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広間の外にひろがる庭園には、広間をかこむように宴席がしつらえられ、真王(ヨジェ)の誕生日を祝うためにおとずれた多くの貴族たちが、その身分に従って着席していた。

 つぎからつぎへと運び込まれるごちそうの香ばしいにおいと、咲き乱れる花々の香りとが入りまじって、宴席を包んでいる。

 中央の草の上には白い毛氈が敷かれ、楽師たちが明るい調子で笛を吹き鳴らし、その音に合わせて、舞姫たちが、薄赤い絹の帯を宙に舞わせながら、くるくると踊っていた。

 最近王都で評判になっている道化師たちの、ひょうきんなやりとりは、人々の笑いを誘い、大いに場がもりあがった。

 やがて、夕暮れが近づき、透明な金色の光があたりを照らす<黄金の刻(とき)>がおとずれた。

 夜明けと黄昏は、ともに<生の刻(とき)>と<死の刻(とき)>の境目であり、もっとも神気が満ちる刻(とき)であるとされている。

「獣の奏者 2」 上橋菜穂子 講談社青い鳥文庫 p. 42-43


ゴチックにした部分、読んだ瞬間に
ああ、これこそマジックアワーのマジック、
そのわずかな時間に漂う神秘を見事に捉えた表現だ……と。

たぶん、刻の境目というものには不思議なマジックがある。

生の刻と死の刻の境目――。
子どもの刻から大人の刻になる境目にも――。

刻の境目は一瞬で通り過ぎて、留まることがないからこそ、
そこにあるマジックにはえもいわれぬ美しさがあるのだろうな、とも。

ミュウが子どもから大人の女性になるあわいにいた時の
あの透明なパステルカラーの美しさについては『新版 海のいる風景』に書かせてもらった。


【関連エントリー】
天保山のマジックアワーに(2008/8/29)
2013.07.01 / Top↑
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