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乙武洋匡クンの「障害のある子どもの親はおおらかに」説が、
どうやら論争になっているらしい ↓
http://togetter.com/li/198030

こちらのlessorの日記さんのエントリーで知った ↓
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20111008/1318099122

概ね、lessorさんが言っておられることに同意。
私は親だから、もうちょっと直截にイラッとする。

「五体不満足」の後この人はすごく苦しんで何枚か皮が剥けたのかと思っていたけど、
やっぱり、どうしてもどこか「優等生障害者」を演じることから
抜けきれないのかな、というのが最初の印象。

私は、本人も親も、障害の受容は一生らせん状に続けていくものなのでは、と思う。

「五体不満足」を読んだ時、
生まれた姿を見てお母さんが「かわいい」と言ったというエピソードは、
息子に自分の障害をネガティブに捉えずに成長してほしいとの願いから
乙武クンのためにお母さんが作った創作だと私は受け止めた。

「かわいい」という言葉がその時に出たことは事実かもしれないけど、
それが大人になるまで息子とその周辺で繰り返し語られ、
本にまで書かれ、世間から広く称賛されていくなかで、
その時の「かわいい」が彼の母親の育児のすべてであるかのように象徴されていった点で、
あのエピソードは、やはり、ある意味の「創作」だと今でも思う。

その後のお母さんの育児の過程がずっと「かわいい」だけであったはずはないし、
そこでもいろんな葛藤や苦しみがあり、らせん状の受容が何度も繰り返されていたはずで、
その中には、障害があろうとなかろうと親として子が可愛いというのだって事実だし、
障害があろうとなかろうと子育ての喜びはもちろん沢山あるけれど、
悲観的になったり、逃げ出したいという思いが頭をよぎる瞬間だって、
なかったはずはない。

また、そういう瞬間があったからといって、
その人が暗いわけでも不幸なわけでも、愛情がないわけでも、もちろんないし
それは、そういう思いや瞬間や時期もある、ということに過ぎない。

人の思いというものは乙武クンが書いているほど、きれいに澄みきった単色じゃない。

彼の母親は「おおらか」だったのではなく、
息子のために「おおらかを装う賢さ」を持っていた、ということなんじゃないだろうか。

でも、その賢さは、ものすごく苦しい受容のらせんを、
何回転も経なければ維持できないものなんだよ。乙武クン。

障害当事者にとっても、
いろんな苦しい思いを巡り揺らぎ経て、らせん状の受容を何周も繰り返しながら
どうにか前向きになれたり、ありのままで生きることに腹をくくれたり、
喜びを見いだせるようになったり、生きる目的を見いだしていくように。

そして、人生の様々な展開や身辺に降りかかる出来事によっては、
そこからまた何度も苦しい受容の葛藤の中に投げ込まれて、もがき、またそこから、
受容のらせんをぐるりと這い上って……を繰り返すしかないように。

本人も親も、その繰り返しの中で、
それでも苦しみや悲しみを抱えたままでも人は日々を幸せに生きていくことができるんだと、
たぶん障害者と家族だけに限らず、誰にとっても生きるというのはそういうことだという
一つの真実みたいなものに、多くの人は辿り着いていくんだと思う。

自分たちの力ではどうすることもできない
環境や諸々の条件や出会いに一定量めぐまれている人はね。

たまたま、そこまで恵まれていない人というのだって、世の中にはいる。
その中には、それなりに幸せと感じられる日常にたどり着けない人もいるんだろうと思う。
親にしろ障害のある人本人にしろ。障害のない人にしろ。

だから、乙武クンのお母さんは
生まれたのを見た瞬間に「かわいい」と言い、その後もずっと
「かわいい」だけで子育てをすることができたお気楽な親でも「おおらかな親」でもなくて、
息子のために「おおらかなフリをしようと努める賢い」親だったのであり、

そして、その母親の賢さがうまく生かされるだけの環境や出会いに、親子が恵まれたから、
息子が母親の創作を現実と信じて成長することができた、ということじゃないのかな。

でも、「五体不満足」の後であれだけ苦しんで、
世間に期待される優等生障害者像から脱皮しようとしたはずなのに、

その歳になって、まだ自分の母親の創作の裏にあるものを見抜けず、
自分の母親は本当におおらかだったと信じているとしたら、

乙武クン、それはちょっとナイーブ過ぎないか?

「……な社会にしていくことも、僕が果たすべき役割のひとつ」
「一人じゃどうすることもできない」と過剰な役割を背負いこんで
「メディアに登場」しているなら、この辺りでもう一度
メディアから距離を置いてみるのも一つでは?
2011.10.21 / Top↑
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