行している。
ピッツバーグのERでのDCD試験的解禁についてはこちらに ↓
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
② DCDを donation after circulatory death(循環死後臓器提供)と呼び替える。
脳死は実際には血流の停止によって引き起こされるのだから
死を宣告するためには必ずしも心臓が止まっている必要はない、という論法。
しかし、それは、死とは何かという倫理的な大問題から
目をそらせようとしているだけなのでは、との批判がある。
Georgetown 大学の生命倫理学者で
UNOS倫理委の委員でもあるRobert M. Veatchは
「一連のプロセスを新しい呼び方に改めることで問題解決を図ろうというのは
うまくないし、意図的な虚偽ともなりうる」と。
Veatchによれば、先週シカゴで開かれた委員会では
DCDの患者の死は、血流や心臓死と同じ意味で、本当に不可逆であり永遠なのか、
という問題について、激しい議論が交わされたという。
心臓を圧迫するなどすれば血流が戻ることがあり、
デンバーではDCDの患者の心臓が移植された後に拍動を開始したケースも。
一方、ペンシルバニア大学の Art L. Caplanは名称変更に賛成。
DCDという呼称には、心臓以外は生きているのに心臓を取るイメージがあるから。
③ 「当該患者がドナーになりうるかどうかの評価を行うのは
病院のプライマリー・ケア・チームと法的近親者が呼吸器を含む生命維持治療の中止を
決定した後でなければならない」との文言をガイドラインから削除。
これにはCaplanを始め、多くの倫理学者が反対。
しかしUNOSは
ドナーにはなれないと早くに分かれば家族は難しい選択を迫られないで済むし、
逆にドナーになれると分かれば生命維持の停止の判断が容易になるのだから、
「とても辛い入院を経験した揚句に、さらに治療の継続が本当に患者の意に沿うのかどうか
難しい決断に直面してしまった家族の苦しみを無用に長引かせないであげたいのです。
死を悼む家族のための削除なのです」と。
④ 脊損、筋ジス、ALSなど一定の疾患の患者をドナー候補として特定すること。
そんなことをしたら
治療をあきらめろとプレッシャーがかかるという懸念の声が上がる一方、
提供意思のある人が見逃されないための策に過ぎない、という正当化論も。
UNOSを監督する連邦政府のHealth and Resources and Services Administration関係者は
「個々の患者をターゲットにしようという話ではないでしょう」
今回の一連の提案について、UNOSの直前プレジデントは
「最終的な目標はドナー希望の患者さんの死に際の望みをかなえ、
臓器を必要とする112000人を超える患者さんたちの命を救うこと」
が、ドナーになれる可能性のある患者が病人として捉えられて
まだ生きられるよう治療を受けたり、穏やかに死ねるようにケアされるよりも
むしろ臓器や組織庫とみなされるようになる、との批判も当たり前だけどあって、
Boston大学のMichael A. Grodin教授(法、生命倫理、人権)は
「より多くの臓器を求めて、とことん狙い続けようという考えへの第一歩。
結局UNOSは臓器提供を増やすためなら何だってやりたいということ」
私は特に④には、本気で胸がムカムカした。
安楽死後臓器提供が既に4例行われたことを報告したベルギーの医師らが
こうした患者さんたちの臓器は「高品質」であり、
そのような安楽死者は臓器不足解消に役立つ「臓器プール」だと
ぬけぬけと論文に書いていたことを思い出す ↓
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
【DCD関連エントリー】
心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒廃」(2009/6/27)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)
WHOが「人為的DCDによる臓器提供を検討しよう」と(2011/7/19)
2011.09.30 / Top↑
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