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現場で終末期医療を担う医師らが連名で
Telegraph紙に告発の手紙を送ってきた……というのだから、
それほど目に余る事態が進行しているのでしょう。

Sentenced to death on the NHS
The Daily Telegraph, September 2, 2009


英国では
死にゆく患者の最後の時間をなるべく苦しみが少ないようにとの理念で
エビデンスに基づいて看取りの前後のケアのスタンダードな手順を定めた
クリティカル・パスthe Liverpool Care Pathway(LCP)が2003年に作られて
2004年にNICEによって推奨モデルとなった。

日本でも2005年には翻訳作業が進んでいたようなので、もうできているかもしれません。
LCPの概要と、Mari Curie緩和ケア研究所によるLCPの国際パック原文がこちらに

このLCP、現在、英国では
少なくとも300の病院、130のホスピス、560のケアホームが採用している。

本来なら、
患者の状態がいよいよ最後の看取り段階に入ったことをチームで重々確認したうえで、
通常の医療からLCPに移行することが前提になっているパスなのだが、

これがNHSでは機械的に運用され、
まだ回復の余地のある患者までがさっさとLCPを適用されて
栄養と水分、治療薬を引き上げ、鎮静させられたまま死なされている、というのが
医師らの告発の内容。

さっさと水分を引き上げたのでは高齢患者は脱水から混乱状態となり、
今度はその混乱状態に対応するための鎮静が行われてしまう。

こんなふうに機械的に沈静させてしまったのでは、
患者に回復の兆しがあったとしても把握できない。

患者に尊厳のある死を、という理念で作られたLCPが
手がかからないように患者を眠らせたまま、さっさと死なせるための自動的な手続きと化している。

機械的な手続きと化すことで現場の医療職が考えることをしなくなり、
医師らは注意深く患者の症状の変化を見守ることをやめてしまった……と。

           ――――――

そういえば、かつて「病院で死ぬということ」を書いて
日本にホスピスが一気に広がるきっかけを作った山崎章夫氏が、

ホスピスが広がるにつれて
建物とか部屋とか形とか手順とか形式的なことばかりに意識が集中するようになり、
一定の基準を満たしていたら、それがホスピスであるかのように錯覚されて、
一番肝心の緩和ケアの理念が置き去りにされるようになった、と嘆いて、
ホスピスの現場から地域医療への軸足を移すことにした、
これからは地域医療の中で緩和ケアの理念を実現していく、と
どこかで書いておられたのを読んだ記憶がある。

たぶん、自殺幇助の合法化で米国のEzekiel Emanuel医師がいう
「医師らの抵抗感が薄れて、いずれ例外がルールになる」というのは
こういうことでもあるのでしょう。


日本でも臓器移植法改定が決まった現在、小松美彦氏が書いておられたように
次なる議論は当然のことのように終末期医療の法制化に向かうのでしょう。

臓器移植法改正議論の際に、
英米を中心とする「国際水準の移植医療」で本当は何が起こっているかなど
森岡正博氏の朝日新聞の記事以外、何一つまともに報告されないまま
ただ「国際水準の移植医療」に追いつく必要だけが言われ、
世論がA案に向かって誘導されたことを考えると、

これから日本で本格化するに違いない終末期医療の自己選択の議論の前に、

「無益な治療」概念の広がり、自殺幇助議論、
小児科学会の栄養と水分の停止容認など
英米の医療で起こっている高齢者・障害児・者の切捨て、

ゲイツ財団やWHO、IHMEがグローバル・ヘルスに着々と広げていく
「価値を割り引かれる命」「コスト効率がすべて」という
功利主義・パーソン論基盤の医療基準の現実など、

「国際水準の医療」で本当は何が起こっているかを、しっかりと見すえておきたい。

「日本は遅れている。国際水準に早く追いつかなければ」という
時代錯誤の空疎なマヤカシに踊らされないように──。
2009.09.10 / Top↑
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