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こういうケアをする介護士さんたちが英国の介護現場にはまだいるんだ、という点でも、
裁判所が医師だけでなく直接ケアしている介護士たちの声に耳を傾けたという点でも、
日々のケアを担っている者にしか分かりにくい重症障害者の微妙な意識状態が確認された
レアなケースという点でも、とても大きな意味のある判決のニュース。

Revealed: The full troubling story of the brain-damaged woman in the court case that divided Britain this week
The Daily Mail, October 2011

2003年に突然にウイルス感染からこん睡状態となり、植物状態と診断されて
(ただし記事は他の場所では「原因不明」とも)
ケアホームで暮らしている女性Margotさん(仮名・53歳)を巡って、
栄養と水分の供給を停止して「尊厳ある死を」と夫と妹(姉かも)が望み、
その要望が先週、高等裁判所に却下された、という事件。

この事件でとても興味深いと思うのは、裁判所の判断の根拠になったのが
ケアホームでMargotさんをケアしている介護士の証言だということ。

それによって当初の「植物状態」という診断が覆り、
裁判所が指定した専門家によって「最少意識状態」であることが確認された。

まずは、植物状態との診断を覆した医師やナーシング・ホームで彼女をケアしている直接処遇職員の証言で
Margotさんがどのように語られているかというと、

簡単な指示に従う、自己意識があるだけではなく周囲で起こっていることも分かっている。微笑んだり、ポップ・ミュージックを聞くと手でリズムを取ったりする。特定の音楽を聴いて泣いているのを見た職員もいる。

夫のSteveさんが訪ねて来た後で涙を流していたこともある。

施設から外に出かけると、太陽の方に顔を向けて、顔に当たる日差しを楽しんでいるように見える。介護職員が海がきれいだと言うと目を開け、そちらを見たように思えた。

テレビでウインブルドンの試合がかかると、目を開けてテニスの試合を見たが、「あ、見てる」と言われると目をきつく閉じた。
いきなり「おはよう」とか「ハロー」と言ったという報告も。

ある介護士は、トム・ジョーンズの歌に合わせて「グリーン、グリーン、グラス・オブ・ホーム」と口を動かしたのを見た、と。

リラックスしている時には、腕の拘縮が収まって下に降りていたり、唸ることもなく
時にはハミングするような声を出している。辛いことがある時には白目をむいて、甲高い唸り声を上げる。

介護士の好みがあって、好みの介護士が部屋に入ってくると目を開けてにっこりする。ケア・ホームのスヌーズレンの部屋に連れて行ってもらうのが好きで、ゆっくり転倒する明りを目で追いかけている。



こうした証言を受け、植物状態の人と異なって、
栄養と水分を断たれるとMargotさんには正常な痛みや不快の感覚があるだろう、と裁判官が判断。

現在の暮らしについて本人がどのように感じているかは分からない以上
「絶対的なルールではないにせよ、法は命の保存を基本原理としている」、
「命を守ることの重要性が本件では決定的な要因」だ、として

「このような状況下で生命維持治療を差し控えたり中止したりすることは違法行為である。
もしも意図的に行われるとすれば、それは違法な殺害、殺人である」

しかし、夫のSteveさんと妹(姉?)のBrendaさんは
Margotさんが喋ったり、泣いたり、音楽に反応したところを見たことがない、と言う。

この2人がMargotさんについて、どのように語っているかというと、

27年間連れ添って来たSteveさんは、もはや奇跡は起こらないと希望をなくし、愛する妻の元に行くと、黙ってベッドサイドに座り、時には妻の膝に頭をのせて泣く。もう話しかけることはしない。そんなことをしたって聞こえないし、夫の声が分かるわけではないから。

Margotさんは祖母が年を取ってナーシング・ホームで衰えていく姿に、自分が入所施設に入って「誰かに面倒を見てもらうくらいなら10年くらい命を縮めたっていい」と言い、父親が病気でケアホームに入った時も、他人の世話になることを思ってMargotさんは身震いし、何かが起こって介護される身になるくらいなら「さっさと死にたい」と語り、夫に向かって「絶対にこんなところに私を入れないでね」と頼んだ。1992年のTony Bland裁判の時にも、Blandさんは死なせてあげるべきだとMargotさんは語っていたのを、夫のSteveさんも妹のBrendaさんも覚えている。(ただし、Margotさんは事前指示書を書いていない)

