ProPublicaの医療担当記者が、
自分の老母が突然に陥った意識不明状態から
家族と話し合って生命維持停止を決めるまで、
また、その後の思いを詳細につづった良記事があった。
母親は人工的な延命を拒否していたが、
彼は医師らから聞かされた説明を鵜呑みにせず、
まず自分で関連データを調べあげる。
父親は、かつて似たような体験から回復したことがある人なのだ。
その時の揺らぐ思いを彼は次のように書いている。
We knew her end-of-life wishes: She had told my dad that she didn't want to be artificially kept alive if she had no real chance of a meaningful recovery. But what was a real chance? What was a meaningful recovery? How did we know if the doctors and nurses were right? In all my reporting, I'd never realized how little the costs to the broader health-care system matter to the family of a patient. When that patient was my mother, what mattered was that we had to live with whatever decision we made. And we wouldn't get a chance to make it twice.
母の終末期の望みは分かっていた。
意味のある回復の現実的な可能性がまったくないなら人工的に生かされるのは嫌だと
父に語っていたのだ。
しかし、現実的な可能性があるとは一体どういうことなのか?
意味のある回復とは一体どういうことなのか?
医師や看護師の見立てが間違っていないという保証は?
これまで記事を書いてきて、初めて、患者の家族にとっては
大きな医療制度にかかるコストなんて問題にならないことに気付いた。
患者が自分の母親だったら、問題になるのは
どう決断しようとも自分たちでその結果を背負って生きなければならないということだけだ。
そして、その決断にやり直しは効かない。
家族はみんなで話し合って「判断を急がない」と決めたうえで、
知人に教えてもらって別の医師に病院まで来てもらい、セカンド・オピニオンを求める。
さらに追加で検査をしたいという父親の意向にも従ったうえで、
すべての検査データが望みのないことを示した時に、
みんなが納得して人工呼吸器を切ることを決める。
それでもなお彼は、その後、
自分たち家族が決断に至るまでに費やした日数だけ
自分たちは医療費を浪費したのだろうか、という問いに苦しめられる。
そこで彼はダートマス大学医学部のElliot S. Fisher教授に相談するのだけれど、
この人の答えが素晴らしいと思う。
You never need to rush the decision-making. It should always be about making the right decision for the patient and the family. … We have plenty of money in the U. S. health-care system to make sure that we’re supporting families in coming to a decision that they can all feel good about. I feel very strongly about that.
意思決定を急ぐ必要は全くありません。
常に患者と家族にとって正しい意思決定がされることが最優先にされるべきです。
家族全員が悔いのない決定に至れるよう
家族をサポートできるだけのお金は米国の医療制度にはたっぷりあります。
私は強くそう思っています。
そして彼は、
それよりも問題は、終末期医療に関する本人の意思が不明な状況だったり、
医師が明らかに無益な治療を終末期の患者に強行して苦痛を引き伸ばすケースだ、と語る。
I don’t think the best care possible always means keeping people alive or always doing the most aggressive cancer chemotherapy, when the evidence would say there is virtually no chance for this particular agent to make a difference for this patient.
可能な限り最善の治療とは、必ずしも患者を生かし続けることでもなければ
この患者さんにこの特定の抗がん剤が効くエビデンスなどほとんどない状況で
常に最もアグレッシブな抗がん剤治療をやることでもない、と思います。
How Mom’s Death Changed My Thinking About End-of Life Care
ProPublica, February 28, 2013
無駄な延命治療はやめよう、
高齢者は終末期医療をどうするか自分で決めておけ、
無駄に医療費を使うな……と、私たちは言われ続けている。
でも、
なにが「無駄な延命」で、なにが「有効な治療」「可能性のある治療」なのかは、
個々の患者さんが個々にたどる転帰の特定の一点においてのみ
判断できることではないのか。
Fisher医師の言う、this patient、
目の前にいる、特定の「この患者」について
「今ここ」にある状況でのデータに基づいて、特定の「この治療」が
果たして無駄な治療なのかどうかが検討しうるのであり、
それ以外ではないはずだ、と思う。
それなのに、
まるで特定の技術や治療それ自体が一括で「無駄な延命」であるかのような
キャンペーンがはられて、
「一定の年齢や一定の状態になったら
無駄な医療費を使って社会に迷惑をかけてはならない」という
刷り込みばかりが進められていくような気がしてならない。
自分の老母が突然に陥った意識不明状態から
家族と話し合って生命維持停止を決めるまで、
また、その後の思いを詳細につづった良記事があった。
母親は人工的な延命を拒否していたが、
彼は医師らから聞かされた説明を鵜呑みにせず、
まず自分で関連データを調べあげる。
父親は、かつて似たような体験から回復したことがある人なのだ。
その時の揺らぐ思いを彼は次のように書いている。
We knew her end-of-life wishes: She had told my dad that she didn't want to be artificially kept alive if she had no real chance of a meaningful recovery. But what was a real chance? What was a meaningful recovery? How did we know if the doctors and nurses were right? In all my reporting, I'd never realized how little the costs to the broader health-care system matter to the family of a patient. When that patient was my mother, what mattered was that we had to live with whatever decision we made. And we wouldn't get a chance to make it twice.
