「ろう者が見る夢 続々 日本手話とろう文化」木村晴美 (生活書院 2012)
図書館で目についたので手に取ってめくってみたら
「あなたは夢の中で何語で話しているだろうか」で始まる文章が目について、
ろうの両親から生まれ育ったろう者の著者が
夢の中では手話で話していたり日本語を使っていたりする、
父親は寝手話をしている時がある……などなどを語る話に釣り込まれたので、
そのまま借りて帰ってきた。
面白かった~。
私は手話も知らないし、ろう文化についても何も知らないまま、
日本で使われている手話だから、それは日本語なんだとばかり無意識に思い込んでいた。
ところが、違うんですね。やっぱり言語ってそう単純じゃない。
さらに、一般に聴者が使っている手話はろう者が使っている手話とは異なっていて、
ろう者にはたいそう分かりづらいものなんだという。
だから、以下のようなことになる。
聴者が手話を表出しても、頭の中が日本語であったら、ろう者には理解されない。しかし、頭の中が日本語の聴者には理解できる。そのため、聴者はろう者も分かっているはずだと思いこむ。……
(p.125)
へぇぇぇぇぇ。
聴者の通訳のどこがどのように分かりにくいのかが
懇切に解説されていて、なるほど、なるほど……と、ごっつう面白い。
あ、それから手話にも方言があるんだとか。ほぇぇぇ。
目からぶっといウロコが何枚も落ちた。
自分はいかにろう文化について知らないかということに、
まずは最初の気付きをくれる本だった。
実は前に
アシュリー事件を最も痛烈に批判した法学者/生命倫理学者
Ouelletteの本 “Bioethics and Disability”を読んだ時に、
第4章でAshley事件と並んで取り上げられていた「リー・ラーソンの息子たち」事件は
人工内耳をめぐる親の決定権の問題で、ろう文化が関わっていることから、
その方面にまったく無知な私には自信がなかったために、
関連エントリーの中でこの事件だけパスしてしまった。
(ウ―レットの本については
こちらに関連エントリーをリンクしてあります ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65111447.html)
この本を一冊読んだからといって、
ろう文化が理解できたわけではもちろんないのですが、すごく勉強になったので、
これを機に「リー・ラーソンの息子たち」事件についても簡単に整理を。
(ラーソンが離婚して息子たちは別姓であるため、こういう事件の名称に)
「リー・ラーソンの息子たち」事件の概要は以下。
米国ミシガン州で2002年に起きた訴訟。
離婚したシングル・マザーで、ろうの女性リー・ラーソンはろう文化に誇りを持ち、
ろうの息子2人との家庭での言語はアメリカ手話だったが、
アメリカ手話を使って教育を行うプログラムに空きがなかったために
息子たちは口話法を使うプログラムしかない学校へ入学することに。
手話で生まれ育った息子たちは周りの人とコミュニケーションが取れず、
学校はラーソンにろうの息子2人への人工内耳手術を受けさせるように勧めた。
ラーソンがいろいろ調べたところ、人工内耳にリスクがないわけではなく、
特に生まれつきのろう者には効果も疑わしかったので、拒否したところ、
ちょっとした事件でラーソンが親権を一時的に州に取り上げられた際に、
その間に任命された法定代理人が裁判所に息子たちの手術の命令を求める請願を起こした。
人工内耳手術は子どもたちの最善の利益かどうか、
このケースでの親による手術拒否は裁判所の介入を許す医療的な緊急事態であるかどうか、を論点に、
全米で大きな論争が巻き起こった。
アシュリー事件と同じく、障害者の保護と人権擁護システムMPASが介入。
裁判所は最終的に、手術は子どもたちの最善の利益としながらも、
緊急事態ではないので裁判所の介入で親の決定権を制限することはできないと判断した。
次のエントリーに続きます。
図書館で目についたので手に取ってめくってみたら
「あなたは夢の中で何語で話しているだろうか」で始まる文章が目について、
ろうの両親から生まれ育ったろう者の著者が
夢の中では手話で話していたり日本語を使っていたりする、
父親は寝手話をしている時がある……などなどを語る話に釣り込まれたので、
そのまま借りて帰ってきた。
面白かった~。
私は手話も知らないし、ろう文化についても何も知らないまま、
日本で使われている手話だから、それは日本語なんだとばかり無意識に思い込んでいた。
ところが、違うんですね。やっぱり言語ってそう単純じゃない。
さらに、一般に聴者が使っている手話はろう者が使っている手話とは異なっていて、
ろう者にはたいそう分かりづらいものなんだという。
だから、以下のようなことになる。
聴者が手話を表出しても、頭の中が日本語であったら、ろう者には理解されない。しかし、頭の中が日本語の聴者には理解できる。そのため、聴者はろう者も分かっているはずだと思いこむ。……
(p.125)
へぇぇぇぇぇ。
聴者の通訳のどこがどのように分かりにくいのかが
懇切に解説されていて、なるほど、なるほど……と、ごっつう面白い。
あ、それから手話にも方言があるんだとか。ほぇぇぇ。
目からぶっといウロコが何枚も落ちた。
自分はいかにろう文化について知らないかということに、
まずは最初の気付きをくれる本だった。
実は前に
アシュリー事件を最も痛烈に批判した法学者/生命倫理学者
Ouelletteの本 “Bioethics and Disability”を読んだ時に、
第4章でAshley事件と並んで取り上げられていた「リー・ラーソンの息子たち」事件は
人工内耳をめぐる親の決定権の問題で、ろう文化が関わっていることから、
その方面にまったく無知な私には自信がなかったために、
関連エントリーの中でこの事件だけパスしてしまった。
(ウ―レットの本については
こちらに関連エントリーをリンクしてあります ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65111447.html)
この本を一冊読んだからといって、
ろう文化が理解できたわけではもちろんないのですが、すごく勉強になったので、
これを機に「リー・ラーソンの息子たち」事件についても簡単に整理を。
(ラーソンが離婚して息子たちは別姓であるため、こういう事件の名称に)
「リー・ラーソンの息子たち」事件の概要は以下。
米国ミシガン州で2002年に起きた訴訟。
離婚したシングル・マザーで、ろうの女性リー・ラーソンはろう文化に誇りを持ち、
ろうの息子2人との家庭での言語はアメリカ手話だったが、
アメリカ手話を使って教育を行うプログラムに空きがなかったために
息子たちは口話法を使うプログラムしかない学校へ入学することに。
手話で生まれ育った息子たちは周りの人とコミュニケーションが取れず、
学校はラーソンにろうの息子2人への人工内耳手術を受けさせるように勧めた。
ラーソンがいろいろ調べたところ、人工内耳にリスクがないわけではなく、
特に生まれつきのろう者には効果も疑わしかったので、拒否したところ、
ちょっとした事件でラーソンが親権を一時的に州に取り上げられた際に、
その間に任命された法定代理人が裁判所に息子たちの手術の命令を求める請願を起こした。
人工内耳手術は子どもたちの最善の利益かどうか、
このケースでの親による手術拒否は裁判所の介入を許す医療的な緊急事態であるかどうか、を論点に、
全米で大きな論争が巻き起こった。
アシュリー事件と同じく、障害者の保護と人権擁護システムMPASが介入。
裁判所は最終的に、手術は子どもたちの最善の利益としながらも、
緊急事態ではないので裁判所の介入で親の決定権を制限することはできないと判断した。
次のエントリーに続きます。
2012.11.04 / Top↑
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