夫は、妻を意思の強い、自分の信じる道を突き進むタイプで誇り高く、自分がどのように見られるかをとても気にする人だった、と。

Brendaさんの法廷での証言
「Margotが生きていることから何を得ることができるというんです? 何の喜びもないんですよ。

毎日決まった時間にベッドから出されて、またベッドに戻されて、着替えさせられて、オムツをつけられて。そんなの生きているなんて言えません。そんなの存在しているだけです。本人だってそんなの望んではいません。Margotがベッドで寝ていたり椅子に座っているのを見るのは私には辛いのです。かつての彼女とは似てもつかない姿で。

立ち去ってしまえば簡単なのかもしれませんが、私はこれが正しいことだと思うからこうして裁判でMargotを死なせてやってほしいと訴えています。本人が心の底から望んでいることだと思うからです」

Steveさんの証言は
「私たちの気持ちの問題ではないんです。私たちのことはどうでもいい。ただ本人の考え方や意見を知っている者として、妻の代弁をするだけです」



ここで起こっていることは、まさにAshley事件で
アシュリーの認知能力を巡って「自分たちが見たいものしか見ない」人たちが
「赤ちゃんと同じ」と言い続けたことと全く同じなのでは――?

さらに、私はAshley事件やKatie事件の報道でDaily Mailには偏見があるからか、
記事の書き方にも、ものすごい偏りがあると思う。そもそもの記事の冒頭の数行からして、

かつて働き盛りで生き生きとしていたMargotさんを愛し知っている人々にとって、現在のMargotさんの姿は胸が張り裂けるという表現では足りないほど辛い。
イングランドの北部のケアホームで、Margotさんは何の反応もなくベッドに横たわっている。両手は曲がって顎の下に引きつけられ、自分で食べることも瞬きでのコミュニケーションすらできない。
排泄はオムツで、頭も体もほとんど動かすことができない。リフトで移動させられて、ケアのすべてが他者に全面的に依存している。



上記のケアホームの職員の証言を知っていながら「何の反応もなく」と書くのは正確な報道とは言えない。

この記事は、こんなふうに終始一貫、
倒れる前のMargotさんが如何に朝の5時から起き出して溌剌と働く美容師だったか
如何に自分の望みをはっきりと語る意思の強い人だったか、
如何に明るく前向きな優しい人物だったか、

それに引き換え現在の状態が如何に悲惨であるか、という比較を
くどいほど繰り返しながら、こう問いかける。

「Margotの宿命はほとんど想像もつかないほどの悲劇であり、
彼女を愛する家族にとっては絶え間ない苦しみである。
しかし、Margotの生は、果たして生きるに値する生なのか?」

この問い方に、
夫と妹の訴えや、その主張に加担するMail紙の欺瞞が透けて見える。

「家族にとって」絶え間ない苦しみ……なのであり、

それはBrendaさんの言葉にも見られるように
かつてのキビキビと立ち働く人ではなくなったMargotさんを
「見るのは私には辛い」のだ。

だから、Steveさん、「私たちの気持ちの問題ではない」ことはない、
「何の喜びもない」としか思えない、あなたたちの気持ちの問題なのですよね、これは。

音楽を楽しみ、テニスの試合に興味を持ち、外に出て頬に感じる日差しを浴びることに
生きている喜びを感じているMargotさん自身の気持ちの問題ではなく――。

                  ――――――

重症障害者から栄養と水分の供給の引き上げを巡る訴訟や事件には2つのタイプがあって、

① 家族が本人の“死の自己決定権”を主張し、栄養と水分の停止を求めて、裁判になるもの。

こちらのタイプでは、有名なところで2005年のシャイボ事件、
それからナンシー・クルーザン事件などがあります。

② 医療や行政サイドが“無益な治療”の中止を主張し、家族サイドがそれに抵抗して裁判になるもの。

このタイプの訴訟がどんどん増えてきていることが当ブログの懸念でもあり、
「無益な治療」の書庫に沢山の事件があります。

私はこれまで、①の方は“死の自己決定権”を巡る事件として捉え、
後者の②の方を“無益な治療”の流れに繋がる事件として、
区別して考えてきつつ、しかしこれら2つのタイプは底流で繋がって
実は1つではないかと感じてきたし、

「1つの流れにつながっていく移植医療、死の自己決定と『無益な治療』」で書いたように
政治的にも2つはいずれ繋げられていくのだろうと予感もしていました。

家族が治療の停止を求めて、専門家サイドがそれに抵抗しているところが、
最近とみに増えてきたように思える上記の②のタイプの訴訟とは
まったく逆のパターンの事件なのですね。

しかし、逆だからといって①になるわけでもない。
(上記で挙げた①のパターンでは
医療サイドも家族と同じ側に立っており、
家族の求めに抵抗しているわけではないので)

そこのところが、
考えるべきことがたっぷりとありそうな、この事件のキモだろう、と思う。
2011.10.04 / Top↑
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