母の終末期の望みは分かっていた。
意味のある回復の現実的な可能性がまったくないなら人工的に生かされるのは嫌だと
父に語っていたのだ。
しかし、現実的な可能性があるとは一体どういうことなのか?
意味のある回復とは一体どういうことなのか?
医師や看護師の見立てが間違っていないという保証は?
これまで記事を書いてきて、初めて、患者の家族にとっては
大きな医療制度にかかるコストなんて問題にならないことに気付いた。
患者が自分の母親だったら、問題になるのは
どう決断しようとも自分たちでその結果を背負って生きなければならないということだけだ。
そして、その決断にやり直しは効かない。
家族はみんなで話し合って「判断を急がない」と決めたうえで、
知人に教えてもらって別の医師に病院まで来てもらい、セカンド・オピニオンを求める。
さらに追加で検査をしたいという父親の意向にも従ったうえで、
すべての検査データが望みのないことを示した時に、
みんなが納得して人工呼吸器を切ることを決める。
それでもなお彼は、その後、
自分たち家族が決断に至るまでに費やした日数だけ
自分たちは医療費を浪費したのだろうか、という問いに苦しめられる。
そこで彼はダートマス大学医学部のElliot S. Fisher教授に相談するのだけれど、
この人の答えが素晴らしいと思う。
You never need to rush the decision-making. It should always be about making the right decision for the patient and the family. … We have plenty of money in the U. S. health-care system to make sure that we’re supporting families in coming to a decision that they can all feel good about. I feel very strongly about that.
意思決定を急ぐ必要は全くありません。
常に患者と家族にとって正しい意思決定がされることが最優先にされるべきです。
家族全員が悔いのない決定に至れるよう
家族をサポートできるだけのお金は米国の医療制度にはたっぷりあります。
私は強くそう思っています。
そして彼は、
それよりも問題は、終末期医療に関する本人の意思が不明な状況だったり、
医師が明らかに無益な治療を終末期の患者に強行して苦痛を引き伸ばすケースだ、と語る。
I don’t think the best care possible always means keeping people alive or always doing the most aggressive cancer chemotherapy, when the evidence would say there is virtually no chance for this particular agent to make a difference for this patient.
可能な限り最善の治療とは、必ずしも患者を生かし続けることでもなければ
この患者さんにこの特定の抗がん剤が効くエビデンスなどほとんどない状況で
常に最もアグレッシブな抗がん剤治療をやることでもない、と思います。
How Mom’s Death Changed My Thinking About End-of Life Care
ProPublica, February 28, 2013
無駄な延命治療はやめよう、
高齢者は終末期医療をどうするか自分で決めておけ、
無駄に医療費を使うな……と、私たちは言われ続けている。
でも、
なにが「無駄な延命」で、なにが「有効な治療」「可能性のある治療」なのかは、
個々の患者さんが個々にたどる転帰の特定の一点においてのみ
判断できることではないのか。
Fisher医師の言う、this patient、
目の前にいる、特定の「この患者」について
「今ここ」にある状況でのデータに基づいて、特定の「この治療」が
果たして無駄な治療なのかどうかが検討しうるのであり、
それ以外ではないはずだ、と思う。
それなのに、
まるで特定の技術や治療それ自体が一括で「無駄な延命」であるかのような
キャンペーンがはられて、
「一定の年齢や一定の状態になったら
無駄な医療費を使って社会に迷惑をかけてはならない」という
刷り込みばかりが進められていくような気がしてならない。
2013.03.07 / Top↑
| Home |