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米国内科学会誌1月3日号の補足として出された倫理マニュアル第6版。

わざわざ「倹約しつつ(parsimonious)」という文言を使用して
コスト・パフォーマンスを意識した“しみったれ医療”を説いているらしい。

医師の第一の義務は患者に対するものであると断りつつも以下のように書く。

Physicians have a responsibility to practice effective and efficient health care, and to use health care resources responsibly. Parsimonious care that utilizes the most efficient means to effectively diagnose a condition and treat a patient respects the need to use resources wisely and to help ensure that resources are equitably available.

医師には効果的で効率的な医療を行う責務と共に、医療資源の利用に責任をもつ必要がある。効果的な診断を最も効率的な方法を用いて行う倹約医療によって、医療資源を賢明に利用する必要と医療資源への公平なアクセス保証が尊重されることとなる。

論説を書いているペンシルバニア大のEzekiel Emanuel医師は

「堂々とコスト効率原理を提唱する医学会が現れた。
効率、倹約、コスト効率重視の立場は、倫理面ではともかく
何が強調されるかという点では重要なシフトだ」

「ちょっとした診断の違いにこだわり
できる限りの手を尽くしてはコストを膨らませていくのは良い医師ではないという方向に、
臨床医の世界の哲学を変えられるかどうかが難しい」

また、米国内科学会(ACP)のスポークス・ウ―マンは
「自分の患者とそのニーズに集中しつつも、
我々医師はもっと大きなレベルに立って、
患者の利益と地域のためについても考えなければ」

もちろん批判の声も出ており、
保守系シンクタンクの医師は
「医療資源の利用は倹約でと言えば、それだけでは済まず、
実際には治療を差し控えろと言っていることになる」

その他にマニュアルの要点の中から
個人的に印象的なものを3点。

① 遺伝子情報が誤って公開されてしまった場合には害を受けるので、
生体組織を保存したり分与したりする計画は研究の被験者に知らせなければならない。

これについてはEmanuel医師は
患者が望むのは研究に人体組織を提供するかどうかの判断のみで
それ以上を望んでいるわけではない、と論説で反論している。

これは、ちょうど年末年始で中断して、やっと読み終えたばかりの
「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生」のテーマそのものだったので
大変印象的だった。

Emanuelの反論に、
「患者にいちいち同意を求めたり患者の権利を尊重していたら
科学の進歩が止まってしまう」という科学者らの言い分を思い出した。

② 研究結果については、まず論文にしたり、ちゃんとした場所で発表した後に
世間に向かって公表しなさい。

研究途上の成果をメディアが「ブレークスルーだ」と発表していると、
結局は科学界全体に対する信頼が揺らぐだろーが、と。

これはアッパレ。よくぞ言ってくださいました。

③ 自殺幇助合法化については支持しない立場とのこと。

理由は
合法化すると患者の信頼を損ない、終末期医療の立て直しが遅れ、
貧困層や障害者、自分で声をあげられない人やマイノリティなど
これまで差別されてきた弱者のケースで使われるから。

でも、すごく矛盾してない? という気がするのは

「本人利益」や「コスト効率」や「公平な医療資源の活用」という謳い文句で
“無益な治療”論による治療の差し控えのターゲットになっているのも
ここで懸念してもらっている貧困層や障害者、移民などマイノリティだという現実がある。

例えばこちらのケースではトリソミー13の新生児の心臓手術に
「同じ資源で多くの命が救える、公平性の点でどうか」と疑問が呈されている。

そうした現実を前に、
一方でコスト削減の社会的要請を念頭に“しみったれ医療”を説いて
そういう人たちからの治療の差し控えを暗に奨励しておきながら、

一方で自殺幇助はこういう人の治療を脅かすからダメ、と言っているような???

それは、つまり、オミッションはダメだけど、
コミッションは奨励しますよ、という立場なのかしら?????

ACP Makes Close Watch on Costs an Ethical Issue
Medpage today, January 3, 2012

【Dr. Emanuel関連エントリー】
「障害者は健常者の8掛け、6掛け」と生存年数割引率を決めるQALY・DALY(2009/9/8)
自己決定と選択の自由は米国の国民性DNA?(2009/9/8)

                ――――――

上記の疑問を考えても、
いつもお世話になっているPopeのブログが引っ張ってくれている
マニュアルの中の“無益な治療”に関する個所が気になるところ。

それによると、概要は

患者に医学的利益をもたらさない治療を行う義務は医師にはない。血流も呼吸も回復しないと思われる蘇生を行う義務もない。ただし、そのことを患者や家族に理解させる努力は必要。
最も難しいのは、利益がまったくないわけではないが苦しみの方がはるかに大きいと思われるケース(または金銭面のコストが大きすぎる場合)で患者や家族が治療を望む場合。こうしたケースでは簡単な解決はあり得ないので、知識のある同僚や倫理相談を頼って、リスク・ベネフィットの比較検討を再確認するか、引き受けてもよいという医師がいるなら転院させるのも一手。まれには裁判所の判断が必要となる場合もある。司法が一方的な治療拒否の判断を認めるプロセスやスタンダードを有している地域もある。
医療機関によっては、延命効果がごく小さい場合に本人や家族の反対によらず一方的なDRN(蘇生無用)指定を医師に認めていることもあるが、共感と配慮をもって患者や代理決定者と治療の選択肢を検討するなら、一方的なDNR指定にまで至ることは滅多にないはず。心肺蘇生でどうなるか、患者への身体的影響、医師への影響、DNR指定でその他の治療がどうなるか、法的にはどういうことか、また患者の代弁者としての医師の役割など、あらゆることがきちんと話し合われるべきである。一方的DNR指定を書くなら、医師はその旨を患者または代理決定者に説明しなければならない。


こんなにも既成事実が先行している時に、
あくまでも性善説の努力義務ですかぁ……。

American College of Physicians on Medical Futility
MEDICAL FUTILITY BLOG, January 3, 2012
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