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障害者運動の活動家と障害学の学者ら3人による、ここ2日間の論争を
2回のエントリーにて。

(概要はいずれも取り急ぎのまとめで、さほど吟味した訳語ではありません)

まず、7日に英国上院で意見陳述を行った障害者運動の活動家で
The Disability Rights Commissionの前チェアマンのJane Campbell
それに先立って Guardianに寄稿したエッセイ概要。

今回議会に提出されている法改正案では、自殺幇助を認めることが、
あたかも障害のある人とターミナルな病気の人の利益になるかのように言われ、
特にMSと運動神経障害(ALS)の2つのある障害者がその代表であるかのように語られているが、
ごく一部に、そう望む声があるからといって
我々障害者が自殺幇助を望んでいるわけではないことを知ってもらいたい。

障害者にとって何がベストかを社会が勝手に決める時代は終わり、
障害者自身がエンパワし、自分で決めることができるようになった。

2004年にも上院でターミナルな人へ死の幇助法案が審議されたことがあったが、
その時の危機感から Not Dead Yet UK も創設されている。

我々を引き合いに出して自殺幇助を正当化するのはやめて欲しい。
我々はむしろ、そのような主張によって
障害のある人の生は生きるに値しない苦痛に満ちた生であるかのように思われて
慈悲殺の論理が社会に広がっていくことを懸念している。

さらに、医療と介護の経費削減のために最も安上がりでお手軽な解決策のように言われることや
自殺幇助を求める声の中に「家族に介護の負担をかけたくない」という理由が必ず挙げられてことも
懸念の材料となっている。

しかし、本当に、それでいいのか。
この社会は障害者とターミナルな病気の人に本当にそういうメッセージを送ろうとするのか。

Assisted dying: not in our name
Disabled and terminally ill people reject the view that our lives are a tragic burden. We can speak for ourselves – hear us now.
By Jane Campbell, July 7, 2009

Champbellさんが上院で行った意見陳述の内容について書いたDaily Mailの記事はこちら


このエッセイに対して、
「それは違う。多くの障害者とターミナルな病気の人が幇助死の合法化を望んでいる」と
反論するのはTom Shakespeare。

現在既に115人もの英国人がスイスのDignitasで自殺幇助を受けていて
彼らに付き添っていった家族や友人が誰も罪に問われていない。
これは、いかなる自殺幇助も違法とする現行法が現実と整合していないことを意味するとの
今回の法案提出の理由は、正当なものである。

しかし、一方でDignitasでは無差別に自殺幇助が行われて
ターミナルでない人まで対象となっている問題を思えば、
今回の法改正は第一歩に過ぎず、さらに幇助死そのものが合法化されなければ
本当の解決にはならない。

ヨーロッパでは合法化する国が相次いでいる。

私は障害者の権利を訴えてきた者として、
耐え難い苦しみを回避し尊厳ある死に方をするために
障害者が自分の死の時と死に方を選択する権利を支持する。

Jane Campbellのような自立生活運動の活動家が
ここで障害者に人生の終わりの選択権を否定するのは矛盾している。

健常者の中でそうであるように、障害者の中でも、この問題で意見は割れているが
調査に見られるようにマジョリティは賛成している。

A chance for dignity in dying
Jane Campbell is wrong. Many terminally ill and disabled people want effective assited dying legislation.
By Tom Shakespeare
The Guardian, July 7, 2009

次のエントリーに続く)
2009.07.09 / Top↑
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